削ぎ落とす必要がある、というお話。

見に来てくれてありがとう。

今回は、最近ちょっと悪い方向に満たされ過ぎているのを実感しているというお話。満たされるって、その瞬間はいいんだけど、そこでいろんなものやことが停滞してしまうんだよね。

最近自分は、外出やら読書やらでこう、自発的に情報やエンタメを自分に取り込んで、それをこんな風に文章にしているわけですが、自分の好きなことや興味対象って、嵌れば嵌る程精神衛生上、あんまりよろしくないことが多いんですよ。生死感とか、哲学とか、その人が真剣に何かに向き合っている感情や感想、意見、気持ちだったりとか、そういったことに本気で向き合ったり、自分ならどう思うかとか、意見を擦り合わせたり、ぶつけてみたり。こういったことって、物凄くエネルギーが必要だし、疲れるし、しんどいの。でも、好きなんですよ。思考することを止められないの。疲弊して、自分で自分が考えすぎでしんどいなっていうか、もう考えたくないなって思うところまで行くのが楽しいわけで。というか、そこまでいかなないと面白くはないんですよ。自分の中で。答えのないものを自分の中で、どうやって咀嚼して、飲み下せないものをどこに存在させるかみたいな。

そういうことをしてるとですね、栄養摂取とか、あとは日常的な生活というか、人間的な時間経過が段々と疎かになってくるのです。こう、脳が疲弊したよーっていうのを過度に認識させて食べろっていう指示を身体と意識に向けてきたり、もっとそういう思考の海の中で考えていたいことが山ほどあるんだけど、生きていくうえで、生活するっていう為にやらなきゃいけないことや、心根ではやりたくないことに向ける感情や身体の感覚が雑になってしまったり。メンタルによくない。そう、この間の突然の吐き気と身体が鉛のように重くなったのも、こういった感情や体感と、脳との戦いというか、噛み合ってないところに行動と身体の動かし方が一致してくれなくて、もう一旦全部止めて動かすのをやめろっていう指示が脳から出てたのかなっていう感じで。

少し前に書いた記事で、自分は好きな人やもの、存在を神格化しないように気を付けているって書いたんですけど、これは気を付けていてもやってしまうから、なんですよ。そう、好きだなって思ったら嵌ってしまうの。そのすべてを知ることが出来なくても、知れるのならもっと知りたいって思ってしまうんですよ。それが、自分の好みや興味対象だと、先に書いた通り精神衛生上、あんまりよくはないっていうところで。最近嵌っているある人物を追いかけ始めたら、まぁ止まらなくなってしまって。本当に、困る。何しててもその人のこと考えてる。最近は。好みとか、思考の方向とか、今現在はどんなことを考えてるんだろうとか。配信とか動画とかで知るその人って、そこにいたのは過去のその人なわけで。しかも、時間経過で1週間、1か月くらいならまだしも、数年前のものとかだったら、今とは考え方とか方向や趣味嗜好だって全然真反対だったとしてもおかしくはないわけじゃないですか。だとすると、その時に考えていたことや言葉はその時のもので、それを好きだなって思って追いかけ始めて、今はどうなんだろうってなるわけで。当たり前ながら生きている、今現在を自分と同じように現在進行形で生きている相手を追うってなると、終わりがないんですよね。しかも、見られる瞬間や知ることが出来ることって限られてくるわけで。そこにこだわり過ぎちゃうと、自分の限界やキャパシティ的な容量を超えて追いかけたうえで、そこに日常でやらなきゃいけないことが降りかかってくるわけでして。そうなると、まぁ大変。普段の普通の日常が、邪魔だなぁってなっていくわけです。それは困る。生きるのが面倒になってしまう。人として、ちゃんとした生活っていうものが成立しなくなってしまう。だから、自分の好きを神格化してはダメなんですよ。そう自分に言い聞かせているのです。止められてないんですよねぇ・・・。

だから、タイトルに帰結するわけでして。削ぎ落とさなきゃならない。自分の好きに対する執着を。前に書いた推しの幸せが最優先っていうのは本当に心の底から思っていることなのだけど、過度な推しへの感情って絶対に推しの迷惑になってしまうから(自分の行動や普段の行いで推しに迷惑がかかるくらいなら自分は自分で自死を選びたいと本気で思う)そこはちゃんとしなきゃいけないわけでして。自分を保って、人間として、人間社会ってやつで生きていくっていうのは本当に大変なことだって最近すっごく思う。生きているだけで偉い!とかよく言うけど、生きてるっていうのは偉いとかそういったレベルじゃなくて、自分はそれができているっていうことに本気で尊敬するよ。ただ、存在している、そこにいるだけで偉いって思う。仕方のないことでもあるんだけどね、ただ消えるっていうことが叶わないわけで。(何の影響もなく消えてしまうことが出来るなら自分はそうなりたいって本気で思っていた時期があるし、なんならそれが可能ならその選択肢を選ぶ自分も確実に存在する)生きようとしなくたって、そこにいるだけで偉いし、すごいんだよ。こんなにも生きることを強制されているっていうのを感じるのは最近の摂取してる作品や見てるもののせいでしょうけどねw

そう、食事の話。最近外食して友人とパスタ食べたんですよ。もう年単位ぶりくらいに。自分は菓子パンとか麺類含めて小麦が身体に合わない人がいるっていう知識を得てから小麦を避けてるんですけど(辞めてから体調がよくなった自覚があるから続けているだけで、小麦製品を非難や否定しているわけではないです)この間吐き気とか、体調下がったの映画だけじゃなくてこれも原因だったのかって薄々思っているのです。味はね、好みのものを選んだので美味しかったんですけどね。もちろん、仮定なんでこれが原因とはいいがたいんですけど。

せっかく食事の話したのでね、ちょっと自分の体調というか、気分を回復というか上向きにするために先の自分が触れたい作品や人ついでに食事の量とか種類も、また改めて、これはいらないなっていうのを削ぎ落とそうって思うんですよね。多分、過剰摂取しちゃってるものがあるので。そう、自分を満たしすぎるっていうのは良くないのだと自覚があるので。特に3大欲求なんかはね、満たしてしまうと自分の好きな思考さえ奪われてしまうのでね。食事は顕著ですよね。お腹いっぱいになったら何もしたくなくなってしまうんだ。そんなのは、嫌だ。自分で自分が嫌になってしまう。過剰摂取の毒に浸されて自分が自分でなくなってしまう。

だから、削ぎ落とす。一時的にでも。自分で選んで。

必要だと思ったら、もう1度触れたり、足せばいいんだから。みなさまはこんな自分で自分を追い込むようなよくわかんない、どうでもいいことには目もくれずに、今日1日、そして明日以降も心穏やかに楽しいことや嬉しいことと一緒に過ごしていって欲しいと心から思うのです。自分の好きと過ごす日々っていうのは幸せであってほしいと思うから。

では今回はこの辺りで。読んでくれたことに感謝を。それでは、また。

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