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ロサンゼルスで出会った奇跡

僕は、学生時代はそれほど友達付き合いが上手な方ではなかった。むしろ、苦手だったと言ってよい。アート学部の教室で、課題の制作をしている時間が幸せで満ち足りていた。暗室で写真を焼いたり、ろくろに向かって器をつくったり、油絵のキャンバスに向かったり、版画を刷ったり、ガス溶接で鉄を溶かしたり、木工機械を使って額縁をつくったり。よく、明け方までアート学部のビルにこもっていた。そこが、アメリカ留学中の自分の居場所だった。

それでも、時々とある友人の家にふらりと遊びに行くことがあった。1994年に、同じタイミングで日本からアメリカに降り立ち、最初の夏学期だけ一緒のクラスをとった日本人の友達。その後、学部は別々になったので、同じクラスを受けることはなかったのだけど、それでも同じ日本人ということで、時々みんなで集まっては日本のテレビドラマをビデオで観たり、日本料理をつくったり、本の貸し借りなどもした。僕にとって、数少ない、心を許せる仲間という感じだった。

ある日、その友人が小さな真珠のチャームを僕にくれた。
「へー、きれいだね。ありがとう」
「いいでしょ。お土産。ラスベガスに行ってきたの」と彼女は僕と一緒にその真珠を眺めながら言った。「ジュエリーのコンベンションがあったんでね、そこでもらったの」
彼女の実家が、宝飾店を営んでいることを僕は知っていた。その家業を継ぐために、大学卒業後はジュエリーの専門学校で勉強を続けるらしい。
コンベンションのカタログや、その専門学校のパンフレットも見せてくれた。

僕は正直、彼女が羨ましかった。卒業後も、しっかりと未来を見据えて夢と目標をもって人生を歩んでいる彼女。一方僕は、卒業後の進路が全く見えないまま、就職活動の入り口にすらたどり着けない状態で、無駄にじたばたして摩耗していく状態。

「いざとなればホームレスにでもなるよ」とうそぶいてはいたものの、内心は不安で仕方がなかった。アート学部に入った時点である程度は予測していたが、これほどとは思わなかった。まさに、お先真っ暗。

夢を語る彼女は、素敵だった。

その彼女が、大学卒業の6週間前、事故で亡くなった。

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アメリカで陶芸彫刻を中心にアートを学び、ロサンゼルスでホームレスになりかけつつもフォトグラファーとして仕事を得て、その後日本でウェブデザイナーからデジタルマーケケターへ。

日曜アーティストとして、今まで展示した作品や、開催したワークショップなどをまとめていきます。

「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。