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20代にして歩けなくなった話と靴の話

はじめに

 歩けなくなって原因諸々で本当に腹が立ったのでどこかにぶつけずにはいられなくなった。「歩き方が変」と言われたことがある人はちょっと茶飲みがてら読んでほしい。なんせ私が「歩き方 変」でググって金儲け心丸出しの変に小洒落たウォーキング教室のHPしか出てこなくてめちゃくちゃ腹が立ったからだ。

 私は中肉中背で、まあそろそろ本気でダイエットしてコロナも落ち着いたらジムにも通おうかなーなんて考えているような体調的にはやや貧弱程度のよくいる20代女性である。ここ2ヶ月歩けなくなるほどの股関節周辺の痛みに酷く悩まされた。

 結論から言ってしまうと、幼少期から合わない靴を履き続けたことが原因だった。これは自分の体調管理への反省文であるとともに、全国の靴屋の怠慢への怒りの文章でもある。

事の発端

 そもそも最初に違和感を感じたのは去年の6月頃だった。立っても座ってもお尻の裏側が痛い。痛すぎてもう股関節が痛いのかお尻が痛いのか腰が痛いのか全然わからんくらい痛い。立ってることが多い仕事なので当然仕事にならず早退してかかりつけの整形外科に行った。
 お尻と脚を繋ぐ筋肉がどうこうと言われたのだが説明が全然よくわからず、とりあえず言われた湿布or注射という選択肢にビビって湿布を貼っておとなしくしていた。今思えばこれは正しい診断だったわけだが、それなら他にも言いようがあるだろうと本当に思う。(もうかかりつけは変えた)

 その時は幸い1週間もゆるゆる過ごせば湿布だけで治った。だからこそ油断したわけだが。

第二波、来襲(3月末〜GW)

 きっかけらしいきっかけは3月末だった。
 まあ異動とかいろいろあるので、下っ端らしく古紙なんかをまとめたり運んだりした翌日。ぼんやりとお尻が痛い。

「んーあの時の痛い感じに似てるな〜、でもまあ耐えられるからいいや」

よくない

 いや本当によくなかった。
 そこから始まる湿布ライフ、全然良くならない痛み、かぶれてくる皮膚、全てが悪化する一方でびっこひいて歩くようになるまで時間はかからなかった。

 職場の人にはこの時点で割といろいろ心配されていたのだが、私的には「このくらい平気平気〜!みんな腰痛とか抱えてるし若者なんだから頑張らなきゃ〜!」なんて呑気に考えてた。頑張るな、休め。

 頑張れていたのはGWがあるからだった。GWでがっつりゴロゴロしてればこのよくわからん痛みもなんとかなってくれるだろうと思った。今思えば羨ましいほど楽天的である。

そして悪化〜GW明け〜

 ゴロゴロしてたGW中はすっかり元気になっていた。痛みもだいぶ引いてきたしよーしお仕事頑張るぞ!と思ったのに。

 全然良くなってない。痛い。痛い。何をしていても痛い。立っても座っても痛い。下半身が常に悲鳴を上げ続けていて、寝転がる以外痛みを回避する方法がなかった。幸い職場に横になれる休憩スペースがあったので、昼飯を抜いて寝転がって足を回復させてなんとか午後の仕事を乗り越え、痛い痛いとつぶやく怪しい人になりながら帰路につく生活をしていた。この時点で限界である。なのに何故か「いやいやまだみんなこんなもんでしょ、頑張らなきゃ」と思っていた。医者に行け。

 今の私がそう思うくらいなので職場の人にもめちゃくちゃ心配された。最後は説得までされて仕事終わりに別の評判のいい整形外科に行った。

 腰痛と判断され、神経痛の薬と痛み止めが出た。今も飲んでいるが正直飲まないよりはマシ程度である。しかもなかなか薬が体に馴染まず副作用の眠気だけはばっちり出て例の休憩部屋で爆睡し会議にがっつり寝坊した。幸い生まれつきの顔の白さと低血圧のコンボが起こした奇跡の青白い顔とマスクで誤魔化せたが今回の件で一番肝が冷えた。

