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題:谷崎純一郎著 「台所太平記」と「潤一郎訳 源氏物語」を読んで

「台所太平記」はとても良い作品である。谷崎家に仕えていた女中の話である。無論、谷崎は女中という呼び名を嫌っていて、個々人をどう呼ぶべきか、いろいろ工夫していたようである。例えば、本名を置き換えて呼ぶなどして気を使っている。主人の千倉磊吉の好色気味な性格は表立ってでることがない。女中たちの引き起こす出来事が主に綴られている。この出来事が人間の深層心理に届いていて、それに対応する磊吉や妻の賛子の溢れる人情味が、人間を肯定して未来への幸福な旅立ちを約束している。戦中の悲惨さや戦後の混乱期において、主人夫婦の女中に接する態度は慈愛に溢れている、どうしてここまで対等とも言える関係を維持できたかは分からない。やはり谷崎の人間に対しての肯定感が浮き彫りにされているためであろう。他の作品においても、谷崎が否定的に描いた人物は若干名を除いて記憶にない。無論、文壇仲間では激しい罵り合いもあったようであるが・・。

谷崎の文章は長めでおっとりとしている。ゆったりとした語り口が滑らかに彷彿としてくる暖かみのある作品にこそ、この文章は良く似合うはずなのである。例えば「盲目物語」や「吉野葛」である。決してマゾ的な肉体を描いた作品ではない。マゾ的とは鞭打つ瞬間性と俊敏性を持たなければならない。おっとりとした鞭打ちなどない。従って谷崎のマゾ的な態度は擬態である。女が好きであって女に憧れているためにこそ、マゾ的な擬態に結びついている。無論、主役は女でありながら、谷崎は決して女に尻に敷かれて鞭を打たれているわけではない。単に背中に足を乗せて按摩をしてもらっているだけである。主人として若い女を教育して、放たれてくる色香を楽しんでいただけである。こうした谷崎の楽しみは戦中戦後の芳しくない状況で、源氏物語の現代語訳と合わせて苦境を乗り越えさせる源になったと思われる。これらの本の出版年は以下の通りである。

台所太平記  1962年  
谷崎源氏   「潤一郎訳源氏物語」   1939年
       「潤一郎新訳源氏物語」  1951年
       「潤一郎新々訳源氏物語」 1964年

さて、本書の内容を簡潔に紹介したい。女中と彼女たちが引き起こした出来事だけを簡単に記したい。「初」は美人ではなかったけれど、肉付きは豊満で皮膚の色は真っ白である。雑巾で拭いたように足の裏も真っ白である。田舎の鹿児島では夜這いがあるが、されたことのない唯一の女である。磊吉は初の足で踏まれるのが好きである。初の姉は弟に貢ぐために三千円で売られている。「梅」は癲癇の症状があって、ガタガタ震えていることがある。嘔吐することもある。じっと空間の一点を見詰めたまま音もなく歩いて便所に用足しに行くこともある。結婚すれば治ると医者に言われて、実際結婚して子を産むと治ったのである。「小夜」は磊吉の鉛筆を無断で使って、引き出しにわび状を入れる。ねちねちした話し方をする女でもある。磊吉は怒って妻の賛子の説得に拘わらず首にする。

「節」は小夜が止めると田舎に帰ると言うが、別の宅に紹介する。節は小夜と同性愛の関係にあったらしい。小夜を斡旋してあげた先の女主人は穢わしいと言って、彼女たちが一緒に寝ていてダブルベッドなどを処分する。小夜が田舎の徳島から小包みを送ってくる。するとすき焼き鍋の古いのやらガラクタが出てくる。こっそり集めていたものを返してきたらしい。「駒」は「男性の精子は何処の薬局に行ったら売っているのでしょう」と言うなど、突飛なエピソードがたくさんある。嫁に行くとき妻の賛子が枕絵を見せると、熱心に息を凝らして見詰めて「こんなのを見るのは好きでございましわ」と言う。駒は人の声色を真似るのが得意である。怪しげな人が戸外に居ると、五六人の声色を真似して退散させてしまう。犬のダニを五千匹追い払ってぽろぽろと泣いている。犬が可哀そうでたまらなかったらしい。

「鈴」には磊吉自ら教育して、鉛筆で文字の練習をさせたことがある。自らも勉強して難しい漢字も書けるようになる。「銀」は自転車に乗って橋から転げ落ちて眉間から血を流して痣が残る。「定」は再婚した母親の元に居づらくなり、実父も再婚して、姉も悪い男に騙されて子がいる。この定が女中の中で最初に嫁に行く。孤独で優しく他人のために骨身を惜しまず働くことを惜しまないため結婚相手の母に見染められたのである。器量よしは銀と鈴である。銀はタクシーの運転手と恋仲になる。タクシーは磊吉の家と買い物などをする熱海とを結ぶ貴重な役目を持っていたのである。運転手の光雄と石段の下でキスをしている。車内で二人抱き合っているなど熱い仲である。銀は光雄のために田舎の祖母から都合された三十万金を貸すなどして、博打などなどの悪行から手を引かせるつもりである。銀は鈴があるところから調達してもらった五万円も光雄に貸している。ただ、同じ女中の百合とも光雄は恋仲にある。

「百合」は磊吉の外食時の最高のお供である。磊吉に気後れなく物言いするためである。光雄との仲が破局して後に百合は有名女優の付け人になる。元々からそういう希望を持っていたので妻の賛子が世話したのである。ただ、女優の代わりになった積りで周囲の者たちに威張り散らすため有名女優も腹に据えかねていた。結局炭坑の落盤事故で脳天から顎にかけて鉄の棒のようなものが真っすぐに突き刺さって死んだ父の元にもいかず、豪勢に集めた品々と持ってある会社に勤め口を見つけ出したらしい。百合は光雄が男性の象徴たる一物の偉大さを自慢して見せびらかすと、助平野郎と言って怒っている。体の関係はなかったらしい。銀はすでに女になっているとの噂がある。結局、銀が光雄と結婚する。光雄も根気良い説得を受けて、賭博、女漁り、競輪、負債の山などの悪行を止める。鈴はラブレターを受け取った男としばしば喧嘩をしていたようだけれども、清い交際をしていて、結局縁談としてまとまる。

磊吉は女中たちの子の名付け親になったり、妊娠時の「帯祝い」を行ったり、こうして晩年になったある日、昔の女中さんたちなどにも来てもらって喜寿のお祝いの宴を開く。健康を祝して万歳をあげる。最後に本書について再度言うが、谷崎のゆったりとした文章が、女中と言うより女が好きな磊吉と人間味溢れる女中の小話を丹念に描いて、意外ながら傑作とも言えるのである。これは夏目漱石の「坊ちゃん」と同等に値打ちがある。

「潤一郎訳 源氏物語」は良い本である。谷崎のゆったりした長めの文章が良く似合っている。それに、できるだけ具体的な現実感を削いだのが良い。ある種夢の中にいるような、物語の中に溶け込みそうな気がしてくる。この「潤一郎訳 源氏物語」については機会があれば論じたい。

以上

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。