雨ニモマケズ、裏話。
こんばんは。とまおです。
色々喋りたいこともあり、収録の裏話でも書くところないかなあと思っていたら、打ってつけの場所がありました。とまおです。
今回は文章にする第一回ということで、朗読させていただいた雨ニモマケズについて少し書きたいと思います。
このnoteでは、あまりちゃんとしたくない、ものすごく力の抜けたものにしたいと思います。好き勝手書きます。本当の裏話。読みたい方だけ、お付き合いください。
なぜ?第1作目にこの作品を選んだか。
とても大事な一作目。
それは、何より好きだったから。そして、自分として生きること、自分のことをちゃんと見つめて、冷静に判断し、その上で人を大切にしたいと願う心、それを心ごと渡したかったから。
でも作品は、受け取る人のもので、たくさんの受け取り方があって、それを狭めたくないというのもすごくあります。どんな受け取り方があっても、それが正しいといつも思うのです。だからあまりそういうことは書かないようにしよう。あんまり書くと野暮よね。
それに、
大切なものは目に見えない。
僕の一番深くにある大切な言葉です。映画の影響です。たぶん。映画が元から思っていたものをちゃんと形にしてくれたという感じです。その映画の話はまた今度。
気楽に書かせてください。ここではそんな感じで。
雨ニモマケズはこれを書いている時点で再生回数が1000回を超えていて、嬉しいです。
大切に読んでよかったなあと思います。
収録の最中は、なんどもなんども読み返しました。どうしたらこの感覚を声に乗せることができるだろうか。
でも行き着いたのは、シンプルなことで、心ごと声に乗せれば、想っていることはきっと伝わるということでした。読んだら、これしかないなと思いました。たとえどんなに無様な読み方になったとしても、これしかないと。だからそれを録りました。納得しています。好きな感じです。とても。
BGM以外は僕がすべてやっているんですが、映像に関しては、僕は昔の映画の雰囲気とかがとても好きで、少し雨ニモマケズにはその辺の感覚が出ています。字幕もその辺の感覚です。そして、自分を撮りました。作品を読んで感じるイメージを映像にと思うのです。そしたら自分が必要でした。
詩を聴くことで、映画を一本観たようなそんなものにできたらなあと今は願っています。「映画朗読」とでもいいましょうか。「朗読映画」かなあ?
冷静に読み返すと、なんだかいつもの僕の雰囲気と文章が違うような?気がしてくるけれど、そういうのもいいか。
深夜まで僕が起きていることはあまりないです。今日はそんな日です。実は・・・19時から22時半まで寝てました(コソッ)これ内緒でお願いします。
でももう眠いです。そろそろ寝ます。お付き合いくださり、ありがとう。
本当にこれ投稿して大丈夫か?と今更不安に駆られてますが、投稿してみたい思いがあるので投稿してみます。こんな一面もたまには。でも案外皆僕をこんなやつだと理解してくれているかもしれない。うん。僕は楽しかったので、今日は寝ます。おやすみなさい。
また書きます。
とまお
いただけた時には、本買います。本を。