 薬を飲んで様子を3週間見ましょう、と言われ、最初の一週間は薬が馴染んでないんだ、まだ効いてきてないんだと思うことでなんとか耐えた。それでも痛くて痛くて一週間経った時に薬剤師さんに相談しに薬局には再度かかった。目を逸らしていたが痛みはどんどん酷くなってきていて、この辺りから右足を引きずって歩くようになり始めた。痛くて「痛い」に思考の半分を持っていかれてまともに仕事にならない。いつもよりイライラして他人に八つ当たりしそうになって自己嫌悪に陥っていた。

ついに歩けなくなる〜5/17から〜

 様子を見るのも限界になりつつあった。右足は完全に引きずっていたし、職場のプロジェクターの棒がいい感じの長さだったため移動の時はいつも杖代わりにするようになっていた。家では前に屈んだりしゃがんだりすることができなくなっている影響で靴下を履くだけで「イッッッッッ」と叫び、風呂上がりに膝より下が拭けなくて悲鳴をあげていた。今思い返せば全然歩けているとは言えない状況なのだが、その時の私は「まあなんとか!いけるし!病院も通ってるからなんとか!」と何故か踏ん張るぞモードになっていた。休め。

 流石に痛くて痛くて、涙が出そうなくらい痛くて、というか職場じゃなければ泣き喚きたいくらい痛かった。家では泣いていた。もう右足がついていることが憎らしくなるような痛みだった。いっそ切り落としてくれと思いながら合間合間で休憩部屋にこもって足を休めて、自分を騙し騙しこの週の仕事を乗り越えた。

 そんな謎の頑張るぞモードを解いてくれたのは近所の子供だった。ちょっと顔見知りの子なのだが、足を引きずって歩く私をまじまじと眺めて、ぼそりと一言、

「痛々しい……」

 と言った。そこでぷつんと頑張るぞモードが切れた。こんな子供から見ても無理してんの、おかしくない? みんな心配してくれてんのに何やってんだろ。そう思えて翌日金曜日、午前中で残りの仕事を片付けて午後からしばらくまとめて休みを取ることにした。

人生初のブロック注射とわからない原因

 まずは再度病院へ行った。その時点でめちゃくちゃ痛くていっそ殺してくれと思うほどで、足を引きずっておばあちゃんたちと一緒に並んで、午後の診察開始と同時に整形外科に入った。リハビリに来ているおばあちゃんたちがゆっくりとはいえちゃんと自分の足で歩いているのや、部活で怪我をしたらしき学生がスタスタ歩いて会計に行くのを見ているうちにまともに歩けない、立っても座っても痛くておかしな姿勢になっている自分がとても惨めに思えるようになった。

 診察室に入った瞬間に悪化しているのを理解してもらえたのはありがたかった。足を引きずる私に「痛み止めを打ちましょう」とお医者さんがとても優しく言ってくれた。注射怖いアーとか言ってる場合じゃないくらい、とにかくもうお尻から股関節にかけて痛くて痛くて治るなら注射でもなんでもしてくれと思った。診察台に寝転がるのもままならない自分の足が嫌で診察室で泣いた。

 診察室を出ても悔しいことに一度出た涙は全然止まらない。隣に姿勢よく座っていたおばあちゃんに「大丈夫?」と言われて余計惨めになってまたボロ泣きした。ごめんなさいおばあちゃん、心配は嬉しかったです。

 それから人生初のブロック注射の運びとなった。注射器も針もでかいという噂は聞いていたので見ないようにした。めちゃくちゃ混んでいる病院だからか5分おきにシュコーシュコーと膨らんだり戻ったりする血圧計をつけっぱなしにされたまましばらく放置されていた。
 どれくらい経ったのか、やっと先生が来て施術になった。「痛くないですからね〜」なんて声とともにちくりと針の刺さる感触。

