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ガブリエル・夏 16 「プレゼント」

5時45分。まみもの携帯のアラームが鳴る。
もともとは、ジョギングとシャワーを、家族の朝ごはんの前に済ませたいという、野心的な思いつきで始まった早起き作戦だ。起きれる時もある。しかし、あと何分で家に帰らなければ、と思いながら走るのは、全然おもしろくない。デフォルトモードネットワークシステムのセラピー効果も減る。それに冬が近づくにつれ、朝は日が昇るのが遅くなり、真っ暗な中を走ることになる。真っ暗では、山コースも畑コースも楽しめない。段差が見えずにこけて怪我をしたり、イノシシに襲われたり、車に轢かれたり、余計なことはできない。こんな考え方は古くて今どきナンセンスだろうと部分的には思うけれど、主婦は、家族の他のメンバーを支えていればよくて、自分の趣味で怪我をして、求められるサービスを提供できなくなんて、そんなバカなことがあってはならない、そう思っている。少なくとも、章がそう思っているだろうとは思っている。これについてはもうちょっと考え方を変えてもいいが、怪我をしたり死んだりしたら、何より不便だ。そこで、早起きチャレンジは継続し、できた時間は適当に有効活用することにして、走りに行くのはみんなの朝食が済んで、かつ一年を通して明るくなる時間になってから、と夏休み前半のトライアルの後にいつものパターンに戻った。

朝ごはんは6時45分なので、すぐに起きなくてもいいと、たいていはもう少し寝てしまう。でも今朝は、すぐに起きたい理由があった。レイがどうなってるか気になったし、ツノダ・スーがまだその辺にいるかどうかも、早く確認したかった。

まみもは着替えると、なるべく静かに階段を降りて、リビングに向かった。ソファにレイはいない。柚がメモで案内していた予備の布団と枕が使用されたようで、ソファの上でこんもり、まだ中に人がいた時の温かさが残ってる様子で、膨らんでいた。ガラス戸が開いていて、庭の奥の茂みのところに、レイはしゃがんでいた。昨日ツノダ・スーの家を置いた近くだ。レイはスーを見つけて、あの寄り目で見ているのだろうか。まみもはガラス戸の手前で座って、レイを見る。髪はもうこんがらがりすぎて、すごく大きな頭みたいになっていて、頂点の部分は、頭皮から多分20cmくらいは離れている。後ろ向きなので、あとはほとんど背中しか見えない。昨日研に借りた白のTシャツ。サンダルは履いてない。やっぱり裸足だ。

緑のものが動いて、レイの顔もそっちをむく。トカゲのように速いのではないが、跳んだ。跳んだ物体を目で折った先で、レイの視界にまみもが入った。レイは物体の方に両手を伸ばし、おにぎりを握る手の形で引っ込めて、まみもの方へ歩いてきた。

「まみもちゃん、おはよう。はい、プレゼント。開けてみて。」

「おはよう、ガブくん。いいの?」

プレゼントは、もらったら、その場で包装紙をビリビリ破いて中身を確認して、感激の悲鳴をあげて、これが欲しかったの、なんでわかったの?とか言って、オゥ、サンキューソウマッチと抱きつくまでが、一連の流れだけど、朝だし、そんなに張り切った気分じゃない。普通でいいか、と、差し出されたプレゼントの、おにぎり製作中の形のレイの手を、受け取る。指を一本ずつ、あっちの方、こっちの方とめくってみる。レイの指は、細くて長く、骨ほねしている。まみもの日焼けした手より少し白っぽい。中のものは、じっとしていて、びっくりして跳んで行ったりしない。ズズズズズズとも言わない。思い切って、上側で三角の角を作ってる部分をいっぺんにどけてみる。

「わ!でっかいバッタ!」

すぐに三角の頂点をもとに戻す。

「ねー!すごく大きいでしょう。大きいから、動きがノロいの。僕、何回も捕まえたのに、まだ捕まっちゃう。」

もう一度三角の頂点を半分ぐらいどけてみて、中身を見る。中身は動かない。体長は触覚を除いて12cmくらいあり、お腹はとうもろこしのように大きく太ってる。それでも細い脚の一部が膨らんでいて、そこにジャンプする筋肉が入ってるんだろう。全体の形はやっぱりバッタだ。

「こんなのいたんだ。おもしろいプレゼント、ありがとう。」

「どういたしまして。ツノダさんの家に入れておくね。」

レイはおにぎりを開けたまま、ツノダ・スーの家まで行き、とうもろこしバッタを放した。

「ツノダさんは、家にいる?」
「んーとね、色が違うのがいる。」
「ぅワット?」
「Come. ほら。」

水色の、小さいカタツムリがいた。ツノダ・スーよりもうちょっと小さい。形はよく似てる。ネトネトしていない。紙でできてる!

「ガブくんが作ったの? 本物のカタツムリみたい。すごくこの家が気に入ってるみたいじゃない? 寛いでる感じで。」
「ううん、多分、研が作って置いといてくれた。僕はこんなに上手くはできない。ツノダさんはお出かけ中。見えないけど、この辺にいるよ。カタツムリは半径1mぐらいしか動かないから。」
「じゃあツノダさん、帰ってきたらびっくりするね。お客さんが2人も来てて。」
「びっくりするかな。のんびりしてるから、気づかないかも!」


世界のあちこちで、大洪水や山火事が発生していて大変な夏だけど、ここにあるのは、平和で、明日も明後日も来てほしいような朝だった。


「ガブくん、おなか空いてる?」
「うん。ペコペコ。」
「食べる? あれ言って。」
「言わない。なんでも食べる。」
「でも知りたいでしょ? 言って言って。言ってー。」
「言わなーい。」



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