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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

トラペジウムという作品について語ります。というお話。

見に来てくれてありがとう。

始めに、今回の記事は映画、そして原作の文庫本の内容のネタバレを含みますので、まだ作品に触れてなくて、これからっていう方はご注意ください。そして、あくまで個人の偏った感想であり、良いことも悪いことも感じたままに書くので不快にさせてしまう可能性が高いことも置かせてください。

そして、ものすごく個人的な言葉を先に書かせてください。もし、この作品の映画だけを見てメインのキャラクター4人に対して、特に主人公である一番ヘイトを買い、嫌われてしまったと思われる東ゆうに対してなんだこいつと、見限ってしまった人へ。映画そのものが面白くなかったと思った人へ。心から訴えておきたい。活字が苦手でないのなら原作の書籍を読んでください。お願いします。きっと、印象が変わるので。作品として面白いか、好きか嫌いかはともかく、自分は、書籍の中の彼女たちは少なくとも、映画の中よりも生きていたと、息をして存在していたと思うので。もし、読んで大差ないよって思われてしまったらごめんなさい。それでも、自分は彼女たちの評価を映画を見ただけで終わらせて欲しくないと、心から強く強く思う。

はい、では作品の中身の話の前にざっくりと「映画」と自分について語ります。自分は事前情報は入れずに、主人公がアイドルを目指す話なんだということだけを持って映画を視聴しました。きっかけとしては自分の大好きなホロライブに所属している星街すいせい氏が主題歌を歌っているというところから興味を持って、見に行くことにした、というところで。友人に一緒に見に行こうと誘って。誘ったのは自分なのでね、先に座席予約で2枚分の料金を支払い、友人にはチケット代はいらないと伝えたんですよね。正直に言う。見終わった直後、本当に友人からチケット代をもらわなくてよかったと思ったこと。そして、この映画を視聴する「時間」を奪ったことを当人に謝罪したことを。そう、自分も友人もこの映画に対する評価は大体同じで。

いったい、なんの時間だったんだろう?何を見せられたんだろう?

面白い、つまらないという感想が出てくるならまだいい。そもそもの、いったいなんだったんだろうっていう感想が共通だった。これが最初。それでも、せっかく見たのだから中身について色々と思うところを言い合ったんですよ。自分は整理したかったし、せっかくなら友人の意見を聞きたかったから。結局ね、ちゃんと作品として褒められるところを挙げられなかったんです。悲しいことに。主題歌と声優さんの演技この人が良かった、くらいなもので。これは作品の中身の話にはならないじゃないですか。自分は、すごくもやっとしたんですよ。どうにもこうにも腑に落ちなくて。そこで、自分は原作の文庫本を買って読んだんです。その話は後ほど。友人との会話の中で、友人は中古で100円だったとしても、読みたくないとはっきりと口にしていて。ただ、自分は批判や批評というものを自分でこうして文章にするなら、映画だけで終わらせない方がいいのかもっていう可能性を信じたかった。だから、ちゃんと本屋さんに行って正規の値段で買って読みました。映画を見た、翌日に。悔しいって思っていたから。

ここからは映画の中身について。自分は映画を見て感じたことが大きい部分でいくつかあって、まとめるとこんな感じ。

1つ、キャラクターに対して制作側の愛情を感じなかった
2つ、演出、描写で初見に伝えるには説明が圧倒的に足りない
3つ、結局、この内容で何を伝えたくて、なにを表現したかったんだろう

