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「SLAM DUNK」は熾火。

 ぼくは最近スポーツをしない。ここ一年はしていない。一年どころじゃないはずだが。中学の頃ぼくはバリバリのスポーツ少年で、全身全霊でバスケに挑んでいた。それがその頃のやらなきゃいけないことだと思っていたし、その部活という行為によって自分は中学というものに通っているのだと実感していたような気がする。あまり中学の記憶がない。実感を頼っていたくせに、部活の記憶もほぼない。なんだか昔のことがどんどん結晶化して、スクラップブックにまとめた写真みたいになっていく。昔の自分と今の自分は地続きなのだと分かっているが、どうにも違う人だったかのようだ。不思議だ。

なぜそんなぼくがバスケをやっていたか。タイトルでお察しだろうが、超スーパーウルトラ「SLAM DUNK」の影響だ。

やってみたらもちろんバスケは面白かったし、好きになれた。でも、今でもやりたいなんて少しも思わないのは、自分でもちょっと寂しい。それでも、それが本当のことだ、しょうがない。きっとぼくがあの頃本当に欲しかったのは、熱狂できるものだ。自分を燃やしたかった。正当な場所で、燃えていいとされる場所で、全力で自分を試したかった。だって桜木たちがそうしていたから。それをしたかった。それほどまでにぼくはSLAM DUNKに、熱狂していたのかもしれない。彼らの高校生活を見ていると、胸の奥に熾火のような炎が生まれ、そこから徐々に伝導していき、耳の端まで熱くなっていくる。この時間が大切なものだということが、実感としてわかる。自分も命そのものを燃やすような何かがしたくなる。どこまでも先へ行って、流川や桜木、ゴリや三井に宮城のように、熱くすべてをかけて、走りたかった。自分のすべてを身体の外へ出して、衝動のすべてをぶつけたかった。


どこまでも際限なく、SLAM DUNKは駆り立ててくれた。今でもずっと心の奥で燃えている。ぜったいに忘れない大切なこと。

SLAM DUNK、大好きです。




読んでくれて、ありがとう。



また。




とまお

いただけた時には、本買います。本を。