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!!!!!!!!!!!!」

 いやめちゃくちゃ痛かった。異物感が半端ない。下半身を駆け巡る異物感スペクタクル。できれば二度とやりたくない。
 寝転がっている間は痛みが引くのもあって、どれくらい痛みに効いているのか正直わからなかった。

 その後再度診察で、ブロック注射の影響で足元がおぼつかないとはいえ自分の足で歩けるのが本当に嬉しかった。神に感謝。しかししんどいのはここからが本番だった。

「先生、仕事復帰すぐしていいですか?」
「いや、MRI撮ってその結果次第では復帰どころじゃないよ」

 会議に寝坊した時より血の気が引いた。なんだかんだ私は今のお仕事が大好きで割と生きがいまである人間なので、職場に多大なる迷惑をかけることがメンタルにずーんと来た。そして最悪なことはもう一つ。この時診察を受けてからMRIの結果を持っていくまでの間に、めちゃくちゃ楽しみにしていたアイドルマスターミリオンライブの7thライブがあった。しかも担当の出演日は現地を握れていた。(ミリオン7thがいかに待ち遠しいものだったかは最寄りのアイマスオタクに聞いてください)

 実家で半分介護されている状態で、山梨の会場まで長時間バスに乗るのはかなり厳しかった。長時間座るのも立つのもものすごい負担で、それをやったら職場復帰が遠のくのは火を見るよりも明らかだった。キャンプファイヤーの火が見たかったんですけど。
 学生ならともかく社会人としての休暇の限界がわかっているのに行くわけにはいかず、わんわん泣きながらチケットの払い戻しをした。お譲りするのが一番いいんだろうけど行きたかったチケットを他人に渡すのも耐えられない気持ちだった。だって健康なら行けたわけで。あと足痛すぎるのと直前すぎるのでお渡ししに行ける状態ではなかった。
(完全に余談なんですが結局配信で見た。シャルシャロ君だけの欠片現地逃したの辛すぎてまた号泣した)

 そんなわけでメンタルボロッボロになりながらブロック注射の効果がすでに切れつつあるのを根性で無視してMRIを受けてまた医者に行った。たぶんこの時の私は根性SS+
 MRIを撮ったのはヘルニア疑いのためだったわけですが、結局ヘルニアではないことがわかっただけで診察が終わってしまった。休んでいれば痛みは落ち着くだろうから、リハビリ始めましょうね、と言われ診察室から出た。右足の付け根がじくじく痛んだ。

消えない痛み、原因判明へ

 それからしばらくお休みをして、何もしないのもあれなので腰痛ストレッチをググってやってみたり、勉強したり、アンミナやってフラグ折まくったりしていたわけですが、こんなにぐーたらしているのにあの身に覚えのある痛みがじくじくじくじくぶり返してくる。痛くて、治らなくて、家族にめちゃくちゃ八つ当たりをした。あとでめちゃくちゃ謝った。

 治らないことにだんだん焦りが生まれはじめた。休みは無限ではないし、今の状況で職場復帰したらまたすぐに歩けなくなる。でも原因もわからない。リハビリをしてもいいのか悪いかすらわからないし、動いた方がいいのか寝ていた方がいいのかもわからない。ただただストレスだけが溜まった。

 「いい整骨院知ってるけど、行ってみたら?」
 整形外科の先生も教えてくれた知り合いからの連絡だった。もう藁にも縋る思いでその日のうちに行くことにした。予約がすぐ取れたのはラッキーだった。

 こじんまりとした整骨院で、最初にやったのは足の重心を調べることだった。
「これでけっこういろいろわかるんですよ」
 そう言われながら、真っ直ぐに立って、姿勢を良くして写真を撮ってもらった。

