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「藤尾の死」(短編集その3)より引用

藤尾は北を枕に横たわっている。白い布が顔伏せしている。死んでいるのである。自らが死を選ぶ理由がない。このため殺されたのだろう。誰にと言えば身近に藤尾を愛する者も憎む者もいた。愛するが故に殺したのか、憎むが故に殺されたのか。動機は分からなくとも身近な者たちの行動を調べれば犯人はすぐに分かる。藤尾の首には鎖が巻き付いている。きつく縛ったためか首には紫色の線状痕がある。縛った後に死んだのを確認して解いている。雑な解き方で鎖はゆるりと首から離れて、首の脇には金時計が転がっていて、時計はまだ鎖と繋がっている。壊れていれば誰にも贈ることができず、棺の中に金時計は入れられて、死んだ藤尾と運命を共にするかもしれない。


男はたぶん藤尾が寄せる愛のため殺したのであろう、藤尾に愛され男は三角関係になることを好まなかった。言い寄ってくる藤尾を邪険に跳ね付けた。それが類まれな美貌を持ち才智に長けた藤尾の誇りを傷つけた。藤尾は長々と言語を発し動作を伴なわせて癇癪を起しながら、なおも男に迫った。言語はハイカラな横文字ではなく、優雅な日本語の三味の音階も持たない単なる罵声である。黒くて大きな瞳が凝視している。底なし沼のように何をも飲み込む大きさで広がっていて恐ろしくもある。罵る言語と迫る行動があっても男はたじろがない。細い腕を握って折りたたみ、体を寄せて狂乱した女を無理やり座らせる。黒い瞳はかっと睨んでいる。


互い顔の距離は一寸と近い。藤尾は英語も日本語も発せずに睨む目付きだけがある。落ち着かせなければならないと思い、男は藤尾の頬に軽く指を押し当てる。それが間違いだったのである。藤尾は好意と勘違いして男に身を預けてくる。いつもの上品さの欠片もない。足と腕を長く伸ばして蛇のように絡めてくる。これはあり得ない幻覚だと思いながら、男はでも成す術がない。幻覚であっても冷静に現実を見詰め対処しなければならない。目を閉じると荒い息が聞こえてくる。走り駆け出して呼吸が荒く乱れている。なんと男は藤尾なる女を背中に乗せて走り出している。そして藤尾は自らの背中に蛇や蟇蛙を乗せたまま男にしがみ付いている。


この地を疾走する活きのよい馬は見当たらない。馬車を引く馬も柵を超える馬もどの馬も見出せない。従って男は馬になって、その背に藤尾と蛇と蟇蛙を載せてこの地の競馬場を疾走しているのである。冷静になって現実を直視するはずが、藤尾に体を絡まれて競馬場の最後のコーナーを回っている、男も藤尾も体を揺らして躍動している。荒い息をしながら男は後悔している。部屋の中に藤尾を入れたばかりに絡み付いてきて、きっと彼女と共に疾走する幻覚が引き起こされた。それならばこの幻覚を現実から消去するしかない。疾走を止めて立ち留まる、進行を停止して愛のない世界を作り上げるしかない。でもそれはできるはずがない。鎖を付けられた金時計が時を刻んで愛を急き立てている。休みなく秒針が刻んでこの世界に愛を注ぎ込んで未来へと進ませている。


藤尾を傷つけまいとした愛こそが藤尾を傷つけ殺したのである。心ばかりではなくて息も停止させたのである。すべては男が疾走を止めたことに起因する。藤尾をこの地に安らがせようとした男の意志とは反対に、疾走を止め静止すると、藤尾も蛇も蟇蛙も背中から放り投げ出された。勢いよく死のコーナーに叩きつけられたのである。部屋の中はごっちゃな生き物で溢れていた。でも藤尾は生きていて、蛇や蛙に囲まれながら冷静に時計を眺めていた。無論金時計である。時計の存在の有無を確かめるためではない、いまこの時が何時であるか、それに日付も加えて未来への予定を頭の中に描こうとしていた。近未来に訪れる喜びは愛するペアを作り出すことである。何組のペアが作り出されようとも、たった一組のペアのみが金時計の針が予告する時刻に祝福されるべきである。こうした藤尾の描いているバラ色の未来を男は薄々と感じていた。


正しく善なる喜びの出来事を生み出す時間こそが進まなければならない。悪しき出来事が生じるなら、この進む時間は停止しなければならない。停止することができなければ、生命の活動こそが停止する。これが男の信念である。生命の活動の停止、即ち死が生じるならば悪しき出来事が導き出している。それは男の望みではない。でも薄々と感じる未来は善ではなくてむしろ悪である。藤尾から金時計を奪い取ると、時計の鎖は人を殺す紐となることができる。この紐が善の役目を終えたならば蝋人形を吊るす紐として使ってあげたい。もはや紐は転がっている。男は誰もいない部屋の出窓に腰を掛けて街並みを眺めている。馬車も人も走っていずに川があって、大根を洗ったような濁り気のある水が流れている。


そうなのかと男は納得する。顔を伏せた白い布を剥ぎ取ると死んだ藤尾の顔が現れる、と思いきや蝋人形の愛らしい顔が現れる。甲高い笑い声が聞こえてくる。藤尾の笑い声にそっくりである。現実は非現実にも足を踏み込みながら、また現実に戻ってくる複雑な幻想過程を描いているのだろうか。金時計は生きていて時を刻み聞こえてくる、藤尾の吐息と西洋香水の匂いが背後にある。もはや別の女と言うことはできない。幻影ではない、ぴったりと男に体を寄せている女がいる。


やはり藤尾は生きている。誰もが悲しんで涙を流していない。何もが茶番であってすっかり騙されていた。男はふらりと立ち上がり蛇酒を飲みながら顔を真っ赤にしている。すると愛らしい蝋人形の顔が近寄ってきて、金時計が時を刻む音が聞こえて、藤尾の吐息と西洋香水の匂いがまたしても漂ってくる。しな垂れかかってくる手は蛇の肌のようにぬるぬるしていて、ひんやりと冷たくはなく生暖かい。やはり藤尾は生きていて男に金時計を差し出して、受け取るように催促している、受け取ればこの世界の未来は善へと実現されて誰しもが幸福になれる。でも、男は藤尾を抱えて寝かせ白布にて顔伏せをする。藤尾は抵抗しない、成せれるままである。金時計は藤尾の枕元にあって絶え間なく秒を刻んでいる。

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。