1つ目。もう本当これに尽きる。どのキャラクターもね、視聴者に好いてもらおうっていう気持ちが感じられないの。おそらく、一番愛されキャラであろう、くるみちゃんでさえ、自分にはそう見えなかった。主人公のゆうに関しては、そりゃあ嫌われるだろ、そう描かれてるんだもの。びっくりしたよ。こんなに嫌われるように描かれる主人公いる?って思ったくらい。自分が思うそう感じる理由がはっきりと1つあるので聞いてほしい。作中で、ゆう自身が「アイドルになりたい」っていう本質の部分が全く描かれてないんですよ。アイドルに執着していて周りを巻き込んで好き勝手やりましたっていう情報しか提示されてないの。アイドルに憧れたであろう描写は1瞬。自分がアイドルになろうと努力している描写はほとんどなく、セリフで、受けたオーディションに全部落ちていたっていう情報だけ。なのに、映画の宣伝文句というか、紹介文は「アイドルを目指す高校生の物語」一致しないの。作品の中身と。映画見てる時に本気で思った、彼女は本当に「自分が」アイドルになりたいと思って行動しているようには見えない、と。そこが芯というか軸の筈なのに。嫌われて当たり前だと自分は思うよ。自分の信念や目標、夢の為に人を巻き込んだり、我を通しているなら、もちろん反感やなんだこいつ?っていう人が多数いても仕方ないとは思うけど、その理由に執着している、こだわっているのなら、そうなることにも、そのキャラクターにも理解や納得を示してくれる人は少なからず存在すると思う。自分は、ゆう自身が何が何でも、どんな手を使ってでも「自分が」アイドルになるんだっていう感情や想いが汲み取れる表現がもっとあったならもう少し素直にこの映画を楽しめたと思う。先に書いた通り、ただ好き勝手やった女の子に見えてしまっていたから。もちろん、作中でセリフとして使われていた、可愛い女の子がアイドルになりたいっていうのは口にしなくてもみんながみんなそう思ってる筈だっていう思い込みでの行動なんかは目に余るものかもしれないけど、自分がそうなりたいが故に他もそうだって思い込んでるキャラクターと、それが見えないキャラクターではその意味合いは天と地ぐらい違うと自分は思う。本当に、ただの自分勝手な女の子にされてしまっていたと、自分はそう感じた。

2つ目。これが1つ目から繋がる部分。演出面での状況説明が圧倒的に少ないというか、わかりづら過ぎるし、足りてないと思う。自分は1度しか見ていないから、見逃してるとか、ちゃんと確認したら描かれていたのかもしれないけど、映画って基本好きだったり、もう1度見たいって思わなければ1度きりじゃないですか。なら、その1度で伝わるようにするのが基本なわけで。だとしたら、場面の転換や天気の描写で雰囲気や感情を汲み取ってね、は雑過ぎると思う。もっとキャラクターの表情だったり、動きだったり、感じられる部分をピックアップして魅せられる部分はいっぱいあったと思う。だから、東ゆうのアイドルになりたいが感じられなかったし、他の3人の感情の動きがセリフで補填されていたのにも関わらず、活動に対する気持ちの変化の時間経過の距離が全く見えないの。どれくらいの時間でこんなことがあって、どうなっていったのかの距離と時間がほぼ伝わってこない。服装の変化や外の景色の描写でこれくらいっていうのを表していたのかもしれないけど、活動して3人が辞めるってなってっていう時間てそんなに長い時間じゃないじゃないですか。だとしたら、なおのこと変わっていく描写がないと伝わってこないんですよ。華鳥とくるみのやり取りが数回描かれたけど、そのあとくるみが限界迎えたのだって突発的すぎるし、状況の説明が一切ないわけで。あれ疑問に思いませんでした?なんで1人だけ別の場所であんな状況にあって3人は別の場所にいたんだろうって。説明ないの。手前のクイズ番組の収録で答えられなかった部分だってさ、シーンとして挟んでるだけであれも理由の一つなんだよって気づけなかったよ。自分は。工数や時間の問題?そこは視聴者が考慮する部分じゃないよね、お金払って完成した作品を見てるんだから。きつい言い方かもしれないけど、枠と時間が決まってるならその中で完成させたものが作品で。だったら、全体的に自分は足りないって思う。圧倒的に視聴者に優しくない。あの演出と表現から全部汲み取れっていうのはどんなに感性が鋭くたって厳しいと思うよ。自分は。だって、見逃すまいとしてそういった表現まで汲み取ろうと思って自分は見てたんだもの。でも、わからなかったよ。自分に理解力とストーリーの読解力が足りないのでは?って言われたら否定はしない。でも、それを踏まえてもなお、優しくないって思うよ。本気で。

