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[暮らしっ句]蝉時雨[俳句鑑賞]

 公園の遊具ひつそり 蝉時雨  大石登志美
 人の影見えぬ校庭 蝉しぐれ  村重香霞

 最高に喧しいはずなのに静寂を感じることがある…… 現代なら工事現場などでも経験できますが、蝉時雨はその代表。
 今回、たくさん俳句を拝見していて思ったのは、そういう経験は多くの方がされていて、作品はたくさんあるんです。でも、月並みな感じがしない。いちいち共感されました。
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 蝉時雨 石段に腰かけてゐる  平田倫子
 蝉時雨 中心に椅子置いてあり  中村昭義

 夏の暑い盛り、ベンチもないところでつい腰をおろして休憩したという経験はありませんか? そして一休みのつもりがそのまま、しばし過ごしてしまったと。どうせなら見晴らしのいい場所や気の利いたお店で過ごせばいいものを。
 でも、「何もない」とか「無為」とか思ってしまうのは「日常脳」であって、命の深いところでは、それがとても大切な時間だとわかっていたのかも。いうなれば瞑想のような時間。凡人なんかそういう機会でもなければ、無心になれませんから~

 そしてそういう感覚で下の句を見ると、「椅子」というのが観念的なものかと思えてきます。要するに「我」の失せた自分のことを「誰も座っていない椅子」と詠んだのではないか。不在の在……。
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 一山が真空となる 蝉時雨  橘沙希

 自分が無我になるというのは、別の云い方をすれば世界が真空になるということなのでしょう。インドにも蝉はいるんでしょうか? 祇園精舎も蝉時雨に包まれていたりして。
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 岬まで 長き道のり蝉時雨  滝鼻渓水

 岬って交通の便が悪いので、気をつけないと延々と歩かねばならなかったりします。ま、わたしの場合は帰りだったんでトリップすることもありませんでしたが、行きで長時間歩くとなると、想像しただけでぞわぞわします。だって、目的地が「果て」なんですから。それ以上先がないんですもん。まるで人の一生みたい。
 まあ、若い頃はそんなこと考えないか。歳をとるとつい人生に重ねてしまいます。終わりに向かって歩く旅路。中途で倒れるのもいやだけど、ゴールに着いてもその時は倒れる時……。

 ちょっと陰気な話になってしまったのでパワーをいただきましょう。

 蝉時雨 鳴きたきときは わつと泣け  鈴木榮子
 もう止めることの出来ない 蝉時雨  黒田美恵子

 単なる威勢の良さではないですね。尋常ではない力強さが感じられます。
わたしはこの句に近未来を見た気がしました。
 あまり云いたくありませんが、おそらくかなり酷いことになりそうです。
 ……二人に一人が癌になるのが当たり前みたいになってる感覚。延々と薬を飲み続けることに疑問を感じなくなってる感覚、これに定期的なククチンやマスクや消毒の常習が加わって、さらに病気が増えて超過死亡が増えて…… それでもまだ泣かない人が大多数。哀しみのダムが決壊しないのは強さのせいか、それとも悲しいという感情が干し上がっているのか。

 あまり適切なたとえではありませんが、某元総理大臣の金庫番が自殺したとき、報道陣にコメントを求められた元秘書長だったのかな。貫禄があって評論家になってたと記憶しますが、その人が瞬間的に嗚咽して「もうたくさんだっ!」と吐き出された。当時の政界にはまだ人間がいた。今、そんな姿を見かけます? 感動的な弔辞が聴きたいんじゃない。丁寧な説明が聴きたいんじゃない。打つフリをしてもいいですよ。出来るだけたくさんの人に打って欲しいと頼んでもいいですよ。でも、心があれば泣くでしょう。だって、●んでくれということなんでしょ?
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 蝉時雨 只ひたすらに 歩くのみ  水谷ひさ江

「!」



 出典 俳誌のサロン 歳時記 蝉時雨

蝉時雨
ttp://www.haisi.com/saijiki/semisigure1.htm



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