「あ、これわかりやすいですね、原因もわかりましたよ」

 整骨院のお兄さんが神様に見えた。いろいろと施術してもらったが、要約すると以下の通りだった。
・右後ろ外側に重心が極端に寄っている
・全体的にとても後ろ外側重心
・足の親指を使って歩いていない
・その結果体の外側の筋肉だけを使っている状態
・お尻の筋肉(梨状筋)がつっているような状態になっている
・梨状筋だけじゃなく周囲の筋肉もガチガチ
・病名?としては梨状筋症候群


 三つ目が特に私には重要だった。足の指にほとんど負荷がかかっていないことを示す写真を眺めながら、私は一つだけ質問した。

「足幅が狭くて、あわない靴を履いてるって関係ありますか?」

 答えはイエスだった。

私の足と靴について

 ここからの話は今回の足の痛みとはあまり関係のない話になる。
 皆さんはパンプスを履いたことがあるだろうか。パンプスに持つイメージは人それぞれだと思うが、私にとってはあの靴は「お洒落は忍耐」の極みみたいなグッズだった。

 就職のために履いたパンプスは、一歩歩くごとに脱げた。階段を登ればストラップがついててもスリッパ状態だったし、走るなんてもってのほかだった。足の指で靴底を掴むようにして、常に踏ん張らないとまともに一歩前に進めないそんな靴、それがパンプスのイメージだった。
 そんななので、私の家にはお出かけ用のパンプスは一足もない。一歩歩くごとに脱げる機能性の皆無な靴を履くのは修行しないと無理だと思っていたし、パンプスを履いて街に出かけている人は足の指の力がものすごい強いんだと数年前まで本気で思っていた。
 例のパンプスへの運動が起きた時も、外反母趾とかじゃなく「あんな歩けない靴じゃ仕事できないもんなぁ」とか呑気に考えていた。

 お察しの人もいるかと思うが、私の足は足幅が狭い。あまりにもパンプスが合わずいろいろ探していた時にようやく足幅という概念に出会い、自分の足幅がBワイズという市販品にあまりない幅であることを知った。思い返せばしっくりくる思い出はいくつかある。小学校のスケート教室では、貸し出しスケート靴がいつものサイズでぴったりだったし、新品のスニーカーの靴紐はいつも二重に結ばないといけないほど余った。

 この足幅という概念、就活のパンプスまで出会わない人も多いのではないかと思う。小学生や中学生の時に、靴屋にお似合いですよと言われるままに買った可愛い靴がするんするん脱げまくってまともに歩けなかったらこういう靴は私向きじゃないんだとかわいいスニーカーや楽な靴を探しに行く人も多いと思う。私はそうだった。

 整骨院の先生曰く、足幅が狭くて、足に合わない靴を履いていると、靴の中で足の指を広げて、靴に足を合わせるようにしてしまうケースがあるらしい。おかげで私は歩き方が変と言われ続け、後述する様々な不利益を被った。

 シューフィッターという言葉を普段の靴の売り場で見たことが、聞いたことがあるだろうか。私はない。そもそもシューフィッターがいることでブランディングしている靴屋がいる始末なので、普段履きの安い靴屋にいるわけがない。足の測定器があればいい方で、大抵は新作のスニーカーやら根拠のない歩きやすい靴やら無責任に足幅ゆったり楽ちん靴なんかを売っている。
 足幅という概念が子供の頃にあれば。シューフィッターが靴屋にいて当たり前であれば。世の中の靴屋を呪わずにはいられない。買った人間の健康を害することなんて1ミリも考えていないバイトしかいない靴屋なんて滅びてしまえ。私のかわいい靴が履けなかった青春を返せ。私が体育で嘲笑われたあの悔しさを贖ってくれ。それができないならせめて今の子供たちの足にその売りつけようとしている靴があっているのかちゃんと見てから売ってくれ。無責任に足幅が広ければ歩きやすいと宣伝するのをやめてくれ。古いデータで足幅の広い靴ばかり売り続けるのをやめてくれ。現代の人間にあった幅の健康的に歩ける靴を売ってくれ。さもなくば関わった人間全てまとめて地獄へ堕ちろ。


