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たこ焼きにソーセージを入れなかったら、今のような人生はない

そういえば、半年前ってオーストラリアで車生活してたんだ。

東から西横断したらカンガルーと衝突事故

お金無くなって真夏の車生活

宗教の中過ごした日々

思い出すとネタが尽きない。あの5か月をもう一回すごしたいとは思わない。正直、もうやりたいことはやりつくした気がする

本題へ。

1年の休学のきっかけとなった「たこ焼き事件」。これは、ワーホリにいく理由だった。あの時の、自分。よく、直感に従った!とほめたい。

ワーホリの体験記も面白いが長くなるので別のNOTEに書こう。

今日は、1年と3か月前の”出発点”の話。


大学3年の2月に受けたToeicが330点で、就職とかを考えるとやばいな~と思って、こうだいとかを誘って4月頃から留学生と遊び始めた。あの時は、英語で話しかけても「リュウセイ、何て言ったの?」と留学生に日本語で返される状況が当たり前だった笑

言語は通じる通じない関係なく、留学生が日本語や文化を楽しそうに勉強する姿、日本人ほどあまり気を遣う必要のないスタイル、自分の知らない当たり前を教えてくれる。打ち解けるのに時間はいらなかった。ラフで居心地がよかった。

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↑(懐かしいの写真を1枚)

それで、6月の水曜日に昂大の家でたこ焼きパーティーをした。たくさんの食材を買った、その中のソーセージが事件を引き起こす。

たこ焼きの中に、カットしたソーセージを入れてるときに、ベラがたまたまトイレに行く途中だった。自分を見た留学生のベラが一言

「リュウセイ、ソーセージはだめだよ。シルバァがいるから」

しばらく体が青冷めた。

シルバァは、インドネシアから来たイスラム系の留学生で、豚などは食すことができない。

「もし、ベラがソーセージに気づくことなく、このタコ焼きをシルバァが口にしたらどうなったのだろうか?」

2秒たっても5秒立っても答えは出なかった。

”好き嫌いある人が嫌いな食べ物を食べることとは違う”

”これを食したって生命として死ぬわけではない”

”でも、宗教ルールに違反することは、重き罪なのでは?”

いろんなことを考え、とりあえず、「イスラム 肉 禁止」でググった

答えは、

”人や地域によって、信仰度合いは様々であり、感じ方も異なる”、だと。

帰り際、ソーセージ入れかけたなんて言ってないが、シルバァに聞いた

「もし、食べたらどうなるの?」

シルヴァ「その時は、許してもらうかな」

少しほっとした気分だった。

だが、家に帰って天井みながら、また青ざめた気持ちになった。

「これってホットしていいのか?」

ホットした理由は、万が一入れても、大丈夫だったから。日本人の自分は、”当たり前”でなく初めてのことだったからしょうがない。

そんなチンケなことだった。

天井見ながら、自分の浅はかさと無知さが悔しくて涙が出てきた。

本当に大事にしたいと思う友達に対して、彼らのバックグラウンドや当たり前を知り、そこに気づかえる人間になろうとする努力をどうしてできないのか?

結局、自分の”普通”を基準にして、自分の行動に”良し悪し”や”しょうがない”なんて言い訳を振りかざしているだけじゃないか?

結局、グーグルで知った気になって、いつの日かまた同じような過ちを犯すと思う。

そんな無知さ情けなさに気づくことのない人生を送りたくない。

だから、その日に決めた。まずは、”宗教”に理解と気を使うことが”当たり前”にできる人間になること。

宗教が当たり前に生活に混在する場所に身を置こう。そして、肌で学ぶ。次に日本に帰ってきたときは、自分が「ソーセージはだめだよ」と伝えられる立場に

オーストラリアでの学びは別のNoteに書こうかな

まぁ、この理由で、卒業半年残して休学したわけだが、

結論としては人生が160度は変わった。(周りにもかなり言われるからたぶんこれくらい変わったと推定)

理由が、”英語力”や”海外に住んでみたい”みたいな理由だったら、ここまで変わることないな。もはや休学してワーホリなんてしてない笑

必死に高校生の時に”英語のない大学学部"を目指したのが懐かしい。

いつ、どんなきっかけで人生が変わるかなんてわからない

1年後には想像できない姿になっていることだってある

この体験があるから、9月現在の自分は、人生が楽しい

2021年9月、どんな人生を歩んでいるのだろうか?


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