3つ目。これが映画に対しての本音。2つ目から繋がる部分。説明や演出が足りないと思う、の具体例を自分が気が付いた部分で挙げてみる。スタジオで歌っている4人のシーン。練習シーンとかをざっくり挟んで、丸々1曲時間使って3Dを混ぜて見せてたけど、なんであんなに行ったり、来たりなの。あの数分間の印象ものすごいちぐはぐなの。びっくりしちゃった。しかも、4人の動きがね、差異がないの。ダンス経験や運動神経、練習時間等々含めて絶対にもっと動きに差異が出る筈なのに、みんなほぼ一緒なの。同じ人が作ったんだろうけど。しかも、おそらくあのシーンは1個目の見せ場だったはず。主人公含め、アイドルとしての成功している最大点を見せる部分の。だとしたら、ちょっとお粗末じゃないかい。予算や工数かい?詳しいことはわからないよ。自分はどうせなら、もっとちゃんと彼女たちを魅力的に描いてほしかったよ。素人の女の子が練習して歌って踊るって、あんなに綺麗に揃わないでしょ。リアリティの問題じゃないよ、魅せ方の話。
解散した後、番組のCDが発売されて集合して、ゆうが諦めないでアイドルになる夢を追うってなって突然のシーン切り替え〇年後のインタビュー。今までちゃんと見ていて、そのシーンを見ればわかるよ、ちゃんとアイドルになって成功してインタビューを受けているんだろうなって。理解はできる。でもさ、じゃあなんで普通の洋服でインタビュー受けてんの。一瞬ポスター映してそのアイドルグループに所属してるんだろうな、と思わせてる描写。わかるよ、ちゃんと今まで見てる人ならそう判断するでしょう。ただ、あれ気づかない人、いてもおかしくないと自分は思うよ。一瞬、自分はアイドルじゃなくてタレント、もしくは芸能人として活動してるの?って思ったもの。1瞬のカットでもさ、成長したゆうのアイドル姿見せるとかさ、してもよくないかい。そして、これ。ほんっっっっとうに引っ掛かったこと。作中に出てきた車いすの女の子にアイドルになるよって約束して、アイドルになった後の2人のやり取りというか、描写がないの。なんであんなにちゃんとシーンとして描いたのに放り投げた?ラストシーンの写真展で集まるシーン。なんで、あの写真展で集まったの?説明、なし。久しぶりの再会であろうことはわかる。でも、真司とやりとりしたのくるみだけなの。あーーーんんなに散々喫茶店や外でのゆうとのやり取り挟んで。この成長挟んだ数年間の間に連絡を取っていたかどうかは知らないよ?でも再会したならゆうと真司のやりとりはあってしかるべきじゃない?別に、色恋だの恋愛的なやりとりがーじゃなくてさ。再会して微笑みあうくらいでもいいんだよ。ちょっとした1対1のやりとりがあってもよくないかい。いらない?そう思う人もいるかもだけど、自分は違和感あったんだよ。そしてラストシーン、各々が自分なりの幸せを見つけてハッピーエンドとなるわけですが、結局、この物語で何を見せたかったの?何が言いたいの?って自分はなっちゃったんですよ。「アイドルを目指す高校生の物語」目指してる部分描かれてないんだもん。素人として1度アイドルグループの一員になって、挫折して、次のシーンではもうアイドルとして成功してるの。どういうことなの・・・?自分が感じた、という点ではさ先に書いた通り高校生の時には、ゆうの自分がアイドルにっていうのを感じられなかったし、挫折した後のアイドルになるまでの描写カット。ないの?なんで?描かなきゃなのってそこじゃないの?全体通して何を見せたかったのか全然わからないよっていうのが本音なのでした。

はい、映画の話は終わり。ここからは原作の単行本を読んで、の話。最初に書いた通りじゃんじゃんネタバレするので読んでなくて、読むって方は回れ右してください。よろしくお願いします。

