♡五つ葉♡
なかなか五つ葉なんて見つからないと思う♪近くの河川敷で見つけました!
幸せの時~✨✨✨(笑)
去年、子宮頸がんが見つかりまして思うこと感じることを書いています。
興味の無い方は今回もさらに興味の無い内容と思います。ご承知くださいませ_(._.)_☆
治療の話
去年の10月に診断を受けてから今日までの経緯をまとめておこうと思う。
2021.10月中旬 生理不順はいつものことであったが、なんだか一段と血が止まったり出たり忙しなくなってきたので、婦人科の受診を予約。一番早くて2週間後の予約しかとれなかった。精神的に参ることが増えてたので、てっきり精神的なものかと…
10月末、仕事終わりに大量出血で急遽、予約していた婦人科を前倒しで受診。内診の際に「たぶんこれは悪性で間違いない」と告げられ、グリグリと綿棒?を押し当てているような感じ、細胞取りますね~とブラシのようなものをガシガシーーーっとこすりつけられたりした。ブラシみたいなヤツも、普通の内診もメチャメチャ痛かった(´;ω;`)ウゥゥ
もちろん、検査結果などすぐ出るはずは無く、流れてくる血液を膣にガーゼを突っ込んでおさえてもらい、オムツをテキトーな大きさに切ったものをパンツに挟み(笑)「ここでは対応出来ないと思われるので大学病院に行ってください」と。。。え?なんであんな痛い検査されたん?もう関わることがないとわかっていながら細胞を取り、血液を採り、医師の間で「この患者ヤバかったね~」なんて勝手に検査結果を見てるのかとおもうと腹が立つ😡
同じ経緯でわかってくれる人いるかな???🤔
病院に呼ばれたタクシーで大学病院に行き、また同じ検査を…グリグリ、ゴシゴシ😱
でも!!! 大学病院の先生の内診は1ミリも痛くありませんでした!本当にどんな先生に当たるかで天国と地獄が分かれる…と感じる。
ここで「癌であることは間違いないでしょう」と改めて告知。「お仕事はしばらく出来ないと思ってください。仕事は休めますか?とにかく止血できるまで帰すわけには行かないので何日か入院してもらいます。他の検査もして全身の状態を確認しますね。」
3日間検査入院し、止血もできたので退院。勤務先や友達、親戚に助けを求めて連絡をしたり。。。。
1週間後、大学病院で全ての検査の結果を外来で受ける。この時親戚が他府県から来て付き添ってくれてました👼
結果は子宮頚部腺癌ステージⅣ、リンパを廻って全身に癌が飛び散っていると聞く。がん治療に良いイメージが持てなかったので何もしたくないと伝えたが、病院としてはとにかく抗がん剤でコントロールできるかやってみるしかない、効くかどうかはやってみないと分かりません。とのこと
主治医になったのは男性の先生でした。「癌とわかってから時間が少ないから、考えがまとまらないのも仕方ないですよ。当日やめて帰ってもいいのでとにかく来週入院の予定を入れましょう。一刻も早く治療しないと。」と。
ボヤ~としながら家路につき、その日はずっとポ~っとしていました😂
3日間いてくれた親戚も次の日は仕事があるのでとりあえず帰ってゆき、入院までずっとブログなんかを読み漁ってました。「無治療の人いるかな?抗がん剤で治った人いるかな?みんなステージⅣでも手術はしているのかな?」手術をしている人が大半。お一人だけ、手術なしで3年ほど闘病している方がいて少し希望が✨✨でもその方は扁平上皮癌、私は腺癌。当てはめるのは無理かぁ~とか、グルグルと素人考えを繰り返し、いよいよ入院。次の日が抗がん剤の予定。でもまだ心を決められず。。。(^^;)💦💦看護師さんにソーシャルワーカーさん、病院の中の色々な方に話を聞いていただきました。主治医にも時間を割いてもらって、今、無治療を選んでどうなるか?を聞きました。
まず痛みが出てくる、放射線を少量ずつ当てて痛みを緩和する。薬でも痛みをコントロールする。がんがもっと進行すると肩や首、がんが飛び散って見えたところから皮膚が膨れ上がったりして最後は癌細胞が出てきたりする。脳にも転移が始まると意識が無くなって…
主治医は本当にリアルに教えてくれたと思う。姉が15年前に亡くなった時の様子そのままだった。マジマジと思い出した。
それはどのくらいの期間だろう?と質問すると「‘’年‘’は言ってあげられないな」と。。。私の予想では2か月くらいかなと思っていた。私の全身の様子は姉が亡くなる2か月前に見せられた画像と瓜二つだったので。。。
