好きと需要と供給のお話。

見に来てくれてありがとう。

今回は自分の好きなものやこと、がこういう表現しかできないのが個人的には嫌なんだけどあんまり一般受けしないものが多いというお話。

さて、つらつらと書いていきたいと思うんですけど、自分て今までいろんなアニメや漫画なんかを見てきて、ニッチと呼ばれる作品が好きっていうことが多いんですよ。まぁ、それはこの後書きたいんですけど、逆に大衆向けというかタイトルを挙げれば大体の人は名前くらいは知ってるよっていう知名度レベルの作品で好きなキャラクターを挙げると、なんで?って訊かれたりするんですよ。人気投票とかで順位見たらまぁ上の方にいることはほぼないなっていうことが多くて。別に人気キャラを避けてるとか、逆張りしてるんでしょ?みたいなことではないんですよ。あんまりにもみんなが良いよって推してきてその圧に引いちゃって見ないなんてことはあるんだけど。

キャラクターとか人の好みってこういう方向の性格とか見た目とか似ているものを好きになりがちだと思うんですよ。好きになる傾向というか。自分にも例にもれずそういった傾向があるって思ってるんですけど、うわめっちゃ好き!っていうキャラクターはことごとく人気がないことが多くて。脇役というか出番が少ないだとか、サブになりがちなキャラクターばっかりなんじゃないの?と思われるかもしれません。いやいや、とある作品の主人公が好きだって見てたらその作品内の主要キャラの中でいっちばん人気なかったこととか平気であって。魔法少女リリカルなのはStrikerSっていう作品なんですけど(これシリーズ物の3作品目でシリーズの中でも作品として人気は1番なかったと思う)なんならサブキャラで登場頻度少ないその主人公の姉がめっちゃ人気でそれこそ2次創作のイラストとか同人誌とかの数が多くてなんでや・・・なんでなんや・・・って思ってましたよ。0じゃないんだけど、本当少なかったなって。

自分の大好きな作品に、「かしまし~ガール・ミーツ・ガール~」という作品があるんですけど、この作品知ってる人、どれくらいいるだろうか。当時ですら本当知ってる人少なかった印象で、まぁはっきり言ってしまえば流行らなかったんですよ。ええ、そりゃあもう。結構いろんな展開されて、漫画、アニメ、小説、ラジオもあったしゲームも販売されたんですよ。PS2で。ゲーム機で時代が見えますねー。この作品20年前くらいの作品になります。簡単にあらすじを説明すると男の子だった主人公が色々あって女の子になってしまって2人の女の子と3人で恋愛的な関係で色々と葛藤していくお話。性転換ものっていうくくりなのか、百合ものっていうくくりなのかはちょっと自分には判断しかねるけど、全体的に各々の感情とか心の動きがメインでお話が展開していく作品で。媒体ごとに結末が違うんですよ。描写もだいぶ違って。自分はどれもそれぞれの良さがあって好きなんですけど、アニメはかじりついて見てました。メインキャストの3人なんて今でも現役で人気な方々なのに作品として本当に注目されなかったんですよねぇ・・・。
放映された12話で完結しなくて完結をOVAにされてその件でちょっとした炎上になったりもしましたねぇ・・・懐かしい。知っている人は知っている、あのね商法って呼ばれたやーつ。いまや知る人も、思い出されることもないんでしょうけどね。自分は悲しかったんですよ、作品が大好きだったからさ。いや、今も大好きですけど。

そうだ、なのはとかしましの話題だしたのでここでものすっごいどうでもいい話をしよう。自分、1度インターネットから距離を置くまでずっと紫奈(しな)って名乗ってたんですよ。今はtomariっていう名前でこんな風に記事書いたりしてるんですけど、この2つの名前ここからつけたんですよ。紫奈に関しては当時大好きだったなのはのメイン声優さん2人の名前を好きな漢字に変換して読み方を変えたもの。tomariに関してはかしましのヒロインから名前を借りています。本当誰得などうでもいい情報なんですけどw