はい、この原作の文章を読んでいなかったら、自分はこのトラペジウムという作品を、ただ酷評するだけで終わっていました。先に書いた通り。ただ、自分はどうしても、どーーーーーしても、ゆうの行動や不器用な努力をね、諦めきれなかったんですよ。自分がアイドルになりたいんだっていう、それがほんの少しでも見えるだけで、絶対に彼女はもっと作品内で輝くだろうって。それは、好かれる嫌われるとかいう部分じゃなくて、ちゃんと1人のキャラクターとして息をして、考えて、行動して、生きてくれる筈だって。映画の中で見た、ただただ嫌われ役になってしまう彼女がね、自分は悔しかったんですよ。勝手に。もしかしたら、映画にするにあたって、削られてしまったセリフやシーン、時間に収める為に変えられてしまったシーンなんかがあって、原作ではゆう自身のことが描かれているんじゃないかって。原作者さんがね、現役のアイドルだった頃に描いた作品で、題材がアイドルなのにこんなにもそこをないがしろにするもんかって、自分は思っていたんです。いくら監修が本人で、映画のシナリオにOKを出したんだとしても。勝手に。そりゃあもう自分勝手に。原作に、夢を見た。希望を見た。結果。

描かれていたんです。彼女たちが、生きて動いている様子が。

文章なのだから、ト書きがあって、セリフがあって、状況の描写があって。しかも、映画のように時間や配分にそこまで支配されていない(制限がなかったわけではないと思うけど、連載だったこともあり、作者が書きたかったベースでは描けていたんじゃないかと思う)から、ちゃんとね、描かれていたんですよ。その状況での彼女たちの感情が。そして、今回の映画の中の時間経過までの彼女たちの過去や、映画内で改変された内容じゃないシナリオに沿った状況下で考えていたことや行動が。それは、映画内で動いていた彼女たちとは全然違う。なんなら、原作があって作られた映画は2次創作か?っていうくらい、違う物語だと思う。全体的な、大まかな流れは同じだったとしても。自分は、別作品だと言っても過言ではないか、もしくは原作を読んだうえで、それありきで映画を見たら、もう少し良い印象で映画を見れるんじゃないかと思う。自分は原作の方が好きだと断言するけど。先に原作を読んでいて、映画を見ていたら、どうしてこんなことになった!?ってはっきり苦言を呈するけど。

原作ではね、ゆうがちゃんっっっと自分がアイドルになりたいっていうのが描かれているんですよ。葛藤とか、迷いとか、アイドルになるための努力とか。行動としてはね、改変されてる部分以外はそこまで変わらないかもしれない。でも、どういう想いで、感情で動いているのかっていうのを知れるだけで、彼女の印象はがらりと変わると思う。好きか嫌いか、ではなくて。1人のキャラクターとして別人として評されると思う。人間的な感情が描かれていると思う。文章自体が上手い下手は自分にはどうこう言えない。でも、時間経過とか、シーン別の流れとか、理由とかね、ちゃんと説明してくれてるの。だから、納得して読み進んでいけるんですよ。

