見出し画像

自己紹介[前編]

noteをスタートし、半年が経ちました。
さまざまな方に読んでいただき光栄です、ありがとうございます。
「自己紹介」がまだだったので…

みなさん、『ジャンプ』好きですか?
僕は毎週欠かさず読んでいます。
『ONE PIECE 』の主人公、モンキー・D・ルフィの夢を知っていますか?
そう、「ひとつなぎの大秘宝ワンピースを見つけて、海賊王になること。」です。
このまま『ONE PIECE』の話をずっとしていたいけど…
今日は僕がどんな人間で、あなたはどんな存在なのか…夢物語のようなお話をしたいと思います。

ある電話から会社を辞め、夢を集めながら、氣付いたら日本を歩いちゃってた38歳、稲垣冬馬のお話です。

『あなたの夢は何ですか?』

僕は〝みんながゆめ〟です。

13年ぐらい前、僕は自分の夢について考えていました。夜の9時半ぐらい、愛知県の実家の近くの月極駐車場で星を見ていたときのこと。

〝みんながゆめ〟って聴こえたんです

意味わからないですよね、僕もはじめはそうでした。でも他の目標を掲げても、それは僕の夢になることはなかった。でも少しずつわかってきたんです。

小さい頃は夢のない、冷めた子供でした。
小学校や中学校のアルバムに「将来の夢」とか描きましたよね?
あれ、僕は「イタリアにサッカー留学する」って描いたんです、当時サッカーをやっていたので。
これなら大丈夫でしょ的な。つまらんガキです
でもそんな夢のない少年が、3人の出逢いによって、運命を大きく変えていきます。

まず1人目は中学校の友達、サボ(通称)。
僕が親友と呼べるのは、サボだけだと思う。

サボとは中学3年生のときだけ同じクラスでした。
高校はそれぞれ違う学校へ行き、再び会ったのは大学3年生のときだった。
何年か振りにサボから連絡が来て、面白い話を聞いたと教えてくれました。
それは「富士山から日本が明るくなるようなHAPPY NEWSを発信する」というものでした。面白そう!

当時は2005年、今のようにSNSやスマホはありません。伝言ゲームのようにそれはサボへ伝わりました。
サボに教えてくれた人に、僕たちは会いに行きました。その人も発起人のことは知らず、もう一人前の人を教えてもらいました。そしてその人から、僕たちは発起人へと繋がります。

At Fukuoka in 2016

2人目の大きな出逢いは、発起人のシャンクス(通称)。
「暗いニュースが多いから、みんなで明るいニュースを発信しよう。」「富士山は日本で一番高い山だから、そこからHAPPY NEWSを届けたら、日本が明るくなるよ!」 … シャンクスが嬉しそうに語るので、僕もワクワクしました。

それから毎日夢を集めました。僕たちがシャンクスに出逢った翌月末(当時は2005年の9月)が、富士山へ行く日でした。時間はそんなにありません。地元の学校や駅、様々な場所へ行き、夢を集めました。
夢ハンカチという30cm × 30cmの白い布地に夢を描いてもらい、それを集めています。その描いてもらった夢ハンカチを赤い糸で縫い合わせ、『LOVE THE EARTH』という夢文字を作り、それをHAPPY NEWSとして発信しようというのです。

集めた夢たちを赤い糸でつなぐよ

夢のない少年が夢を集める。最初はそれに氣付きませんでした。どうしてかわかる?
楽しかったから
氣付いたら毎日夢を集め、夢を赤い糸で縫うために、シャンクスが経営する漫画喫茶に行っていました。
みんなに聴いたように聞くんです、『あなたの夢は何ですか?』って。
すぐ描く人、考える人、絵を描く人、たくさん描く人etc…

たくさんの人たちに夢を聞きながら…僕は目の前の方に問いながら、自分に問うてたのかもしれないね。
そして〝みんながゆめ〟というメッセージを受け取ります。これが何を示しているのか…もう少し待っていてね。

Mt. Fuji summit in 2018

3人目の運命的な出逢いは、レイリーです(通称)。
サボと再会し、シャンクスと出会ったのが大学3年生のとき。翌年の夏、僕は大学を辞めました。
賛否両論あると思うし、結構面白い裏話があるけど、本編から逸れるので進みます。

レイリーとは大学4年生の6月に、シャンクスから紹介されました。僕はこんなに笑顔の素敵な人がいるんだ!と驚いたのを覚えています。レイリーは名古屋で会社を経営していて、〝いのち〟と向き合う仕事をしていた。

その翌月、7月に大学を辞めました。
お金は大事だけど、それだけで働くことは難しいと思っていた。
「尊敬する人の下で働きたい」、僕は生意気にもそんなことを感じながら、どうしたらそれができるだろうと考えました。
「素敵な人は素敵な人を知っている!」、僕はレイリーに連絡しました。
想いを伝え、そうゆう人を紹介してほしいと言いました。
僕は当時20歳、若いって勢いあるね。
そして僕はレイリーの下で働くことになりました。

With my mentor in 2013

レイリーは社長、当時は200人近い社員がいたと思う。社員は皆レイリーを慕っていて、僕はこの会社が大好きでした。
大変だけど仕事は楽しく、社員も素敵な人たちばかりだった。

レイリーの下で11年、お世話になりました。
学生時代、仕事は楽しくないものだと思っていた。でもそれは違った。
実際やってみて、出来ないことや難しいことはたくさんあるけど、考えてやって失敗して、でも何度もやって、やり方を変えて…みんなで何かを作り上げていく楽しさを教わった。

でも、ずっと何かが足りない…そんなような感覚が僕から離れなかった。
当時はそれが何かわかりませんでした。
それが1本の電話から、大きく変わっていく。


『自己紹介[後編]』へ、Please check next𓆫


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?