歩き方を変えてみて

 足の親指を使わずに歩いていた私がまず始めたのは、親指を意識した爪先立ちである。最初は左足の親指なんかはまともに曲がりもしなかった。ここ数日やってみて、初めて「立ち仕事でヒラメ筋が痛い!」の意味が理解できた。皆さんはぜひ逆に親指を使わずに歩いてみて私が体を痛めたのを理解してもらえたら嬉しい。

 私のこの特徴的な歩き方を家族で試していて気付いたのは、走るのが信じられないほど遅かったのもこれのせいではないか?ということである。足の指に力が入っていないので当然地面を蹴る力も弱い。重心がどうしても後ろに行くので、前に進むのにいらない力がかかる。
「あんたが幼稚園のかけっこでにこにこのんびり走ってたの、全力だったんだね。ごめんね。」
 母に謝られた。

 走り方教室では腕の動かし方などは教えてくれるが根本的な歩き方が間違っていたらなんの効果もないのである。

 歩き方が変、上から引っ張られるようにして、一本の線の上を歩くようにするといいんだよ、と言われて何度も直そうとして意識したのにうまくいかず母とよく喧嘩したのも、お互い徒労だったねと笑った。笑ってネタにするしかない。
 ちなみに上のアドバイスを私の歩き方でやると平均台を背伸びして歩いているような感じになる。体操選手気分である。

 長い人生の中で(私は長生きしたいので)、20代のうちに歩き方の狂いに気がつけたのはラッキーと思うしかない。ラッキーだけど、走るのが苦手になることで染み付いたスポーツへの苦手意識は、たぶん一生消えない。

最後に

 とにかく、やっと原因がわかったので、まだ痛みは消えていないものの心理的なストレスがだいぶ改善された。歩き方の矯正という具体的な目標もできたことで、痛みと闘っている気持ちになれるのもありがたい。

 痛すぎていろいろな人に八つ当たりをした。こんな長々とnoteを書いたのもフォロワーさんに経緯を話したいなーと思ったのが大きい。かなり八つ当たりした。ごめんなさい。こんな私ですがこれからも仲良くしてくれたら嬉しい。

 リハビリのつもりで、歩き方の矯正を全力で頑張りたいと思う。すでに頑張りすぎたのかふくらはぎが痛い。「ここまで我慢しちゃダメですよ!」と言われた反省がさっそく生きていない。明日はのんびりしよう。

長くなってしまいましたが、読んでくださった方はありがとうございました。


靴を売ることに関わっている皆様へ

 お仕事ご苦労様です。いろんなお客さんがいるし、クレーマー対応なんかもあるでしょう。しかし、市販の靴のせいでここまでのことになったからにはお伝えしたい。あなた方の業界はどうなっているんですか。

 Kutoo 運動が流行った時、足幅に合わない靴を履いているからだ、という意見も見られていました。あれだけ靴が槍玉に上がった事件です。当然情報は集めたと思いますが、あの時に出ていた足幅についての情報は共有されているのでしょうか。

 高い靴を買うような年齢になるまでには自分に合う靴のサイズ、ワイズを理解できているようになるべきではないのでしょうか。シューフィッターがいたとしても品出しとレジだけで全然フィッティングしてないなんてこともよくありますよね。うちにはお客様の足に合う狭い靴はないですと正直に言わずにどう考えても合っていない靴にクッションや靴底、バンドをセットで売りつけていることもありますよね。私はこれで2回高いパンプスを無駄に買わされました。

 靴の足幅での選択肢の狭さもおかしいと思います。足幅の狭い人も増えているのに、消費者への説明を怠り、その時は楽だけれど後で腰などを痛める可能性のあるゆるい靴を売りつけて楽しいですか。

 靴を取り巻く環境がよりよくなることを祈りながら筆を置きます。

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