見出し画像

宗教2世と医者の子どもは似ている

  新興宗教2世の方の半生を綴った手記がとても良かったので紹介します。

  何ヶ所も印象に残ったので引用しながら感想を付けていきます。とくに受験産業にいる私から見て既視感のある話題がいくつもありましたので、それを中心に拾っていきたいと思います。

 まずは16歳~18歳の頃、最も信仰に熱かった時期のお話。

模試で開成や灘の生徒に負けては仏弟子としてみっともないからと1日14時間ほど受験勉強をする一方、祈りや瞑想にはよりいっそう熱心に励み、英語検定の受験のために麓の高校に行った際には教室のうしろの本棚に教祖の書籍をしっかり”献本”し、某出版社を相手取った裁判で先輩信者が証人として出廷するとなれば東京地裁に駆けつけて傍聴席から“応援の祈り”を送ったりなんかもして、とにかく生活のすべてを教祖に捧げる日々が続きました。

  この教団はなぜか二世の子供たちに東大などの難関大学受験をさせていたそうです。合格することだけが目的であり、それを蹴って教団に就職するのがルートだったと言います。筆者は家系的に勉強が大変得意であり、その一方で精神的に(肉体的にも)脆弱な遺伝的体質を持っているようです。いわば、宗教を必要とする条件を備え、かつ宗教に没入しやすい気質を備えていたとも言えましょうか。(家族それぞれの顛末も本文には記載されています。)

 このくだりを教育者として読むと、受験勉強みたいなものは視野狭窄の人間の方が強いという法則を思い出します。予備校や進学校も似たような思想誘導によって受験の成果を上げようとしている面があります。これは苦々しい話であり、受験システムの問題点だと思っています。

  さて、次。

今でもときどき、私は自分と同じように東大を蹴って教団で働いていたふたりの信者仲間のことを思い出します。ふたりの言動を今になって詳細に振り返れば、彼らには教祖が神でないことなど当時からちゃんと分かっていたように思います。それでもそのふたりは、自身の将来が親や教団によって決定されてしまうことに絶望するでも不貞腐れるでもなく、他方で教団の活動に深くコミットすることは避けながら、ひとりは資格を取り、ひとりは優秀な塾講師として働き、それぞれが自分の手札の中で出来ることを着実に成し遂げていました。

  この箇所も教育者の視点から思うところがありました。世の中には進路を親に決定されてしまう子どもたちがいます(医学部受験など)。その絶望感から精神疾患になる子や激しく反抗する子もいますが、多くは運命を受け入れ、淡々と受験をこなしているように見えます。その様子はまさにここで書かれているように、「絶望するでも不貞腐れるでもなく」、「自分の手札の中で出来ることを着実に成し遂げて」いるといった趣きです。そういう生徒を見ると私は複雑な気持ちになります。そして、もしその子が運命に抗おうという意志を示したならば、そのときは全力で応援するつもりで接しています。

  次は、19歳にしてついに教祖が嘘つきだと判断を下し、信仰を捨てることを決めた頃の気分について。

信仰を失った当時の気持ちはいま振り返ってみれば意外と冷静(というより、教祖がペテン師であるという事実に目覚めたのは自分だけなのだという興奮状態)だったように記憶しています。

  この興奮状態というのもよく分かります。私も似たような経験をしたことがありました。教祖なりカリスマ的指導者なりがいて、人々はその人を賞賛し、私財を投げ打って忠誠を誓っている中で、自分だけがその正体を見破ったという興奮。これは滅多にない体験です。(もちろんそんな体験はしないに越したことはありません。おかしな集団には始めから近づかなければいいのです。) 

 後半は教団から離れて実世界で生きていこうとするも上手く行かないという話になります。この方は普通の世間の人達から見るとよほど変人に見えるらしく、あからさまに差別されていたそうです。(書いてはありませんが有り得そうなのは自閉症傾向でしょうか。)

 熱心な信者である親とは当然反りが合わないわけですから、親を当てにしないで自立する必要があります。しかし、日本の諸制度はその障害になっていると筆者は指摘します。

親との関係が良好でない方たちが遭遇するさまざまなハンディキャップにももう少し注目が集まって欲しいと思います。たとえば奨学金は両親自体が裕福であれば受給が難しくなりますし、身元保証人がいなければ就職先も限定されます。アパートの契約も保証人がいなければハードルが上がるでしょう。
(略)
さらに生活保護の申請では原則として申請者の家族や親戚に連絡がいくため、自身の現状を親族に知られたくない場合にはそれが手続きを躊躇する原因になりえます。

 これも全くその通りで、私も以前調べたことがあります。前述のような進路を決定されてしまう子どもにアドバイスする必要があったからです。こうして見てくると、宗教二世の悲劇と医者の家系の子供の悲劇は構造的によく似ていることが分かります。俗世での成功を志向するか否かという違いはありますが、子どもの人権を無視して進路を強制している点はそっくりです。宗教二世問題が社会的に取り沙汰されるようになった昨今、医者の家庭教育の問題にも社会はもっと注目すべきではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?