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日曜アーティストの脳内回顧展(仮)

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日曜アーティストとして、今まで展示した作品や、開催したワークショップなどをまとめていきます。
アメリカで陶芸彫刻を中心にアートを学び、ロサンゼルスでホームレスになりかけつつもフォトグラファーと…
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2022年2月の記事一覧

同じ今日という日

9年前の今日のFacebook投稿7年前の今日のFacebook投稿3年前の今日のFacebook投稿2年前の今日のFacebook投稿同じく2年前の今日のFacebook投稿 そして、今日今日は、2022年2月27日。今月に入ってから、僕の個人的な創作活動の履歴をまとめようと思って。バックアップ用のハードディスクを掘り返しつつ、なんとなくの時系列で古いものからまとめて、noteに記事を書いている。 現在、13本の記事を公開。文字数にすると、4万8千を超えたところ。このペ

待受け画像のクライアント

シャープ株式会社2004年のある日、突然シャープ社の方からメールが届いた。あの、誰もが知ってる電気機器メーカーのシャープ。最初、スパムメールかと思ったけど、どうやら本物のようである。 とりあえず、詳細の話を伺うために、会ってみることにした。恵比寿駅で待ち合わせをして、近くのカフェに入る。この時点で、自分はまだ半信半疑である。 「男性の方だったんですね」と、シャープの担当者さんが言った。「てっきり、女性の方だと思ってました」 「あー、あの、代官山で撮った写真ですよね。あれ

とりあえず100個つくってみる

なにかしら新しいスキルを身につけようとする時に、とりあえずなんでもいいから100回やってみるっていうのはすごく効果的だと思う。最初は「100は多いなぁ」って感じるんですけど、やってみると意外と達成できる数なんですよね。お風呂に入って100を数えるっていうような、そんな感じ。 例えば、学生時代に陶芸彫刻を専攻していた時に、とりあえず轆轤を使って100個の器をつくってみようと思って、夕方くらいから陶芸ルームにこもって、ひたすら延々と作り続けたことがある。明け方に100個目を完成

モンスターが健康アドバイスをしてくれるFlash待受画像

「昔、携帯電話にFlash形式の待ち受け画像が設定できたんだよ」って言って、理解してくれる人がどれくらいいるんだろう?Adobe社が、携帯端末版のFlashの開発終了を発表したのが2011年11月。当時僕は、モバイルコンテンツプロバイダーで仕事をしながら、趣味でたくさんの待ち受け画像をつくっていた。もちろん、Flashのも。 「ガラケー」と呼ばれる、スマートフォン以前のいわゆるフィーチャーフォンの時代。メーカーごとに、あるいは通信キャリアごとに独自のフォーマットや仕様が濫立

日替わりトップページデザインチャレンジ(2001年3月)

2001年3月1日(Day 1)5年間のアメリカ生活を終え、日本に帰ってきたのが1999年3月末。1998年にアメリカのリノにある大学を卒業した後、ロサンゼルスに移って、そこで1年間フォトグラファーとして仕事をしました。イスラエル人が経営する、宝石アクセサリーをデザインして店舗に卸す会社で、広告用に商品を撮影する仕事です。その仕事をしながら、Photoshopを使った画像編集や、ウェブ制作の基礎なども学びました。 日本に帰国してから、アメリカで身につけたITのスキルを活かし

どん底よりも深い底

これ以上落ちようがないという、最低最悪のどん底状態にいるとして。「ここから先は、あがっていくだけだ!」なんて思っていると、あっけなくその底が割れ、さらに深い深いその先の方へ落っこちていく。不幸に限界なんてないのだ。最悪な状況だと思っても、さらにもっともっと下がある。