でももしもっと長引いたら、、、辛いなぁ~ポックリ逝きたいけど、それは無理そうだなぁ。。。。治療で長々と苦しむのも嫌だ。どうしよう。やっぱり考えはまとまらない。
主治医は「○○さん、本当に抗がん剤をやりたくないのなら、僕らはその状況で全力で医療にできることをやる。○○さんの決めたことを全員で支えてついていく。でも、まだ若いですよ?やってみないとわからないけど、今僕が最高のストーリーとして描いてるのは、抗がん剤で飛び散っているがんがうまく消えてくれて、子宮のがんもある程度小さく出来て、そしたら放射線を全量で当ててがんを叩ききる!!!そうなればいいなと思っていて、そのためにはすぐに抗がん剤治療を始めたいし、放射線を一番強い線量で効果的にあてるためには、今緩和のために使いたくない。少しの線量でもあててしまうと、○○さんが考え直したときに、やっぱり治療したい!って思った時に使えなくなってしまうから」
本当に、こんな分かりやすい説明をしてくれる医者はほかにいないと思う。😭✨✨先生感謝♡大学病院のみな様感謝♡
抗がん剤治療の当日の朝まで悩んでもいいですよ。と時間を頂いて、大学病院で過ごす夜をほとんど寝れないまま過ごした。
一晩悩んで、「ハゲで死にたくないのぉぉぉぉぉ😭」と泣き叫んだ自分自身に少し笑える余裕ができて、心を決めた。抗がん剤治療はやってみよう。やってみて嫌ならやめよう。うん。
何より手術!と言われなかったことに安心した。もちろんそれは私の状態が手術できる状態では無いということだが、今はだいぶ昔とはがん治療に対する考えや方針が違うのかもしれない。と少しホッとしていた。
本当にいい病院、いい先生だけど、現実問題、毎回親戚に他府県まで来させるのはキツイ。かと言って副作用を一人で乗り切るのも無理。2クールTC療法+Bevを受けたところで、腫瘍マーカーの数値はみるみる下がり、効いているもよう♪
(少しウキウキし始めた自分に「やっぱり生きたいよねぇ」と自覚した💧)
親戚の家の近くにアパートを借りて、姉と母が亡くなったマイホームタウンに帰ってきた。病院を転院することになり、やはり大学病院が一番オススメと言ってもらったが、そこは姉が亡くなった病院でもあり、ツライ思い出が詰まりすぎているので、自分で探し主治医に相談すると、目星をつけたⅠ病院は大学病院と姉妹病院みたいなところで、連携してるから治療も安心して受けれそう と、そこに決めた。
転院って難しい
ホームページからわかる情報なんて限られ過ぎていて何もわからない。ある程度覚悟はしていたが、I病院で主治医になった女性の医師は私には合わないタイプの方でした。。。(´Д⊂グスン
最初に受診したとき、前の主治医はこういう治療の計画をしてくれていたので…と説明すると、その女医は「病院が変われば治療も方針も変わるので」と。きっと画像を見るなり「手術できるー♪」と喜んでいらっしゃったに違いない。😞(かなりの偏見入ってますゴメンあそばせ)
3クール目を転院したI病院で受け、画像で評価という流れになった。4クール目の予定を入れないことに疑問をもったので、3クール目の入院中に主治医に聞くと「手術する予定ですっ」と。私の意志など1ミリも気にしていない様子だった。。ヤバっっっ😲😲😲💦💦
これは姉の二の舞だぁ~!!!(詳細は別記事を読んで頂きたいです!(;´・ω・))
と、親戚に助けを求めた。手術だ!と言われたら、きちんと説明をしてもらえるように。さらに、手術を拒否できるように味方が欲しい!他の選択肢が無いなんておかしい。
迎えた画像評価の結果の受診日。抗がん剤はよく効いていて、6センチあった子宮の癌は3センチまで縮小し、全身に飛び散っていたものも見えなくなっていた✨経過は良好。頑張った甲斐がある🤗
が、まず同席者がいることに女医は嫌悪感をもっている表情だった。そして
女医「私たちの話し合いの結果、手術、ということになりました。」やっぱり…なんで患者が選べないのか?私にはこれが、‘’選ばせない‘’という姿勢にしか感じない。😠ふンっっっっ
そして淡々と手術の説明を始める。私はとりあえず一通り聞いてから自分の思いを話すのが筋だと思ったので黙って女医の話が終わるのを待っていた。そしたら見かねた叔母が、先生の話を遮って言った「手術以外の方法はありますか?」ここから混乱が始まる。。。😱