映画では全く映ってなかったお城の案内のボランティアシーン。原作ではちゃんと撮影されて、放送に映ってて、それに対してゆうの自分自身の考えや想い、行動理由が見える。美嘉の行動に関しては原作知ってるのと知らないので完全に別人ですよ。映画の中で彼女のことは半分も描かれてないと言っていいと思う。くるみへの憧れとか。華鳥に関しては性格とか喋りについて説明があるし、映画ではなかったテニスの部活はどうなった?をちゃんと説明してくれている(映画内で各々の元の活動どうなったも描かれてないんだよなぁ・・・)くるみに関しては、もっと性格的な部分の説明に、行動の理由、こだわりがちゃんと描かれていて。あ、工業祭のシーンだってそうだよ。ライブのチラシ、ゆうが最初からもってなかったし、展開も全然違ったじゃん。あのシーン、映画の方だとゆうの印象めっちゃくちゃ悪いけど、原作の方だと、もっとより自分勝手に見えるよ。良い意味で。自分は、原作の行動をしてくれてる方がすごく行動にしっくりきた。映画でのクイズシーンはロボットについての問題に答えられなかったとなってたけど(わかりやすくするためにだとは思うけど)もっと簡単なことにもこたえられなくなる程自分で自分がコントロールできないって描かれてて、なんでこの表現変えた?って思った。クイズシーンなしで、こっちのままの方が彼女のことをより見てる人に伝わっただろうに。しかもさ、ちゃんと初の1人仕事でって説明があるんだよね。そう、映画では4人が1セット、東西南北でいるっていうことを殊更強調されてたのに、あそこだけ急に1人にされてるの。突発すぎるし、意味わかんないって思う。原作読んだら、そういう意味で、あそこはそう変えられたのねってなるけど、映画のあの表現だけでわかってたまるか。はっきり言うよ、雑すぎ。
話が前後するんだけど、ゆうと真司のやりとりさ。全部、あの喫茶店の中での話なの。そう、外で歩くシーンとか、店の外で話したりとかしてないの。映画の絵としてっていう意味だったとしても、場所変える必要あった?自分は疑問だよ。逆に全部喫茶店内の方がよかったまである。これはあくまで個人的意見だけど。しかもさ、番組でのCD販売がないとはいえ、解散した後の集まる場所、原作では真司と会議していた喫茶店なんだよ。ゆうがさ、3人をここに呼ぶの。会話内容は映画とほぼ同じなんだけどさ。これ、ちゃんと意味があるじゃないですか。自分が勝手に深くとらえてるだけかもしれないけど、今まで真司と会っていて、自分が考えたり計画してて本音を晒していた場所に3人を呼んで、改めて向き合うってシーンなんですよ。めっちゃくちゃ大事じゃない?んー・・・番組のCD販売含めて考えたらあの場所でっていうのは仕方ないのかもしれないけれど。映画の時間内ではその関係までは描けないっていうのを計算に入れられたから、後半になればなるほどゆうと真司の関係は希薄になっていったんだけど、原作はちゃんと描いてるの!自分はすっごく納得のいくラストだったよ。別に、あの形のまま描けたでしょ。そんなに、作画枚数とか演出に大きく差はなかったと思うのだけど?そうだ、解散したあとの成長する前のゆうの話。1人事務所に残ってしまった時にさ既に次のこと考えて動き出してるんだよ。オーディションに履歴書送ってるの。成長してインタビュー受けてるアイドルグループの。したたかでしょ?3人と一緒に活動ができなくなっても、やっぱりどうしても1人でも自分がアイドルになりたいっていうのが全面に出てるんだよ。そこへの情熱とか想いとかが描かれてるんだよ。そういうのってさ、往生際が悪いし、醜いし、格好悪いじゃん。傍から見たらさ。がっつりと挫折して現実見せられてさ(4人の中で1番人気なかったわけで)でも、そういうところなんだよ。自分が描いてほしかったのは。アイドルを目指す高校生の物語なんだもん。ここまでの執着と熱い想いで生きてるんだよ。彼女は。そういうところなの。そこが魅力なの。だからこそ、あの3人とのやり取りがあって、成長とか心理的な色々があってオーディションに受かって、あのインタビューに繋がるわけじゃないですか。映画だとさ、ただアイドルになって成功しましたっていうことしか見えないんだよ。そうじゃないんだって。東ゆうの生きたものを描いてよ。せっかく映画として、絵でそこを見れるんだからさ。先に映画の話の時に書いたアイドル姿としての成長したゆうは原作でも描かれてなかったよ。そう、描かれてなかった。だけどさ、ちゃんとそこまでの感情や行動が想像できる導線があるんだよ。原作の方には。オーディションのこともそう、インタビューシーンの状況説明や会話もそう。それが大事なんだって。そして、最後の写真展での集合シーン。真司がみんなを呼んでるの。そう、見に来てくれって。あの、もうデートできないというか、こうして2人で会うっていうことはないんだねっていうところから。8年。8年ぶりだって。しかもさ、互いに番号変わってなくて、登録した名前もそのままでって、またまたそんなご都合主義的なーっていう、いいの。そこはそれでいいじゃない。ロマンチックなんだもの。全然つながってないけどさ、お城のボランティアの時のじいさんの連絡先は即消去してるんだよ。対比じゃないかもしれないけどさ。少なからず、ゆうは真司に感謝とかいろんな気持ちを持ってて番号と名前を残してたってことじゃないですか。真司は明らかにゆうのことが好きだろっていうのが見えていたし。夢を邪魔するようなことはしないっていう良い意味での憎さと、自分もそれを糧に夢をかなえてるわけで。そしてラストシーンで自分が映画の時に先に書いたやりとりが、あるんですよ!そう、あるの!嬉しかったー・・・。個人的に、本当に嬉しかった。もうそれだけであのラストは満足ですよ。結末を描いてくれなくても、読んだ人に先を創造というか描かせてくれるっていう。くるみがわざわざ気をつかう描写まであってさー。もう、にやにやしちゃったよ。何故映画でこうならなかった。そりゃあね、導線がないんだもん。描けるわけないよね?真司との物語は映画では切り捨てられて描かなかったんだから。前半から中盤まではそれなりに描いたのに。