2000年につくったサイトを2022年に復活させる

この文章を書いている今日は、2022年2月13日。三連休の最終日。 先週あたりから、バックアップアーカイブ用のハードディスクに保管されているファイルを見返しつつ、自分のこれまでの創作活動履歴をまとめているところ。アートと出会った学生時代のこと、卒業後に職探しをしながらアメリカ西海岸を放浪したこと、学生時代の個展と、渋谷の地下道でゲリラスタイルの写真展をしたときのことなど。 昔つくったウェブサイトのデータを見返していたら、2000年から2001年にかけてつくったサイトのデー

待ち受け画像の文化

2000年頃から、コツコツと携帯電話の待ち受け画像をつくっていた。一番最初につくったのは、白黒2諧調の5KB以下の画像。動作確認をしたくても、当時僕は携帯電話を持っていなかった。 初めて買った携帯電話は、三菱電機製のNTTドコモmova端末、D502i。ダイアルボタンの部分にカバーがあって、それがカパカパ開閉するデザイン。それまで白黒画面しかなかった携帯電話に、なんとカラー液晶が搭載されたのが発売当時は革新的だった。画面サイズは、96×120ピクセル。というわけで、このサイ

ロサンゼルスで出会った奇跡

僕は、学生時代はそれほど友達付き合いが上手な方ではなかった。むしろ、苦手だったと言ってよい。アート学部の教室で、課題の制作をしている時間が幸せで満ち足りていた。暗室で写真を焼いたり、ろくろに向かって器をつくったり、油絵のキャンバスに向かったり、版画を刷ったり、ガス溶接で鉄を溶かしたり、木工機械を使って額縁をつくったり。よく、明け方までアート学部のビルにこもっていた。そこが、アメリカ留学中の自分の居場所だった。 それでも、時々とある友人の家にふらりと遊びに行くことがあった。1

Daimaru Hotel

Six weeks before the graduation ceremony, I lost my friend in a car accident. She was like a bouncing little ball, full of energy, always challenging for new things, looking for an adventure. We arrived to the U.S. on a same airplane, went

アートとの出会い

「あの教授のクラスだけは、厳しいから取らない方が良いよ」って、学生たちに噂されているアートのクラスがありました。H教授の「Visual Foundation(視覚基礎)」のクラス。課題が多くて、評価も厳しく、先生がとにかく意地悪だと言うのです。それを聞いた僕は、「へー、面白そう」と思い、H教授のクラスを取ることにしました。 授業を取るにあたって、「準備するものリスト」が渡されました。そこには、クレヨン、のり、鉛筆、カッター、定規など、およそアートのクラスとは思えないような、

「ちっぽけな作品展」から個展へ

息をひそめて、「じゃ、みんな入って、入って」と友人たちを招き入れる。深夜の大学の構内。日中はアート学部の学生でにぎわうこの建物も、この時間は誰もいない。階段スペースの壁と床に、イラストやスケッチ、油絵、素焼きの陶芸作品などが展示されている。 一夜限りの、個展。

LAでホームレスになりかける

1998年から1999年にかけて、ロサンゼルスに住んでました。大学卒業後に1年間有効の就労ビザを取得したので、それを使って就職活動。 アート学部を選んだ時点で就職に不利なのは分かってたけど、まさかこれほどとは!という感じで、職を求めて、アメリカ西海岸を約1ヶ月ほど放浪生活。「ホームレス」ではあるけど、車があるので「路上生活者」ではないという状態。先日観た『ノマドランド』では、こういう家を持たずに放浪する人のことを「ハウスレス」って言ってましたね。もっとも僕は、ロサンゼルスに

Fotologから渋谷の地下へ

Instagram(インスタグラム)が誕生したのは、2010年10月。「へー、面白そうだな」と思って、僕がアプリをiPod Touchにダウンロードして使い始めてみたのが2011年1月。以来、11年間で2.2万件の投稿をしてきました。1年間に平均して約600枚の写真をInstagramにアップし続けています。 写真を撮るのが好きですもともと写真を撮るのが好きで。小学生の頃に110フィルムのコンパクトカメラを買ってもらってすごくうれしかった記憶があります。さらにうれしかったの