会話ができることに幸せを感じたお話。

見に来てくれてありがとう。

今回は、自分に話をしてくれることも、自分の話を聞いてもらうことも、何気ない日常の中で意識してみると幸せなことなんだよね、と気づいたお話。

先日妹と母と買い物に行ったと書いたんですけど、その流れで妹の家に行きまして、ひょんな流れから妹の仕事場であった出来事についてつらつらと話を聞いたんですよ。やれ、こんなことが大変で、こんな奴がいて、自分はこんな対応しなきゃいけなくてーみたいな。こういった話って、聞きたがらない人とか多いと思うんですよね。こう、適当な相槌を打って流してしまうみたいなことも結構あると思っていて。

話している相手が身内であるっていうのももちろんあると思うんですけど、その話が面白かったんですよ。んー・・・面白いって言うと語弊があるかもなんですけど、そういった話を自分にしてくれてるっていうのがちょっと嬉しくて。中身としては大変だったり、笑い話にするような内容ではなかったんだけど、ちゃんと向き合って真剣に話を聞いて、なるべく口を挟まないように意識して。そう、こういう時に勝手にアドバイスしたり助言するようなことをしてはいけないのです。ちゃんと最後まで話を聞くこと、求められない限り口を挟まない。これって会話するときにすっごく大事だと自分は思っていて。特に女性と男性って会話の流れと終着点に向かう思考ルートが完全に違うから、そこを楽しめる位の余裕がないといけないと自分は思っていて。男女のすれ違いなんてだいたいはお互いが話をちゃんと聞かずに自分の意見をぶつけるところからすれ違ってしまうものでして。
こんなふうに、自分に真剣な話をしてもらえたことが嬉しかったよっていうのが1つ目のお話。

2つ目は今度は自分がひたすら喋りまくったお話。先日、そう昨日なんですけど月1恒例の友人との集まりに行って、そのタイミングで1対1でぐだぐだと雑談するタイミングがあって自分が誰かに聴いてほしかった話題がいっぱいあって、まぁ止まることなく喋ってしまって。正直、相手が相手ならうんざりされてると思う。そういう自覚、あります。でもね、そこは長い付き合いなので自分がそういう性格で、喋りだすと止まらないのもわかってくれてるんですよ。で、しかもちゃんと聞いてくれたうえで自分の言葉で、自分の意見をくれるんですよ。昔からそう、もう十数年のつきあいなんですけど。本人には中々面と向かって言えないけど本当頭が上がらない程感謝していて。こういう自分の話をしても昔から一貫して変わらないというか、ぶれないんですよね。話は聞いてもそれに左右されない、客観的に物事を見れて、的確に判断して、みたいな。本当頭の回転が速い人で。彼と出会ってこういう風に関係を作ることが出来たことは自分にとって本当に宝物で。正直に思う、よく愛想つかさないで関係を続けてくれていると。だからといって、普段からめっちゃくちゃ気を遣うとかじゃないんですよ。あくまで自然体で一緒にいられるっていう。本当に、助かる。彼に救われた回数は両手じゃ収まらない程で。ありがたい話ですよ、本当。そんな人がいるっていうのは本当に幸せなことなのです。

こんな風にですね、話をしてもらえることも、自分の話を聞いてもらえることも1人じゃできないんですよ。そう、誰かがいてくれないと成立しない。だから、自分と関わって関係があって会話をしてくれるっていうのは本当にありがたいことで、幸せなことで。家族や友人と何気ない会話をする、これって日常的で、当たり前のようじゃないですか。でも、そんなことはなくて。聞き流すでも、仕方なく話しかけるでもなく、会話することが出来るって本当に幸せなことで。うん、ありがたいなって何度も思うのです。1人ではないっていうことを実感できることは心から、幸せなことだと。

ここで横道。自分は心穏やかで過ごしたいを意識し始めた頃に、人と過ごすことがあまりにも苦痛な時期があったんですよ。余裕がなくて、周りを見ることも出来なければ、自分が苦しいというか、なんでこんな気持ちで日々過ごさなきゃいけないんだろうって。だから、1人でいることが楽なんだって思い込んでた節があって。先の友人との集まりにも一時的に行かなかった(心理的にはいけなかったの方が近い)時期もあって。それこそ、会話できるような状態じゃなかったから。それも間違いではなかったって今では思えるんだけど、やっぱり1人では成立しないことっていっぱいあるんですよ。自分を立て直して、回復して、普通に過ごせる、せめて日常的に人と会話したりやり取りができるようになるっていうまでには1人になって自分と向き合ってっていうのが必要なんだって思うんだけど、その先。生きていくというか、自分が自分らしくいろんなことに挑戦したり、顔を上げようってなったら1人ではきっとどうにもならなくて。だから、今回こうやって会話ができるっていうことにも、それを幸せだって思える自分にも、ちょっとだけ良かったなって思えて。ほんの少しの自己肯定感というか、ここにいていいんだって思える状態なのが嬉しくて。

最後に、今友人や恋人、家族と何気ない会話をしている方がいたら、ほんの少しだけ、そう、なんとなくでいいと思う。そんな当たり前な日々に幸せを意識してあげると実感が増すと思うんですよ。あ、今幸せだっていう。最近の自分はどんなことにも、当たり前だなんてことはないって考えたり、思っていて。どんな些細な、当然のようにそこに存在するものも、決して当たり前じゃない。今そこにあるものと、それを見ている、感じている自分をしっかり認識してってきっと大変ですごく面倒なことだと思う。でも、それを意識すると、少しだけ優しくなれたり、自分の目指す、みなさんにもそうあってほしい心穏やかに日々をすごすということが、より現実味を増すんじゃないかなって思います。こういう記事を書くたびに同じことを書いているのだけど、自分も含めて、読んでくれたあなたも、それ以外の誰かも、みんな心穏やかな日々を過ごしていけますように。心から、そう願って。

では今回はこの辺りで。読んでくれたことに感謝を。それでは、また。

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