話を戻しまして、こう自分の好きなキャラや作品って感情の動きとか心の葛藤とか、はっきりと文章とか言葉で表せないけど人を動かすような程の熱量を持った何かであることが多いんですよ。まさに心を揺さぶるっていうか。逆にそれを文章や言葉で表現できる人もいて、それはそれで好きなんですけど、それ以上の何かというか説明がつかないとか口でどうこうじゃなくて見て、聴いて、あなたが受け取ったその情報から判断してっていう訴えかけみたいなことが好きで。そういった作品とか、キャラクターの言葉とかって、受け取り手が考えないと意味とか面白さが全部は伝わらないと自分は考えていて。ただ見てるだけ、聴いてるだけでは入ってこないというか。だから、好んでわざわざ頭使ったり考えたりしてまでアニメや漫画を見たくはない、娯楽としてただただ楽しめればいいっていう層には刺さらないんだろうなっていう作品が好きなんですよ。お話としての展開や結末はこうって決まっていたとしても、そこにたどり着くまでのキャラクターの感情や思考って見る人に委ねられるじゃないですか。解釈の違いが生まれるというか。更にはアニメなら声優さんがこういうトーンや感情でっていう1人の意見と表現としてのものを見ているわけで。原作や漫画を見た時に自分はこういう感情だろうなって解釈だったとしても公式の映像化でこうだって言われたらそれが正解なんだって受け取る人がほとんどだと思うんですよ。いや、原作者がいてこのキャラはここではこういう気持ちで、なんて言われちゃったらそうとしかならないんだろうけど、自分は原作者がそう言ってたとしてもこのキャラはこの時こうだったんじゃないかって考えたりするのが好きなんですよ。自分の中のこのキャラクターの性格は、みたいな。原作あっての2次創作や自分のような妄想とか勝手な解釈だったりが生まれるんだけど、変な話原作者だって1人の人間だし、生み出された作品は作られた物語で、作られたキャラクターなわけじゃないですか。だったら、別に公式に従うだけが全てではないかなって自分は思っていて。原作を否定してるわけではないのでそこは悪い方に捉えないで欲しいんですけどね。ある意味2次創作なんかでは性格とか行動はその作者さんの思うそのキャラクターなわけで。

こういう考え方でいろんな作品に向き合うようになったのはやっぱりアイドルマスターっていうコンテンツに長年自分が寄り添ってきたのが大きいと思う。何せ自由というか、プロデューサーの数だけ同じ名前の違うアイドルが存在したわけですから。なんなら性格改変ってレベルじゃないものの方が多かったのでねwそういった影響が大きかったと思う。

なんか話がとっちらかってしまっているのでまとめようと思うんですけど、自分が好きだなって思うような本気で、考えたり追いかけたりさせてくれるものって、ただ楽しみたいっていう圧倒的大多数に刺さらないものが多い。だから、供給も少ないんですよねっていうところで。でも今回書いてみて思った。こうやって語れるような名前を挙げて語れるような作品があるのに少ないなんて言うのは違うんじゃないかって。ただ、大衆的なものの供給が多すぎるから対比で少なく見えているだけなんじゃないかって。満たされてはいるんだよなぁって。探せば好みのものに出会えているんだもの。足りないなんてことはないわけで。そう考えると、需要と供給の量って、今の時代は飽和してるんだなって思うのでした。本当は最後にこんな自分の好きっていうのが需要が少ないんだとかそんな風なまとめにするつもりだったんだけど、実際そんなことはないんだなっていうことに落ち着きました。はい。書くって大事だなぁ・・・。よかったらリリカルなのはシリーズやかしましという作品お勧めなので触れてみてください。今見ても、いやいつ見たって良いなって思ってもらえる作品だと自分は思っているので。欲を言えばかしましの方が是非見ていただきたい。人を選ぶ作品だけども。刺さらない人が圧倒的多数だと思うけども。うん、この作品について熱量をもって語り合える相手が欲しかったことを思い出した。そんな相手がいなかったんだもの。うん、好きを共有できる相手はいつの時代も、人が求めるものだと自分は思うのです。今日も需要や誰かの好きではない、あなたの好きがあなたと共にありますように。そして、心穏やかな一日が過ごせますように。

今回はこの辺りで。読んでくれたことに感謝を。それでは、また。

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