女医「ありますけど、、手術が一番であると判断したので」ムっとしている様子。
私「先生、私は姉をこうこうこういう経緯で亡くしているので、子宮の癌を取ったところで他に転移していれば意味が無いと思うんです。」
女医「子宮の癌を取らないと必ず再発するので」
私「ツライ思いをして手術をしても他に再発して死んだら意味ないです。ボロボロになって一年後には死ぬとか嫌なんです。」涙が出てきた。。
女医「手術したおかげで1年も生きられたんですよね」冷たい視線。窓の外を眺めて、あ~ダルいわこの患者。。という雰囲気
私「。。。涙」
叔母「手術したほうがいいんですよね?長生きするためですよね?」
女医「そんなことは言ってません。手術してもそうなるかはわからないです」
叔母「でも手術や。っておっしゃるのはそれが一番の方法やから。ですよねぇ?」
女医「そんなことは言ってないです。」あきれた様子で「もう一つ方法としては同時化学放射線というやり方もあります。」
私「。。。涙」なんで最初に選択肢教えてくれへんの?ほんまにみんなでそう話し合ったん?やとしたらやっぱり手術するべき?手術して5年6年と生きてる人のブログはたくさんある。。。
叔母「どうする?先生が手術や言うんやから手術にするか?頑張るか?」
私「涙。。。」思考停止。😭笑 37歳にもなって情けない。(-_-;)
先生「手術しなかったところで、抗がん剤してる時点で子宮としての機能は失ってますけどね」私の子宮を横目で見て、とても機嫌が悪そう。
私「。。。」もうなんでこんな病院にきてしまったんやろ。。。転院なんかするんじゃなかった。岡山の病院にいれば良かった。同じ女性に対してなんでそんなことが言えるんだろう。。。こんな場所もう嫌だぁ😭😭😭笑
もう話にならないのでこの日は何も決めずに帰った。
女医が言うには早く決めないと手術の予定が取れなくなりますよ?と。
いや、手術したくねーて言ってんだよっっ
本当に話が通じないってこんなに悲しい。😟
その場には叔母と、叔母の娘で私の従姉妹が来てくれていた。
終始黙っていた従姉妹も、2人とも、手術するべきだという意見だった。😭😭😭味方してほしかったのにぃ。。2人は、あの先生はいい先生じゃないかもしれんけど、話し合いはみんなでしてはるんやろ?他の先生もみーんなで出した答えが手術やって言わはるんやから、手術がええんちゃう?
確かにそうとも思える。でも、ほんまにそう?あの女医が手術大好きなだけで、他の先生なら最初に「方法は2つあります。こっちはこういうメリット・デメリットがあります。一方でこちらはこういうメリット・デメリットがあります。希望はありますか?」じゃない??
私が抱える手術に対する先入観と、あの女医への嫌悪感でせっかくの希望を失ってはいけない。
私は岡山の病院に電話して意見を求めた。やはり今の画像を見ないと何とも言えない。とのことで、転院したし、今、横から治療に口を出すことは出来ない。でも画像やデータを持ってくれば見てみるから、外来の時間においで~と。でもそうなると、セカンドオピニオンということで何万というお金がかかる、それにやっぱり岡山で治療を、、、となると、もう引っ越しする費用も通えるお金も持っていない😟
不安だけど、ここで踏ん張るしかない!
次の受診には一人で行った。(味方はいないのである(^^;))
女医「選択肢は前回申しましたので私から言うことは特にありません。」
私「放射線でお願いします。」
女医「わかりました。放射線科の受診日と、CTを撮っておきましょうね~PETのほうがいいかぁ。。。PETにしましょうね。」
ホッとした。。。無駄な言い合い無しに話は進んだ。😩💨💨
が、PETの結果、左鎖骨に癌が残っており、子宮に放射線を当てる意味がないのでこのまま抗がん剤治療を続けましょう。というオチ。
4クール目の入院の時モヤモヤするので女医に聞いた。
私「先生、子宮と鎖骨に同時に放射線を当てることってできないんですか?」
女医「出来ますよ。」だから何?また口ごたえしたいの?と言わんばかりに見つめられた。。。
ダメだぁ。話にならん。。。
女医「ま、抗がん剤がよく効いてるみたいなんで今はそれでっ」立ち去る。
この時間もったいなくない?!😲ほんとザワザワするだけで前に進んでる感じがせんーーーー!!!!!
