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[短編]ノラの「小舟」[AI画幻想]

『水の書』というものがある。水を媒体にした情報ファイルだが、わたしには読み取れないので確かなことはわからない。ただ、ヘレン・ケラーは水が読めたと、その人は云っていた。彼女がはじめて言葉を理解した場面、「ウォーター!」と叫んだのは水の記録を読み取れた感動だったのだそうだ。

 その『水の書』によると、ノアが箱船を建造している間、世界各地の「ノラ」たちには「小舟」を作るよう「声」が届いたそうだ。むろん、『聖書』にはそのような記述はない。トンデモでもいいから聞きたいという方だけが聞いてくださればいい。

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 『水の書』の「ノラの小舟」の物語……

 ポイントは「ノラ」たちと「小舟」が何を指しているのかと云うことだ。
 明確な説明はなかったのだが、文脈から判断すると、「ノラ」というのはある種のタイプらしい。住んでる場所はもちろんのこと、民族も職業も宗教もバラバラだからだ。共通点は自由を求める気風が強く、群れることを嫌うことだった。
 大きな組織には属さない。集団行動はしない。束縛の強い職業にもつかない。ひとりで食べていける特殊な特性を持っているか、あるいは物乞いも厭わない変わり者かそのいずれかということになる。

 カムイは世界各地に存在したそんな彼らにメッセージを送ったそうだ。「カムイ」も神のことだが、『聖書』に登場する「神」は唯一の存在なので、カムイと呼んで区別する。
「神」はノアだけに大洪水の予告と避難方法を教えたが、その際、大洪水が起こる理由も説明した。堕落した人間を淘汰するためと。
『水の書』も、その点に関しては一致している。ただし『水の書』によるとカムイがそれを報せた相手は一人ではなく世界各地に何人もいた。また避難方法は「箱船」ではなく「小舟」だった。そこが大きく異なっている。
 どうしてそんな違いが生じたか? ある程度の察しはついた。「神」はノアの家族を除くすべての人間を淘汰の対象にしたが、カムイはこう語っている。

「自分で考えることをやめ、カムイではなく誰かの云うことを鵜呑みにしたり、損得で生きるようになった人間たちを淘汰することにした」

 つまり自分で考えたり、お金に惑わされない者たちについては、淘汰する必要がなかったということだ。云い換えれば、「ノラ」とはそのような種類の人間たちだった。

 ただ、文字通りの「大洪水」だと、それこそ「箱船」に乗り込んだ者以外は助からない。「小舟」程度ではどうしようもない。してみると「大洪水」というのは比喩っぽい。「大洪水」が比喩なら「小舟」もまた然りだ。

 おりしも現在、世界は大きな危機に直面している。パンデミック、環境問題、核戦争である。いずれも短期間で世界を破滅させる危機だ。
 それに対する備え、ハイテク・巨大シェルターの建設も相当進んでいる。種子の保存など完了しているらしいし、さまざまな生物の保存もDNAなどの形で行われているのではないか。まさしく現代版の「箱船」だ。

 では「小舟」とは何か? 小さな個人シェルターか?

 そうではないと思う。大勢の人間がいる場所に小さなシェルターなどあればどうなるか? まず暴徒に襲われる。要塞では無いのだから、わずか一人二人にでも外から何かされたら終わりではないか。
 では、人目に付かない辺境の地に秘密裏にシェルターを作ればどうか? よしんば作れたとして、いざという時にそこまで辿りつけるのか? 辿り着けたとしても、ほかに誰もいない場所に長期間、籠もるのは相当のストレスだ。よほどの変わり者でもなければ耐えられないと思う。

 その点、「ノラ」たちは変わり者なので適性はある。しかしシェルターの建設にはいくら小型と云えども相当の資金がいるわけで、気ままに生きている者たちには手が届くまい。

 比喩としての「大洪水」から、糸口を探ってみよう。
 たとえば、核戦争が起きたとする。世界を何十回も破壊できるだけの核弾頭があるそうだが、特権階級は必ず自分たちの居場所は確保する。いくら充実したシェルターがあっても、特権階級が好むのはあくまで地上の楽園だ。つまり、汚染されない場所はどこかに遺されるということだ。
 パンデミックはどうか? 目に見えない脅威という点では放射能被害に似ているが、しかし感染であれば辺境や孤島には及ばない。都会は絶望的だが、僻地なら人が押し寄せるリスクも小さい。
 では環境問題は? 具体的な困難は、たとえば食糧危機やエネルギー危機として発生する。であれば、自給自足が出来れば難を避けられる。文明生活がなくとも平気な人たちであれば電気も不要だ。

 そう考えてくると、なんとなく「小舟」の正体が見えてきた。僻地に移動するためのツールである。
 といっても乗り物ではない。おそらく精神的なものだ。僻地を目指し、そこに留まろうとする精神……。

 変わり者に対して「浮いている」と云われることがあるが、大衆から離れて暮らすことが避難になるなら、むしろ「浮」かねばなるまい。

 大衆を洪水に喩えれば、
それに呑み込まれないハートが「小舟」ではないか


 もっと具体的に説明して欲しい?

 やってはいけないことならすぐに思いつくはずだ。
 マスコミの情報から距離を置くこと。量産された加工食品は食べないようにすること。そのほか、みんなが持っているから持っているというような物、みながやってるからやってるという習慣は、すべて見直す必要がある。
 スマホぐらいいいでしょ? クルマがなければ生活できない……などと思う人は大衆から「浮く」ことは難しいと思う。群れの端っこに移動する程度のことであれば、「大洪水」の備えにはならない。

 まあ、それもこれもカムイが堕落した人々を罰しようとしているとすればの話である。世界の多くの人々がすでに堕落している、という場合の話だ。そんなことはないと思えば、少しも案じることはない。

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