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原点

12月2日から11日まで10日間ほど修学旅行の引率で西オーストラリア州パースに行ってきました。

実は西オーストラリアは私が海外で初めて暮らした地であり、英語教師、そしてグローバル教育の責任者として働いている自分の原点となった場所でもあります。西オーストラリアに行くのは自分が住んでた時以来だったので、20年以上の時を経て自分の原点に立ち返った感じです。そんなわけで、今回は自分の過去を振り返りながら、西オーストラリアの写真をいくつか紹介させていただきます。

以前に自己紹介の投稿でも書きましたが、私は日本の大学を卒業後お金を貯めるために2年間フリーターとして働き、24歳で初めて海外で暮らす経験をしました。それが西オーストラリア州のMandurah(マンジュラ)というパースから車で1時間くらい離れた美しいビーチのある町でした。

トップの写真のようにビーチで野生のカンガルーに遭遇することもよくありました。そして、空は果てしなく広く、日本で見ていた空との違いに驚いたものです。夜になると無数の星がきらめき、誇張ではなくプラネタリウムよりもきれいだと思いました。(流れ星も何度も見ました)

そんな美しい場所でスタートさせた初めての海外生活は戸惑いの連続でした。

まずオージーイングリッシュが全然わからない・・・。

日本以外で暮らしたことなかった自分は、そもそもリスニングの力も全くなかったのに加えて、アメリカ英語以外ほとんど聞いたことがなく、最初は何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。

そして、その時24歳でしたが、ルームシェアなどではなくあえてホームステイを選びました。その方が現地の生活にどっぷり浸かることができると思ったからです。ただ、他の家族と一緒に暮らすのが初めてなのに加えて、なかなか強力なホストマザーだったため、なかなか信頼関係を築くのに苦労をしました。今思い起こせば、24歳とは言ってもまだまだ10代のようなメンタリティーだったので、自分が幼かったという部分もあったのだと思います。

一方で、現地の小学校で日本語教師としてスタートさせたキャリアは、毎日が学びの連続でした。日本の教育とは全く異なるアプローチや教師の柔軟な働き方など自分の常識を覆すようなことが多々ありました。

そして何より、生徒たちを中心に考える(students-centered)教育の在り方に一番感銘を受けました。私が日本で受けてきた教育は、画一的、受動的な教育で、唯一の解を求めて勉強することがほとんどでしたが、オーストラリアでは、子供たちの可能性を最大限引き出すような取り組みがいたるところでされており、これが自分が目指したい教育だと思いました。

余談ですが、私が住んでいた場所は西オーストラリアの片田舎で、現地の人たちにとって私は初めて見る日本人でした。特に子供たちにとっては全くの異国から来た私はハリウッドスターのような存在だったらしく、熱烈な歓迎を受けました。その歓迎の理由が、当時世界的にブレイクしていたポケモンのおかげだと数日後に知ることになるのですが・・・。(子供たちは日本からポケモンマスターがやってきたと本気で思っていたようです)

キングスパークから見下ろすパースの街並みです。私が住んでいたころのパースは本当に小さな町で、午後五時を過ぎると店はほぼすべて閉まり、誰も道を歩いていないような町でした。しかし、20年以上の時を経て以前の面影がないほど発展した都市になっていました。ちなみにパースはThe most isolated city in the world.(世界で最も孤立した都市)と呼ばれています。
こちらはパースからフェリーで40分くらいで行けるロットネスト島です。私が昔行ったときは冬だったので、とても閑散としていましたが、久しぶりのロットネスト島は夏ということもあり、多くの人でにぎわっていました。ここもパース同様かなり商業的になっていました。
ただ、この自然美はオーストラリアならではのもので、海と空の美しさは筆舌尽くしがたいほどでした。
「限りなく透明に近いブルー」(by 村上龍)という言葉が頭に浮かびました。青好きの私にはたまらない色彩でした。
西オーストラリアと言えばクォッカ。小型のカンガルーです。ロットネスト島はKIngdom of Quokka(クォッカ王国)と言われたりもします。
パース市内のビーチで戯れる生徒たち。
ワイルドパークに行ってカンガルーと触れ合ってきました。この子たちはやる気のない子たちです。(愛嬌ゼロ)
この子も寝てます。
やっぱり食べます、フィッシュアンドチップス。これはデラックスバージョンで30ドル(約2700円)。夏にもアデレードとブリスベンに行きましたが、やはり物価は高いです。水のペットボトル(500ml)1本300円くらいします。
ちなみに私が住んでいた時は1ドル65円くらいでしたが、今は90円程度。当時の物価は日本の3分の2くらいで、「やっぱり海外は物価が安いなー」とウキウキでした。ところが20年以上経て、経済は逆転し、今ではこちらの最低賃金は日本の約2倍(約2000円/時間)です。「失われた30年」を痛感してしまいます。
様々な大学を訪れてレクチャーやワークショップを受けたりもしました。
真夏のクリスマス。サーフィンするサンタさんを見たかったのですが、残念ながらちょっとシーズンが早すぎました。
引率だったので、基本的に自由時間はないのですが、最終日に半日だけオフを取り、自分が住んでいたMandurahに行ってきました。当時はパースからマンジュラはバスでしか行けず、しかも1時間に1本くらいしか便もなかったのですが、なんと今はパースからマンジュラ行の電車ができていました。現地の人に聞いたら、マンジュラは今では高級ベッドタウンになっていて、人口も増えているとのことでした。(イメージ的には超きれいな湘南)
ハーバー沿いにはしゃれたレストランやバーがあり、海の見えるバーで1杯だけビールを飲み(内緒ですよ)、チルしたのでした。

というわけで、仕事ではあるものの、個人的にはとてもノスタルジックな旅となりました。原点に立ち返り、自分の目指す教育をぶれずに追及していきたいと思いました。