だって、手術やったとしたら今頃PETも撮らずに次の週には子宮取られてた。。。よくわからない世界である😩💭
でもこれもまた岡山の先生の最高のストーリーからはハズれることとなる。
奇跡と呼べるモノ
2022、3月いっぱいで女医は転勤となった✨✨新しい先生が次の担当となるが、その先生は、説明をしっかり最初にしてくれる先生でした🤗♡ヤッター♪ ひとつ、安心材料ができました✨
6クールTC+Bevを終えたところで見えるがんは無くなった!!!すごいじゃんっ(`・ω・´)興奮っっっ♪ 37歳 一人部屋で踊りまくる~笑笑笑
しばらくアバスチン単剤維持療法で様子を見ることに。TCの6クール目が2022、3月。5月の末、2回アバスチン単剤終えたところで腫瘍マーカーが少し上がり始めて、もしかすると、生理が戻ってきたのかも、、、と。内診をしてもらったが癌が出てきた様子は無かったのでちょっと状態をみておきましょう。と画像撮ったところ、6月、3回目のアバスチン単剤の日に、再発と告知。😢ショック…
アバスチン単剤は無しになって、次の治療はもう何も‘’無い‘’かも…と😭
おわかりいただけるだろうか⁈笑
癌がなくなった~!と喜んだものの、腺癌の特徴的なところ?というか、全身にブワッと再発すると、手が出せないのである😱😱😱
なんともどかしい!!!😠そのアイダがあってもよくない?!どっかにちょこっと塊になって出てきてくれてもよくない?!私の癌細胞さん!何考えてるのぉ~。。。
消えてしまう前に次の手に移るべきだったんだぁーーー!!!😭(素人考えですゴメンなすって)
でも、あの手術騒ぎの時、、、岡山の先生ならサッと放射線に切り替えてくれてたんじゃないか…とか、グルグル考えちゃう(; ・`д・´)
今んとこ子宮には再発はない様子。でもリンパ管にしつこくがん細胞が残っているようで。特定の臓器に転移は無いものの、リンパにのって全身に再発している。。。いくつかのリンパ節が腫れており、主治医はなんとか放射線を当てられないか検討したい。と言ってくれた。主治医の思いでは、リンパ管で運ばれるタイプのがんならば放射線がよく効くはずで、だとすれば腫れ上がったリンパ節に(確か3カ所ほど)放射線を当ててみてはどうか?ということだった。
でも話し合いの結果、やはりそこに当ててもリンパ管全体に運ばれてしまったがんには効かないだろうと。放射線は却下😢
一番強い抗がん剤でも打つのをやめて数か月で再発してしまう。これは効果が無かった。とみなして、がん遺伝子パネル検査をすることに。この検査はしたいです!と言って出来るものではないようで、あくまで標準治療で打つ手がなくなった時にやってみる。という順番のよう。。。
‘’標準治療‘’ 最も信頼できる最高の治療法。でも、、、がんと分かった瞬間に遺伝子パネル検査も出来ると話が早いのになぁ~と思ってしまう。
と言っても、がん遺伝子パネル検査で治療法が見つかる人は100人に1人いればいいほう、まず、見つからないと思ったほうがいいよ。と期待しないように言われました😱笑笑笑
それでも高い費用を払って検査しますか?
もちろん、やりますともーーーーー!!!!!✨✨✨
無治療でポックリ死にたい とか言った割に、やるのです😂✊笑
限度額認定証使って、私の場合5万ほど。それで治療法見つかればバンバンざいよねーーー。。。
でも見つかったけど保険適用にならないお薬、条件に当てはまらない治験、、、とかいろいろあるようです。壁はたくさんある。
あ、そして再発のタイミングで緩和ケアに移行するかもしれないこと。在宅での訪問看護の話。最後は家で死にたい。とか希望をまとめておくこと。そういう話を主治医と心のケアをしてくれる看護師さんから聞いた。
迫ってくる‘’死‘’に、、少しでも希望を抱いて飛んで喜んだ数か月前の自分に、、、せっかく生えてきたのにまたどんどん抜け落ちていく髪の毛に眉毛にまつ毛に、、、全てが愛おしくて儚くて、3日間くらい泣き続けて瞼がパンパンに腫れました😂😂😂笑
遺伝子パネル検査の結果を待つ間、少しでもがんに抵抗するべくTC療法を継続中!
来週で9回目のTC。。いつ効かなくなるか、、怖いけどまぁやれることは全部やって死なないと💨💨💨手術だけは嫌だけDo~😒笑
さてさて、見事に癌難民となりつつある今日この頃。。。
焦らな~い 焦らなぁぁ~ぁい
😇😇😇
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