ラストシーンの高校生の時の4人の写真。場面だけ一旦高校生に戻るんだけど、この写真を撮った時の車いすの女の子とのやりとり。8年後に再会するシーンでの華鳥のボランティア活動継続からの車いすの女の子がゆうたちのライブに毎回来てるっていう1文。これよ、これ。これだけでいいんだって。この1文にどれだけ自分の感情が救われたか。あの約束がちゃんと未来に繋がってるんだって。あの時、あの約束と衣装にそでを通して、同じくアイドルが好きだっていうことを知るまで、ゆうはさ、この車いすの女の子には気持ちを向けてないの。約束だってさ、その場で嬉しくなっちゃった感情の流れでさ、自分がアイドルになるっていう延長上のものでさ、きっとそこまでこの車いすの少女に向けてないんだよ。しかも、原作ではそのやり取りのシーン、セリフがないの。にくいよねー。でも、きっと再会したときにはさ、成長して、大人になって、もっと素直な気持ちでやりとりがあったんじゃないかっていう妄想がはかどるわけですよ。いや、自分の頭、天晴というのは重々承知なんだけど。

あと、これ自分の勘違いだったら心からごめんなさいなんだけど、映画版だと、「トラペジウム」って真司がとった星空の写真のタイトルにされてなかった?見間違い、記憶違いだったら本当に心から謝罪します、ごめんなさい。原作の方ではさ、先の工業祭の時の4人の写真のタイトルが、「トラペジウム」なんですよ。いや、本当感動した。勘違いでなかったら、なんだけど、自分はこっちのほうが断然好き。最高。もう、言うことなし、ですよ。お話としてさ、もちろん意味合い的なものはそれぞれの解釈があれど、自分はこの形の方が良かったなって思った。

最後に、まずは何より映画を楽しんで、良かったって思った方には大変申し訳ない感想と言葉だったことを謝らせてください。自分はね、素直に良かったっていえない人の1人だったっていうだけですので。逆に原作が楽しめなかったっていう方もいるかもなので、そこは難しいのだけれど。自分はね、最終的にどちらも好きになれそうだなって思ったんですよ。もう一度映画館で・・・とは思わないのだけど、配信されたら改めて、シーンをちゃんと見て(コマ送りとか、戻したりとか)映画として表現したかったと思われる良い部分や素敵な部分を探して、見つけられるようにしたいなと思っているのです。それもこれも、原作をちゃんと読んだからなんですけどね。映画を見て、そこで終わらせなくてよかったと、東ゆうというキャラクターをね、自分で終わらせないで良かったと思っているのです。自分は彼女のような人が好きなので。まぁ、みんながみんな好き!ってなるようなキャラクターではないとは思うのだけど。自分は、ちゃんと彼女のことが、そして4人のことが好きだって言えるようになれたので良かったなと思うのでした。

改めまして、ここまでこんな長い1人のよくわからない語りを読んでくださってありがとうございました。どんな形であれ、映画でも、原作でも、もう1度触れてみたい、作品と関わってみたいと思ってもらえたら幸いです。少しでも、この「トラペジウム」という作品を知ってくれる人が増えますように。そこに、どういった感想を持つのかは自由だと思うので。

では、今回はこの辺りで。読んでくれたことに感謝を。それでは、また。

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