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ガブリエル・夏 9 「おこりまんじゅう」

「ゥオイラにもクッキーを、ぃ焼いてくれぇ。

レイは尾崎豊を知らないが、尾崎の真似をするまみもの真似をした。
「ふふふ。」

 まみもの頭の中で、尾崎の暮らすアパートにクッキーを焼いた匂いが充満する。尾崎の愛しい人がクッキーの焼け具合を確認し、大体満足してミルクを温める。尾崎は彼女を眺めている。大きな期待と、違和感と、重圧と、疑問と怒りと、自分の中でももがき、あっちからこっちからプレッシャーがかかる中、少しの間、ほっと休まる時間だったのだろうなぁ、あの人、大変だったろうなと、まみもは思う。でもよくがんばった人だ。歌をたくさん残してくれて、人の心に届くプレゼントを今も送り続けてくれてる。

 まみもの手提げ袋の中で、携帯がシャリランと行った。
「ガブ君のお母さんかな。」
レイは何も言わない。

「 ”まみもさん、ご連絡ありがとうございます!レイが突然お邪魔してすみません。ご家族の皆さんのご迷惑になってないといいですが。なぜ?と、驚いています。仕事が片付いたらお電話します。取り急ぎですみません。佐代” 」

レイは、無表情で空を見てる。空には雲が増えて、さっきより白っぽくなっている。ケース君の髪型は、他の雲に埋もれてもう見えない。

「もう1つあった。
 ”ごめんなさい。遅くとも明後日には家に戻るように伝えていただけますか? 翌日からポルトガルに行く予定があるので。すみません、レイの方に全然つながらないので。またお電話で。” だって。ガブくん、携帯家に置いてきてた?」
「うん。いらないもん。」
「遅くても明後日には帰ってきてほしいって。ポルトガルに行くんだ。いいね!」
「僕は全然楽しみじゃない。お母さんはホリデーって言ってるけど、旅行中でも研究のことするし、お父さんは行かないで、代わりに余計な人がついてくる。」
「お父さん、一緒に行かないの? お休み取れなかったのかな。」
「お父さんのホリデーは8月。カナダに2週間帰る。
 ”お父さんとお母さんは、1回ずつしかホリデーがないけど、レイとダンは2回もあっていいなあ。” だって。お父さんとお母さんが一緒に行きたくないだけなのに。そんなの見え見え過ぎて、ダンでもわかってる。」

 レイは少し早口で言った。怒ってる。その上に諦めとか呆れみたいなのが薄くかぶさってる感じ。まんじゅうの、餡が悲しいで、皮が怒ってるで、くっつかないようにふってある粉が、諦めと呆れの混ざったの。そんな構成を想像した。

「そうなんだ。」
「お父さんは、コロナで部屋が足りないとか言って、自分用のアパートを探してる。今大きな仕事をしていて、大事なところだからだって。僕とダンはたまにうるさい時もあるけど、部屋はまだあるのに。」

 まみもは、「 Come here .」と言って、レイの上半身を引っ張って起こして、レイの肩に手を回した。
 西洋人界では、多分これは当たり前のマナーだ。さわらないでじっと聞いてるだけでは、悲しい気分を増やしてしまう。レイのお母さんも研がこんな顔してたら多分こうするし、レイのお父さんも柚がこんな顔してたらこうするに違いない。だから悪くない。むしろするべきことをしている。まみもはそう思うに至ると迷いが減り、もう少しぎゅうっとしてみた。レイは、ぎゅうっとされている。

「ごめんね。
 世の中のお父さんお母さんを代表して謝ります。」
レイは、顔をあげた。
「まみもちゃんは、いいお母さんでしょ。柚ちゃんのお父さんと喧嘩したり、 separate しようとしたりしないでしょ。」
「ん〜〜〜。喧嘩もseparate もしないようにするけど、」
まみもは本気で反省しながら続けた。
「柚と研は、私が柚のお父さんのことをそれほど好きじゃないのを、知ってると思う。いいお母さんみたいに見えるのは、私が仕事を持ってなくて、いつも暇で、時間があるというだけだよ。
ごめん。」

レイの顔を一度見た。伝えなきゃと思うことを言う。

「ガブくんのお父さんとお母さん、ガブくんのことをすごくすごく大事に思ってるよ。ガブくんとダンくんを悲しい気持ちにさせるのなんて、一番やりたくないことで、2人を悲しませることが、お父さんお母さんにとっても、悲しくてたまらないと思うよ。」
「じゃあなんで、そんなことわざわざするの?」
「……わかんない。」

レイのご両親は、頭脳明晰で、他の子供達にも優しくて、丁寧で、科学的にものを考える人たちだ。なんでそんな負の雪玉転がしみたいなことをするんだろう。レイがレイのように育ってるということは、きっと人間も大きくて、おもしろい人たちなのだろうに。お互いを上手にリスペクトできる2人だろうに。

「ガブくんのお父さんとお母さんも、わかんないんじゃないかな。すごく頭いいのにね。親切だし。なんかこういうの、関係ないのかも。頭いいかどうかも、ちゃんとした人かどうかも、人のこと考えられる人かどうかも。偶然なのかなあ。何かのきっかけで。」

「知らない。」

レイが顔の向きを変えた。まみもの肩に顔がベタッとついた。湿った感じがした。泣いてるかな。



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