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[ひとりごと]小僧の治癒神

『小僧の神様』というお話がありますが、これから話すことはその類いです。世間の狭い、頭の良くない井の中の蛙が、すごいと思った話です。

信頼出来る人から聞いた話。
 その人は金融関係の仕事で、若い頃、大金持ちにかわいがってもらっていました。その時の見聞です。

末期のがんが治った
 一度、その治療に立ち会わせてもらったそうです。
 患者はお金持ちの奥さん。がんでした。四十年くらい前のことです。
 医者にさじを投げられたので、名人を頼むことにしました。医者ではありません。お金持ちの世界には、特殊な人たちへのツテがあるようです。
 初老のその人物は、布団に手を差し入れ、脇の辺りをもぞもぞとやっていたそうです。マッサージなのか、気功なのかそれ以外の秘術なのかわかりません。どれだけの回数やったのか、毎回、同じだったのかもわかりません。
 ともかく、その奥さんは快癒しました。

スポーツで痛めた膝が治った
 それはその知り合い自身の奥さんのこと。趣味のテニスで膝を痛め、日常生活もままならなくなり、いくつかの病院や接骨院など診てもらったが、少しも治らない。
 そこでお金持ちに頼んで名人を紹介してもらいました。その人は片道三時間かけてやってきてくれました。治療の際には、激痛で絶叫ものだったそうですが、あっさりと完治。滞在時間二時間。料金は交通費含めて二十万円~ その人も医者ではありません。

 検証不能の伝聞です。バカバカしいと思えば、それまでの話。
 何となく気になったという人は、とりあえず中村天風さんの本を読めば、近いものがあるのではないかと。

 天風は豪傑でしたが病を発症(結核とも自律神経とも)、アメリカ、ついでヨーロッパに渡って名医を探しました。しかし、どこへ云っても解決せず、途方に暮れていたところで、インドから来ていた老人と出会い、そのままインドについて行きました。
 老人はヨガの大家でした。しかし、これといって何もしてくれなかったそうです。天風は信者のように雑用に明け暮れる生活をすることに。雑用はいいとして、食べ物があまりに粗末でそれには閉口した。たまりかねて、これでは衰弱する、せめて卵でも食べさせてくれないかと頼んだら、老師はこう答えた。

「自分の了見で治ると思っているのなら、そうすればいい」

 結局、天風は、二年だか三年だかかかって元気を取り戻し、帰国後は、しばらく実業界で活躍しましたが、突如、思うところがあり、統一哲医学会を創設(後に、「天風会」)。健康への啓蒙活動?を行いました(身体運動を伴った呼吸法・体操法・坐禅法を学ぶ行修会などを開催)……。日本におけるニューエイジの先駆者という見方もあるので、そういうところでも好悪が分かれるかも知れません。
 また、戦後に活動した人物なので、伝説化されておらず、批判的な見方も多くあるようです。云うことがいちいち大風呂敷だとか、小細工をしていたとか。その意味では、一般向きではないかもしれませんし、今の科学と合致しない部分が多々ありそう。しかし、信奉者はいた。それも事実。ご縁がある人にはあるということではないでしょうか。

 何が云いたいか?

 どのような難病でも治る可能性はあるということ。
 庶民にとって名人に治してもらうことは現実的ではありませんが、治るなら、方法があるということです。
 名人のように短時間で治すことは不可能だとしても、方向がつかめれば、コツコツやることで治せるかもしれません。

 なんとも頼りない話ですが、逆に考えてみます。

「治らない」というセリフを口にするのは誰か?

 治せない人ですね。

 その人が誠実な人なら、こう云うべきなんです。

「わたしには、治せません」

 あるいは、「標準医療では、治せません」ですね。
 でもそれって、古典で云うところの「下医」なんですよ。
「中医」なら、ほかを当たるよう勧める。

 治る可能性が皆無であるかのように印象づけておいて、対症療法に誘導するというのは、ブラックに近い行為だと思います。

 今回の〇ンデミックでもそうでしたが、厄介な恐ろしい病気だと、全力で解説する。そうして不安を煽るだけ煽って、○○しか対策はないと誘導するのは、まるで狩りのようです。
「わからない」と云わずに、かくかくしかじかだから、絶対に治らないという云い方をするのが、現代医学。治せないくせに、自信満々で治らないと断言する。おかしくないですか?

 たとえば、これが経営コンサルタントだとしましょうか。
 お宅の会社は絶対、倒産します! わたしには改善できません!
身売りするしかありません!
 そういう経営コンサルタントの話に乗りますか?

 これは健康への執着を煽りたくて云ってるのではありません。
 人任せにしないで、やれるだけのことはやる。それだけ。
 結果については自分ではコントロールが出来ません。
 医者だってそうなんですよ。
 ある救命医は、助かる人はどんなに絶望的な状態でも助かると。そうおっしゃってます。反対に、よもやという人があっさり亡くなることもあるそうです。その明暗を分ける理由は、今の医学ではわからない。

 老人ホームでも、そうです。トップクラスの健康の持ち主が風邪であっさり亡くなられることもあれば、入った時にすでに寝たきりの人が三年経ってもそのままだったりする。軽度の認知症の人が、のらりくらりと長生きされて、聡明な人が半年くらいで錯乱するとか。老人ホームに合う合わないと云うこともありますが、命はわからない。

 合う合わないと云うことなら、転地療養が最大の切り札だと思います。生活要因と環境要因の両方を大きく変える。昔の医者がそれを進めて、今の医者でそれを勧める人がほとんどいないというのが、誠実性を疑わしめる一番の要因かな。

 ただ、いずれにせよ、大きな意味では上手くいくと思います。
 病気が治らなければ、それより大事なことがかなえられる。
 わたしはそれを信じたい。

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