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荒廃した世界観が好きだ。ナウシカみたいな。

動画でナウシカの曲をピアノでひいているのをリピートして聞いています。弾き手も腕があるのですが、それ以前に曲が壮大で歌詞がなくとも感情が高ぶるものがあります。荒廃した世界は人間のエゴのせいなのですが、浄化に向かっている希望もある曲です。
ジブリがすごいって話は私が語らずともみなさんご存知と思いますので割愛いたしますが、私はなぜか幼い頃から廃墟が好きです。
でも、陰惨な事件があったホテルがみたいとかみたいわけではなく、遺跡に近い廃墟、かつての繁栄が消えてしまい今は穏やかに朽ちるのを待っているだけの建物が好きなんです。と、同時に九龍城のような生活感あふれるエネルギッシュな善も悪もなく、たくさんの人が世界している風景も好きです。集合住宅でいくつものベランダから洗濯物や植物が覗いているのもついジロジロ眺めてしまう不審者です。
Xを眺めていると「いいね」おしたら類似するつぶやきや画像が流れてきますが、こういった趣味は私だけはないとネット時代になって感じます。たくさんのネオンまたたく東京、妙な看板、スチームパンクの世界に近いですが、アキラやジブリをみて育った身だからでしょうか、理由はとくになく「ああ好きだな」と思う話です。
いくつもダクトがついた工場もジロジロ眺めてしまいます。工場は少なくともなにかを生産している、誰かのために稼働し続けているわけですし、誰かのために誰かが昼夜とわず働いているのが想像できます。べつに誰かの労働の上に自分がいるという優越感とかじゃなく、人間の生活の営みがみえるのが好きなだけです。遺跡や廃墟も、人の生活の気配が残りつつ自然に淘汰されていくさまが、いいですよね。ビル群が蔦にからまり、消えゆきそうだとかーーSFの世界観になってゆきますね、新海監督の描く美しい現代の東京や町並みも素晴らしいですね。日本の風景はエモいです。

物語を描く上で、風景描写は世界観や主人公の主観を描くうえで重要になってきますが、私は上記の世界観が好きだといいながら、小説の中での背景、世界観を描くのがむちゃくしゃ下手くそです。自分の作品を読んでみても背景は白く、ネームみたいだと思います。
頭の中に画像が浮かんでいるか、あとは街の描写が少なくとも地の文が世界観にマッチしていたら、そこまで描かなくても読者の中に広がるという神がかった小説もありますよね。ブギーポップとか最小限の描写しかないような気がしますが、私は都会にいくといつも、世界統和機構のメンバーが混じっているのではないか、と考えてしまいます。
(つづきを読むのを再開したい)

映画とか最近、みるのが減っているので画像を頭の中に生み出すインプットが足りないのだと自覚はあります。私はアマプラとかサブスクがでる前まで、ゲオで週末にDVD5枚(1000円)をレンタルするのが日課でした。5枚レンタルした方がお得だから無理やり選んでました。そして借りたからには勿体ない精神から必ず眺めていました。ハズレだとしても最後までみていました。なぜならお金をかけているから!
今はいつだって、アマプラで見放題です。レンタルを返却することもありません。するとどうなるでしょうか。いつでも見れるからノルマがなくなったんです。前から見たかったなと思うものは見るようにしていますが、発掘作業は減りました。DVDのうしろの説明をみて、物語を想像し、これおもしろいんかなと推理する工程がなくなったのです。
ネットでは内容と同時にレビューがみれます。たいてい、レビュー通りおもしろいと思います。ハズレを引くことがなくなりました。しかし、世間ではハズレ映画といわれているものでも、私は好きだと思う映画も過去にありました。つまり、レビューだけでは計り知れない、ということです。

さて、今日は休みなのであとで映画でもみようかな……廃墟の話から脱線しました。なにせやる気がおきないので、休みます。

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