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“分かりにくい”を消化して

“分かりやすいものは消費されやすい

分かりにくいものは消費されにくい

消化の悪い食べ物みたいに

良く言うと長い時間かけて楽しめる”

こと音楽において、この傾向は当てはまりやすいのではないだろうか。

ややポエティックに書きましたが他意はないです。
Twitterでたまにこんな書き方の人みかけますが、あれなんなんすかね。その行間なんなん。喋る時もそんなんなんかって思っちゃいます。余談でした。

・・・

歌詞を自然と口ずさめるほど聴き込んだ曲、そんな曲を久しぶりに聴いてみると、また新しい視点で曲が聞こえる。変な表現だけど、こんな体験あるんではないでしょうか。

時間の経過や自身の環境の変化、そして自身の変化を経ると、よく知っている曲すらまた新しく聞こえたりする。新たな発見やら、解釈の仕方が増えたりする。逆も然り、よく知ってる曲の違う聞こえ方から、自身の変化を感じることだってある。“音楽”って良いな〜、なんて普段は感じないけど、改めて考えると“音楽”のそんな部分が自分は好きだ。

同様に映画やマンガも好きで、観るたび、読むたび、の新たな発見というのは音楽同様に多々あります。きっと他の分野とか文化とか、何なら日常生活にもそんなのは意外と多く潜んでいるのだと思います。
ただその新たな発見の感動が大きいのは、自分は音楽であることが多い。これは自分が音楽への依存度が高いからだと思いますが、他の人はどうなんですかね。

ただ当たり前ですが、全ての音楽が上記のように、聞くたびに発見!とはならなくて。
結論、私が好み且つ新たな発見!みたいなあるのは“分かりにくい”ものが多いみたいです。

初めて聞いた時、よく分かんないけど何かいい!とか、曲の雰囲気が好き!とか、歌詞とか60%くらいは分かった(気がする)、みたいな。そんな類いのものは、分からない部分がある分、尻上がりに好きになっていく傾向にあります。よくスルメに例えた表現があるけど、まさにそれ。なんならスルメ以上。噛むほど美味しい。

音楽にハマった高校生の時、私はRADWIMPSBUMP OF CHICKENにひどく酔狂してました。両者とも、歌詞は75%くらい分かって、25%はよく分かんないみたいな感じが多く、でも実際繰り返して聴く度に実は60%も分かってなかった、、ってのが繰り返して起きるのです。

そして、それはバンドへの百年の恋のような熱が冷め、久しく聴かなくなった時でも起こる。何かがきっかけで久しぶりに聴いてみると、あれ??ってほど聞こえ方が違う時があった。
自分がバンドを始めたからなのか、イヤホンを高いやつに変えたからなのか。
それらも要因ではあるが、歌詞への感じ方明らかに変わってたり、“こーゆーことなのか?”っていう自分なりの解釈とか答えみたいなのが出てくる。それに気付くとよーじろー(さん)や藤くんへの尊敬の念と愛がまた深まっちゃうのだ。


BUMP OF CHICKEN 「プラネタリウム」

考察し尽くしたはずの名曲ですら、未だに新しい発見があったりする。

逆に、初見の時は曲自体もよく分からず、ピンと来ない。印象が特にない。むしろ不快。みたいな、理解度30%未満の曲。
こんな曲ですら、今では一言で表せないほど自分にとって大きな曲だったり、お気に入りの曲になっていたりする。


Red Hot Chill Peppers 「wet sand」

#邦ロック好き  の頃は正直何がいいのか全然分からなかったレッチリ
この曲のジョン・フルシアンテのギターに泣くのはそれから数年後のお話。

というか、初めからこの曲好き!ってそんな多くない。自分にとって大事な曲とか本当に大好きな曲の半分以上は、最初の聞いた時はビミョーなものだった。

それでも何か引っかかる部分があったり、聴く理由があったりして、何回か聴いてるうちに「あれ!?」と良さに気付いたり、自然に聴いてしまうようになったりする。こんなもんですよね。

大好きなoasis。最初は退屈で同じ曲にしか聴こえず、勧められても「好みじゃない」と一蹴。

つまり、おもろいものって“分かりにくい”ものだったりするんですよね、ってことです。
これも音楽に限らず、映画や絵画やら色んな分野において、また人もそうだと思います。

そーゆーモノや人はなかなか理解されなかったりしますが、続けて観たり聴いたり関わったりしてると、その魅力にだんだん気が付き始める。

でも色んなコンテンツや人(を知る機会)が多い今日において、優先されるのは“短く分かりやすい”=消費しやすさだ。特に若い世代。私自身もその一人ではあるんですが、周りや下の世代をみてもそう感じます。

あくまで自身の理解度だけで、その曲が“分かりにくい”に分類するのは強引だとは思いますが、初見のイメージが良くなかったり、“分かりにくい”コンテンツを前にした時、多くの人はもうそれを相手にしなくなる。特にSNSが日常に溶け込んだ10年代以降からは、そんな傾向が顕著な気がする。

確かに興味ないものを何度も関わろうとしないのは当たり前ですよね。
でもそんなものでも、友達とか恋人がきっかけでハマることって意外と多くないでしょうか。
私は1mmも興味なく、自分とは一生無縁だと思ってたK-popにハマりました。人間っておもろいですね。

理由はなんであれ、“分かりにくい”モノ、ちょいと関わり続けてみれば、思いもしない出会いや発見が待ってる。子供のような好奇心で無理なくアンテナを広げると、分かりにくくも広く深い沼が幾つもありそうだ。

日々生きていく中で擦り減っていく分よりも
多くの明るいエネルギーで心を充たしていきたいです。そのためにも各方面から種々補充して消化していければいいなと思います。

また自分なりに解釈して、徐々に消化していく面白さを、友達に押し付けがましくない程度に伝えれないか(訳∶紹介した音楽や映画の中で、どれかこれイイね!って気に入ってもらえないか)、悩ましく思っております。


P-MODEL 「Speed Tube」

分かりにくさの塊の分かりやすい方。
平沢御大の曲は未だに理解度30%未満。師匠の言葉通り、強く勧めるのは好きじゃないし、されるのも嫌ですが、勧めたい気持ちもよく分かります。。

P.S.
自分にとって“分かりにくい”コンテンツの1つに、クラシック音楽があります。友人に勧められたり、動画鑑賞会とかしてもさっぱりです。興味がないものを延々と関わるのって正直辛いな、とさえ思います。
ただその中でも一部好みの作曲家(ラフマニノフ、ドビュッシーとか)を見つけられたり、割に合わない成果は出ている模様です。これらもいつかは消化出来たらええなぁと思います。