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題:ドストエフスキー著 江川卓訳「地下室の手記」を読んで

ドストエフスキーは苦手である。ずっと以前「罪と罰」を読んで途中で挫折してしまった。饒舌すぎて、自己矛盾も露わに心理が錯綜として、そして主人公は、微かに希望を持っていても、苦悩しつつ絶望に至るのである。つまり、悩み苦しむ人間が、その堅固な実体を前面に押し出して読者に迫ってくる。無論、こうした観念を含み赤裸々な実存形態が綴られている小説は稀であって、好きな人には堪らなく良い本であるに違いない。ただ、もはやこうした先入観を持ったからには、この固定観念を覆すのは容易ではない。でも、もう一度だけドストエフスキーが読めるかどうか確かめたくて、約200頁と短い「地下室の手記」を読んでみみることにする。「地下生活者の手記」とばかり思っていたが、表題となっているその理由は知らない。

結論から述べると、先に述べたドストエフスキーの特徴が、特に饒舌さなどが表れているけれども、現代文学の先駆的な作品とも言える。解説によると、この「地下室の手記」はドストエフスキーの前半の汎用な作品から、後半の「罪と罰」、「白痴」、「カラマーゾフの兄弟」などの偉大な五大作品へ橋渡しをする重要な作品と位置付けられているらしい。

あらすじは次のようなものである。下級官吏が遺言で金を受け取り退職して、地下室にて人間の理性や快楽、文明などにについて批判的に饒舌に語る。ただ、この主人公は外に出かけて女遊びを始める、旧知の人などと、お金のことなどでいざこざなどを起こす。そして、売春婦リーザに出会い、生の意味などについて説教をする。彼女の魂に語り掛けて支配しようと企てるのである。冷たかったリーザが得心したかのように心をすり寄せてくる。自らの住所を手渡しリーザが訪れるか疑心しながら、かつ恋をしているかのように今かと待ち構えている。リーザが訪れると、またしても魂に響き支配できるように語り掛けようとする。彼女は恋からではない、ただ売春婦の生活を抜け出したくて相談したかったのである。結局、リーザを抱いてしまい、金を握らせる。リーザは当然悲しくも去って行くのである。

ドストエフスキーの言語は正統な意味を持ち、自己懐疑について自己矛盾を含みながらも正当に観念的に語っている。伝統的な小説、特に浪漫小説などの枠組みの筋書きや心理描写からはやや逸脱しているけれども、述べる言葉は的確な意味を持ち適切に正確に心理やこの社会について描写している。こう述べるのは、サミュエル・ベケットの小説と比較しているためである。もはやサミュエル・ベケットの小説では、もはや言語自体が意味を有していない、消尽する者の行動や言語はもはや表層のみを描いていて、無意味な行動と心理を描いている。言語それ自体が反響して尽きることなく続くのである。

ドストエフスキーを現代文学の先駆的な作品と述べたのは、意味のある、意味を含んだ饒舌さが、ベケットなどの無意味な饒舌さへの転換点にあるためである、即ち、実存的な人間存在の形式そのものが転換させられるためである。簡潔に述べるなら、実存なる人間存在の形式が失われていく過程、即ち社会や他者と関係性を持つはずの人間が、次第に社会や他者との関係性が希薄になり、自らの想念の内にのみ生きることにある。肉体も精神も健常者ではない、幾つかの物にのみ偏執している不具者となるためである。

ドストエフスキーの正当な意味のある言語は、読む者に読むことを強いてくる、言語が意味を有しているために読むのが辛いのである。浪漫小説からドストエフスキーへ、そしてドストエフスキーからサミュエル・ベケットへと移行していく、この言語と物語、筋書きの推移は関心を引くけれども論じるのはなかなか難しい。

ただ、こうして読んでみるとドストエフスキーのこの「地下室の手記」にも、狂ったような饒舌な言葉の渦の中に珠玉のような意味のある言葉がちりばめられている、そのことに気付いて驚いている。この先見性ある言葉が苦悩する人間と結びついて、ドストエフスキーの高評価を支えているのかもしれない。次のような文章である。

『ぼくは饒舌家でかまわない、・・もし世の賢い人間の第一の、そしてただひとつの使命が饒舌であるとしたら、つまり、みすみす無の内容を空(から)のうつわに移しかえることでしかないとしたら』『この怠惰こそは、あらゆる悪徳の母なのだから。人間が創造を愛し、道を切りひらくのを好むものであることは、議論の余地がない。しかし、では、どうした理由で、その人間が破滅と混沌をも夢中になって熱愛するのだろうか?』『人類がこの地上においてめざしているいっさいの目的もまた、目的達成のためのこの不断のプロセス、いいかえれば、生そのもののなかにこそ含まれているのであって、目的それ自体のなかには存在していないのかもしれない』など、など。ドストエフスキーの別の作品を読むのは少し考えてみたいけれども、これらの言葉そのものは哲学的でもある。 

以上

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。