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[暮らしっ句]つばめ[俳句鑑賞]

 つばめ来る 悼みの軒と知らずして  宇都宮滴水

 ちゃんと黒着て来ましたよ~とツッコミたくなりますが、たぶんその反応は想定されていたこと。撒き餌のようなものですね。
 では、本意はどこにあるのか? 手がかり得るためにこんなふうに置き換えてみます。

 子が遊ぶ 病人の軒と知らずして

 こうすると「困ったものだ」と「無邪気」が混在していること。「仕方がない」と「仕方がないで済まされるのか」という狭間が浮かび上がってきます。たぶんそれがこの作品の主題。
「病人の軒」とは、云うなれば、明日、死ぬともわからない運命。「知らずして」と「つばめ」で、それをまるで考えていないかのような人間の営みが暗示されている。「仕方がない」のか「仕方がないで済まされるのか」…
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 初つばめ 夜明けさびしき 歌舞伎町  淵脇護

 夜をものともしない不敵な不夜城。でも、夜が明けると、みるみる色褪せ萎んでいく……。連想されたのは現代社会。
 今日の繁栄など、自然からすれば、夜遊びのようなものかもしれません。束の間の饗宴。ナントカディーズという活動もはじまってますが、延命措置は延命措置。根治療法ではありません。そんなことはエリートたちもよくわかっていて、大改革のほうは密かにやっている。なんでこっそりやらなければいけなか? 情け容赦のない切り捨てだからでしょう。ま、うわさの範囲ですけど。
 この句から触発されたビジョンは、しかしそういうことではありません。ディーズでもリセットでもない。夜が明ける、それだけ。人間が何を画策しようと、朝が来る。どうします?
 朝が来たら起きて外に出て身体を動かす、基本はそれでしょう。そういう時代になるんじゃないでしょうか。
 個人的には、一般大衆は仮想現実で生きることになるのではないかと思ってましたが、この句から連想されたビジョンは、正反対。
 外で肉体を使って生きる時代…… もしそんな世の中になるなら、AIとの関係はどうなってるんでしょうね。AIは破綻する? それとも大多数の人間はAIの管理の下、エッセンシャルワーカーになる?
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 水平線の透明なる日 つばめ去り  三宅やよい

 この句も、手がかりを得るために少し言い換えてみます。

 水平線の透明なる日 ヒトが去り

 例によってトンデモ読みですが、
「水平線の透明なる日」とは、この場所はどうしようもなく荒んでいるけれども、はるか彼方には希望が見える。そんなふうに解釈出来ます。気づいた人から、この地を去っていく。そんな時代がはじまっているのでは?
 ただ「つばめ」とされているのがポイントで、「つばめ」の「去り」は、また戻ってくる「去り」。つまり、この文明から去って行くヒトも、この文明が終わればまた戻ってくる……。そんなことが暗示されているよう。もちろんそれは数年後のことではなく、数百年かそれ以上のスケール。
 過去にもそういうことが繰り返されてきたのではないでしょうか。人々が忽然と消えたかのような遺跡はいくつもありますから。
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 時の鐘 掠め小江戸の 初つばめ  斉木永久

「鐘」と「小江戸」ですから、あの町のことだと思われますが、「時の鐘掠め」にゾクッときました。渡り鳥って時空を越えてるんじゃないかと本気で思っていたのですが「時の鐘掠め」という言葉はまさにそのイメージ。

 ここで、俳句のトンデモ解釈について一席ぶってしまったのですが、それは別の機会に譲るとして、俳句鑑賞を続けます。

 つばめのような渡り鳥の神秘的なところは、時空を越えるかのような超能力を持ちながら、戻ってくること、巡回することにあると思います。新世界や未来に旅立つわけじゃない。
 わたしはSFにも疎いのですが、知ってる範囲で、これを強く表現されているのは新海誠監督です。彼の描く主人公たちは、この世界に強い疑問や危機感を抱きつつも、見切りをつけずに戻ってくるんです。どうしてそういう発想になるのか?
 おそらく、この世界の美しさを知っているからだと思います。捨てられないんですよ。たとえどんな絶望的な事態になろうとも。仮にこの世界が破滅しても、あの人は破滅する前の時間に戻ろうとするでしょう。

 トンデモ野郎のわたしがどうして俳句鑑賞が好きなのか?
 それもたぶん同じ感覚です。今回はじめて意識されました。新海さんは「ビジュアル的なこの世界フェチ」ですが、わたしは「平凡な暮らしフェチ」。ぼっちで浮世離れして生きているくせに、趣味は「平凡な暮らしフェチ」~

 ということで、最後はそんな作品を紹介して終わります。
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 初つばめ 土手の長きを たのしめり  早崎泰江
 魚河岸の朝湯の暖簾 つばめ来る  脇本千鶴子
 山里のポストは小さし 初つばめ  田中祥子  
 虫籠窓 つばめ親しく往来す  三村禮子
 猫の眼が つばめ追いいる わが日暮  北原志満子
 初つばめ 町に うはさの洋食屋  豊谷ゆき江

 いずれも、気づけば、それだけで半日は愉しく暮らせそうなひとコマ。
とても世界大戦が迫っているとは思えません。というか、すでに二度の大戦があったわけですが、このような平凡はそれを乗り越えてきました。

 今度もきっと乗り越えられる?

 そこが問題です。無差別破壊の試練を生き延びても、待っているのは収容所生活という可能性があります。今、ザザで起きていることです。一人の謀反人(ご本人は義士のつもり)を倒すために一帯を一網打尽にするということが行われていて、それを西側諸国の多くが事実上、追認、あるいは支援している。つまり、そんな非情の政策が世界中に適用される可能性があるということです。それを可能にする技術と無関心が、今の世界にはある。

 暗黒面を見ないで愉しむ、ということが普通になるかもしれませんが、俳句的な楽しみは、それでは得られないと思います。ささやかな愉しみ、喜びって、苦労知らずの人にとっては退屈で、気づきもしないことだから。
 ダークな面を見たり、つらい思いをするからこそ、ちいさなもの、ささやかな出来事に気づけるし、愛しくもなる。
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 思案して 飛べぬつばめを見る つばめ  池崎るり子

 ここに神の視線を感じるのはおかしいですか? 「飛べぬつばめ」とは「戦争をやめられない人」、そしてそれを「見て見ぬふりをする人」……


出典 俳誌のサロン 歳時記 つばめ
歳時記 つばめ
ttp://www.haisi.com/saijiki/tubame10.htm

見出し画像は、uranus_xii_jpさんの作品です。
ありがとうございました。




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