提示されたものと受け取る側の感覚のお話。

見に来てくれてありがとう。

今回は、「作者はそこまで考えてないと思うよ」と「受け取る側もそこまで深く考えないよ」という感覚について思い出したことと感じたことのお話。

その昔自分は人生だと言っても過言ではないアイドルマスターという作品と共に歩んでいた頃に友人2人と更にその友人の知り合いの人と一緒に劇場版アイドルマスターを見に行ったことがありました。自分はもう複数回見に行っていて、3人は初見…だったと思う。確か。見終わった後にみんなでご飯を食べようってなって映画の感想なんかを話したんですよね。もう、具体的な詳しい会話内容は全然覚えてないんだけどwそれでもこの日のことはすっごく印象に残ってて。だからこうして文章にできるんだけど。その理由が温度差をすごく感じたから。感想の温度差ですね。友人2人は当時の自分の性格やアイドルマスターとの距離を知っていたからある程度は汲み取ってくれてたと思うんだけど友人の知り合いには劇場版アイドルマスターっていう作品は刺さらなかったんですよね。だから、内容は覚えてないけど全然話がかみ合わなかったことだけは覚えてて。そう、途中で自分は伝えるというかここがこうで見たいなことを言うのを諦めたっていう。いや、その行為って押し付けだから迷惑だし、やめるのが正解だったと今でも思うのだけど。

自分は映画館に何度も足を運んだし、Blu-rayも買って何度も見直したし、なんなら1時停止して背景の数字やここにこれがあって、こういうシーンや表情とキャラの感情の動きが表現されてて見たいなところまで考えてたんですよ。監督さんやスタッフさんのインタビューとかこだわりのトークの文字起こしを読んで、また改めて見返したり。そこまでの熱をもって作品と向き合っちゃうと同じ熱量で向き合ってくれる人と相対しないと会話が成立しないんですよね。暖簾に腕押しじゃないけど、伝わらないし、届かないんですよ。これって作品から受け取る側までの距離も同じだと思っていて。どんなにエネルギーや時間や想いを込めた作品だって受け取る側が受け取るよ!っていう気持ちでないとそこに熱というか心を揺さぶるような・・・なんて表現したらいいんだろうな。言葉や文字にするとすごく陳腐になってしまう気がするんだけど最高!とか奇跡とかとにかくもう自分が自分でいられなくなるほどの高ぶりというか高揚感というか。そういう何かが生まれないし、成立しないんですよね。

でも、そういった作品って受け取る側には提示するものじゃないですか。どんな創作物であっても。受け取る側には自由に選んで、自由に感じる権利があって。だから、別に本気で向き合う必要がないんですよ。言ってしまえば娯楽だから。楽しめればいいわけで。自分もそういう気持ちで見てる作品はいっぱいある。それがどれだけ想いを込めて心底本気で提示されたものであっても。この距離というか温度感の差異ってどうにもこうにも埋めることって難しいよねって思っていて。

本当は自分が本当に好き、もう好きで好きでたまらないっていうのがいっぱいあればいいんだけど、自分にとっての70点とか80点の(その作品自体の評価ではなくて、あくまでその人にとっての)もので満足してしまうんですよね。それが目に入る場所や情報として自分に入ってきたら。自分にとっての100点、120点!っていうのを探す人って意外と少なくて。そこが少ないっていうことはその120点を同じように120点だって言って盛り上がれる人はもっともっと少ないわけでして。

こと、アイドルマスターという作品はこの「熱」を持って接していた人が多かったんですよ。特に自分と関わってくれた方々は。だから、すごく楽しかったし、充実した時間を過ごせていたって本気で、本音で今でも思っているし、その時間は宝物だって今でも自分で持っているのです。最高な時間と感情をくれたって。

自分がアイドルマスターという作品から離れて、現在はVtuberというジャンルに嵌って追いかけて、好きになっていく過程で、同じようにそういった方々を好きっていう人を数見てきたんですよ。実際にお会いしてっていうことは少ないから事実というか、本当のところなんてそういった人たちがどう思ってるかはわからないのだけど、自分が感じたのが、その熱意や想いが浅いなって感じることが多くて。めっちゃくちゃ失礼なこと言ってるっていう自覚あります。不快に感じた方がいたら本当にごめんなさい。でも、自分はそう感じることが多いんですよ。この人とお話してみたい、同じ熱量と感情のラインで話してみたいって思えた人はそんなにいなくて。

これはあくまで自分の考えですっていうのを先に置いておきたいんですけど、Vtuberさんって人間じゃないですか。感情を持った。だから、自分は配信でも、提示された作品でもどんな気持ちで、どんなことを考えてそこにいるのかとか、その作品を作ったのかっていうこととかまで考えちゃうんですよ。あくまで勝手に。答えなんて当人や本人にしか絶対にわからないことなんだけど。別に自分がそこまで推しのことを時間をかけて深く考えてすごいでしょ?偉いでしょ?みたいなそういったことは一切ないんですよ。本気で。そういうことは一切なくて。こうやって書くと逆に嘘っぽいなって自分でも思うのだけどw

歌ってみたの投稿とかのコメント欄を見てると、肯定意見しかないんですよ。可愛い、上手い、素敵、みたいな。それでいいんですよ。自分はね、わざわざ書かないし、人に話したりはしないけどその歌っている人と曲が合ってないなって感じればん…?って思うし、なにか違うな、とか違和感とかズレを感じたらそれが推しの歌ってみたでも最高だとは思わないし、全肯定ってできなくて。推しが提示してくれたものはすべて最高ですっていうのはそれってどうなんだろうって思う。推しが関わっている作品やグッズは全部集めるし、大好きだから買うよ!っていう推し方は素敵だと思うし、それも大きな愛やエネルギーなんだと思う。でも、自分はそこに賛同できなくて。難しいなあって思う。再生数や売り上げがなければ成立しないお仕事なんだからそういったファンの方が活動を続けるには必要じゃないですか。自分みたいにどんなに愛をもってこうでああでって表現したり口にしたって実際のところはお金にはならないわけで。その人には利益というか実利にはなれていないわけでして。だったら全肯定の推し活をにごちゃごちゃいうなよっていう話なんですけどね。

どこまでいっても各々の提示と受け取り方次第なので、正しいも間違ってるもないし、あくまで自分の個人的感覚で。もっと知りたいとか、その提示されたものが持つ意味とか理由とか感情とか知れるものを全部知りたいなって思う。叶わないんだけどwそれを知ったうえで自分にとって良し悪し、好き嫌いっていうのを判断したいなって最近よく思うんですよね。もっと知りたいっていう欲がすっごい強い。我儘なんですよね、結局。

こういう面倒な考え方や思考をしてますよっていうのを知ってくれたうえで同じようにVtuberさんが好きですっていう人と自分がそういった話題で盛り上がれたらいいのになって思うんだけど、自分で思う。こんな面倒な奴とわざわざ時間かけて語り合うこと程面倒なことはないってwもっとただ素直に純粋に真っすぐに推しが好きで応援するよ!っていうだけでいいんですよね、本当は。自分にだってその気持ちはありますよ、もちろん。ただ、好きを好きだけで終わらせるのをもったいなく感じてしまうっていうだけなんです。ああ、本当に昔から自覚もあってわかりきっていることなのだけど、自分で自分が面倒だwでも、そんな自分は嫌いじゃないのです。仕方ないね。さて、今日も自分も含めてみなさんとみなさんの推しが心穏やかに1日を過ごすことが出来ますように。心から。

では今回はこの辺りで。読んでくれたことに感謝を。それでは、また。

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