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魔法のコンパス・革命のファンファーレ

「映画えんとつ町のプペル」が劇場で公開され、SNS界隈でも大きなムーブメントが起きていますね。私の周りにも西野亮廣氏のオンラインサロンに入っている人も多く、多くの人たちの間で熱狂的な人気を誇っているのも知っていたので、その人気の理由を知りたいと思っていました。

以前にその理由を探ろうと以下の動画を見たことがあります。

ただ、正直自分には刺さりませんでした。

このスピーチは「伝説のスピーチ」として世間の注目を集めましたが、自分にはなんか胡散臭く映ってしまいました。(ファンの皆さんがこれを読んでいたらすみません・・・)

ただ、この一本の動画をもって彼がどんな人間か評価できるわけもないので、彼の本を読みたいと思っていましたが、今回ようやく「魔法のコンパス」と「革命のファンファーレ」の2冊を読むことができました。(ちなみに、彼らが「はねるのトびら」でブレイクしたのは知っていますが、「夢で逢えたら」「とぶくすり」世代なので、キングコングはあまりテレビで見ていませんでした)

で、感想です。

素直に面白かったです。「なるほど、こうやってみんな西野亮廣の魅力(罠)にはまっていくのか」と思いました。

その魅力を自分なりにまとめていきたいと思います。

①枠にはまらない

彼は従来の「芸人」という枠から抜け出し、自分のやりたいことを愚直にやり続けています。いつからか「芸人」たちはテレビ番組のひな壇タレントと化し、自分の芸を披露するよりもむしろテレビに出ることが目的・存在価値になっているように見受けられますが、彼はそんな枠をひょいっと飛び越え、漫才をしたり、コントをしたり、絵本を書いたり、学校を作ったり、映画を作ったりというように、クリエイター・エンターテイナーとしてその才能をいかんなく発揮しています。

枠にはまらないというのは言い換えると、他人と異なる視点で物事をとらえることができるということでもあります。

彼は、「大切なのは、まず問いを持つこと」と言い、「問いを持つ癖をつけなければ、面白いことは何一つ始まらない」と断言します。歴史や常識にとらわれず、絶えず自分の中で問いを持つことで、自分の周りでイノベーションを起こすことができるというのは、まさにその通りだと思いますし、これは21世紀を生きる人々に求められているクリティカル・シンキング(批判的思考力)と言えます。

2冊を読んで思ったのは、西野氏が言っていることは一見すると奇を衒った突拍子もないことに聞こえなくもないですが、実は現代に生きる人々に対する、時流に乗った的確なアドバイスだということです。

②とんがっている

①の内容と若干かぶりますが、やはり彼はとんがっています。日本は出る杭は打たれる文化なので、彼のようにとんがった存在は社会から目の敵にされ、炎上されるのはよく理解できます。

ただ、魑魅魍魎が跋扈する芸能界において、キャラが立たない丸い存在が生き残れるわけもなく、とんがっていることは必要最低条件だと思います。それは何も彼のような芸能人だけではなく、我々のような一般の市民にも入れることだと思うのです。

彼は「通知表で言えば『オール3』という状態が最も効率が悪くて、他の教科なんて『1』でいいので、『4』を『5』にする作業をした方がいい」と読者に勧めます。

私もこの意見に同意します。教師として、親として、どうしても子供をオールラウンダーに育てようとしてしまいがちです。例えば、英語と国語が得意で、数学が苦手な子がいたら(うちの長女がまさにそうなのですが・・・)、数学の苦手克服に時間と労力を使うように指示しがちです。しかし、苦手な数学に対峙してさらに苦難の道を歩むよりも、好きで特異な英語や国語を伸ばす方が効率がいいといつからか考えるようになりました。

オールラウンダーを目指してこれと言って得意なものがないよりは、どれか一つでもプライドを持って臨めるものがある方が、後々生きやすくなるのではないかと思うのです。(勉強に限らずです)

③「お金」の捉え方がユニーク

この国ではお金はなぜか汚いものとして扱われることが多くあります。「金儲け」などというと、悪徳商法のように聞こえるし、「不労所得」なんて遊んで金を稼ぐようなイメージを持っている人も多いと思います。だからこそ、学校教育の中で「お金の教育」が必要だと思っています。(彼も著書の中でそのように言っています)

西野氏は非常にシンプルに「お金は信用を数値化したもの」と定義しています。「革命のファンファーレ」内では「お金を稼ぐのではなく、信用を稼げ。信用持ちは現代の錬金術師だ」と述べ、クラウドファンディングの勝ち方を彼なりの論点から書いています。

信頼を得るためにまず必要なことは嘘をつかないことだと西野氏は言います。当然と言えば当然ですが、人はいろいろな利害関係の中で生きているので、自分に正直に生きるというのはそこまで簡単なものではありません。

私は生徒と接するときにできる限り自分を飾らないように努めています。(これがなかなか難しいのですが・・・)教師も同じ人間なので、失敗もするし、醜い一面だってある、というのを子どもたちに見せるように(隠さないように)しています。失敗したときは子どもに対しても本気で謝りますし、出来る限り子どもと同じ目線で接するようにしてきました。その中で少しずつ生徒や同僚の信頼を勝ち取り、現在地に至った気がします。もちろん人間として、教師としてまだまだ未熟なので、成長を続けるしかないのですが、「お金=信用を数値化したもの=人間関係」という図式はどの世界でも当てはまると思います。

最後に上のスピーチの内容にも通ずるあとがきからの一節を引用して、締めたいと思います。

失敗したところで終わるから「失敗」が存在するわけだ。
何度失敗しようが、
そのたびに工夫し、
ネガティブな過去をポジティブなものへ転換し、
成功するまで続ければ、
それらの失敗はすべて、成功のために必要な部品となる。
失敗なんて存在しない。
失敗を恐れさせているのは、いつだって自分自身だ。
たしかに、どうにもならないコトが世の中にはあるけれど、大丈夫。
大体のことはどうにかなる。
あなたが何かに挑戦し、結果が出ずにジタバタしているとき、外野にいる連中は、「瞑想しているの?」と、あなたのことを笑うだろう。
そんなときは、こう返してやればいい。
「うん、迷走しているよ。キミみたいに、誰かが舗装してくれた道を歩いてないからね」
大丈夫。きっと上手くいくよ。
コケたら起き上がればいい。
踏み出そう。
ドキドキしてる?

自分の人生を生きていく上で、ワクワクドキドキしながら日々を過ごせるように努力していきたいと思います。

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