あれこれしなきゃを全て手放す
そう考えると、いろんなことがボロボロと皮を剥くように雑念?理想郷?のような物がむけていって、本当に食べたかったこと、したかった料理、自分のためにしてあげたかったことが現れてくるというか、分かる感じだなって思った。
ついつい、アレもこれもやらないと、素敵な、思い描く理想な自分になれないと思ってしまうのだけど、理想の自分は、その皮を剥いだところが結局のところ、本当になりたかった自分なのだなと、思ったのでした。
頭で考えるというよりも、身体で感じ取っていることを、言語化してあげる方が、よっぽど良い結果になる感覚。気持ちも、心も。
あとは、思い立ったらやり時なのは本当で、その動力は自分でコントロールできたらどんなにいいだろうと思うのだけど、残念ながら、自分にはその能力は備わっていないので、気にせずに、行動、主に作ったり片付けたりは、思ったらするが一番だなと思った。習慣化とは別の原動力ですねこれ。
財布の断捨離、化粧品の断捨離、ペンの整理。
なんとなく置いていたものを片つけたり、多いものは、手放しに。
必要な分と、種類のあるものは、一つでいいのでは?正しくは、一つにしたら、選択がなくなって楽なのでは?と思い、一つに。そのほうが、よく使うし、残量もわかるし、案外、使ってると思ってた物も、使えていないことが分かったりしていいなって思った。
あとは、本を減らしていきたいけれど、今日はもう頑張らないことにして、ゆっくり過ごします。小説読もう。
やることを減らすにはどうしたらいいかと考えたときに、圧倒的にものを減らしたら、勝手な情報取得も減るし、体力的な維持管理も減るし、脳内も整理出来るしいいなって思った。
好きなものは減らさなくていいけど、選択にワクワクも感情もなく、時間が無駄だな、疲れるなと感じるものは、一旦、どんなことも一択にしてみたいと思った。
これも一つの削ぎ落とし作業で、アレもこれもと欲張らないからこそ、楽でいられるし、エネルギーも注ぎやすい。
フィードバックも、削ぎ落とすという過程を経ているからこそ、しやすいのもある気がする。一択じゃない良さは、一択にするからこそより良くもなり、一択の精度も、上がる。
そうして気がつくのだけれど、一択も行動あっての一択で、頭の中で一択に絞れるほど、私はまだ脳内会議が上手ではないらしい。
結局は、紙とペンで、思いついたことを書いていって、削ぎ落とし作業して、そうしてくると見えたりしてくる感じ。
その書き出すという行動、書くという体を動かすことで、ようやく満たされる何かがあるんだなって、今書いていて気がついた。こうして指を動かすのも大事なんですね。
少なく、スッキリ、無理しない。これを大事に、見栄を貼らずに、張らずに、過ごしていきたいです。
おわり
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