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題:ハンス・ケルゼン著 長尾龍一 植田俊太郎訳「民主主義の価値と本質」を読んで

1929年発刊の本であるが、即ち、たぶん慌ただしい第一次世界大戦、ロシア革命後の作品であるが、民主主義なる国家形態の価値と議会や多数決原理などを論じた分かりやすくて、考えさせる本である。無論、もはや古典であって原則的な思想しか記述されていないが、民主主義の本質を捕らえた一冊に違いない。本書は十章と「民主主義の擁護」とからなる、約170頁程度の薄い本である。

著者が民主主義の価値と捕らえているのは、繰り返し述べられている「自由」である。これは「平等」よりも重要な価値である。ただ、この二つの原理の総合を努力しなければならないが、民主主義はそれを実現できるものであり、これを自由の観点から論じた第一章「自由」こそが本書の一番重要な章である。『自由を求めて社会に叛逆するのは、人間性そのものである』とケルゼンは述べている。即ち『自由の理念が人間の魂の究極的な根源に発するものだからである。その根源とは、個人を社会に敵対させるあの反国家的原始本能である』とする。これは『自由の観点からは社会法則性の否定を、社会の観点からは自然法則性の否定を意味する』のである。つまり、個人的な自由の理念と社会秩序の理念との解決の不能性が明示されている。自由は基本的契約の締結に際して全員の一致を、かつ秩序の継続にも全員の同意の継続を要求するが、この拒否も、社会秩序からの脱退も自由も持つことである。国家がありその秩序の内が全員一致で成立した契約が、すなわち全員一致という民主制の理念が、多数決によって継続されれば近似を持って成立していることになる。こうしてみると『単純多数決の原理が、相対的には自由の理念に最も近いのである』ことになるのである。

自由主義と民主主義の分離は「国家の支配からの個人の自由」から「個人の国家支配への参与」と自由の概念が変遷することになる。国家秩序への服従者が秩序の創造に参与するとしても、権力に服従する諸個人によってのみ組織が構成されるとしても、なお民主主義は可能でありながら、個人の自由は後景に退き、社会集団の自由が前景に現れ出てくるのである。こうして『民主制においては国家そのものが支配の主体とされる。ここでは国家人格という覆いが、民主制感性にとって耐え難い「人間の人間に対する支配」という意味を覆い隠している』そして、自由観念の最終段階では、個人の自由は国家の主権に取って代わられ、言い換えれば国家こそが自由な国家となるのである。この内在論的に到達する自由概念の自己運動をこそ認めなければならないと著者は主張している。

第二章では民主主義の理念から現実へと導き、民主主義を構成する国民について述べている。ただ、再度言い換えている民主主義の定義が重要である。『民主主義とは、その理念に従えば、団体意志(比喩を排して言えば社会秩序)の創造を、それへの服従者、すなわち国民が行う国家形態・社会形態である。民主主義とは統治者と被治者、支配の主体と客体の同一性であり、国民の国民に対する支配を意味する』なんと響きの良い民主主義の原理であることか。ただ、すべての国民は団体にはなることはできず、規範を制定できずに被支配される国民へとなる。もう一点大切なことを述べれば、国民は政党を作り複数の政党に分かれ、相互の妥協点を探り団体の意志の中道を導くことにあるする。民主主義とは結局妥協なのである。

第三章「議会」以下、「議会制改革」、「職能議会」、「多数決原理」、「行政」、「統治者の選択」、「形式的民主主義と社会的民主主義」、「民主主義と世界観」、かつ「民主主義の擁護」については、それほど重要な点は指摘されていずに分かり切ったことが多くて、何点か気付いた点のみを記述したい。一つ目は、議会制の多数決の原理は少数者保護と親和的と指摘している。多数派は少数派の存在を、多数者の権利は少数者の存在を前提としているためである。多数者と少数者との双方の了解なしには不可能であるためである。つまり議会制における多数決の原理が政治的対立の妥協の原理、調整の原理とケルゼンは見なしていることである。二点目は先に述べたが、民主主義の理念を第一義的に規定するのは平等の価値ではなく、自由の価値である。自由の平等、富の平等など「平等」は多様な意味を持ち多義的であるためであろう。三点目は相対主義こそ民主主義思想の前提とする世界観であるとする点である。絶対善の権威に対しては服従以外の態度を取り得ないためである。

以上、簡単に本書の内容を紹介したが含蓄のある文章も多い。民主主義の本質を考える場合、原典に成り得る書であると思われる。なお、今日民主主義国家はさまざまな形態を持ちそれぞれの差異が存在する。この差異を調べてみるのも面白いし、差異が拡大して国家主義へ至る道筋、それは国家たる支配者の元に強力に国民が支配されることであるが、この道筋が確かにあることを調べても面白いと思われる。この道筋は私的情報の管理とこの情報に基づいた干渉侵害である。具体的に言うなら、このコロナ下における各国の私的情報の公表管理やこの情報収集システムの意義と行く末について考慮することから始まる。

以上

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。