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一番好きなデザイナーの話

「一番好きなデザイナーは?」

これはなかなか自分の根幹を問われるような質問である。ことデザインに限らず一番好きなミュージシャンでも、芸術家でもタレントでもいいのだが問われた側は相手が嫌悪感を抱かないような答えでありながら、会話を広げるためにマイナーすぎずメジャーすぎもしない回答を期待される。僕であれば無難な回答としてや、時と場合に応じていろいろな固有名詞を使いまわしているが、そのすべての回答に対して一定以上の知識は持ち合わせていない。なぜなら僕が本当に好きなデザイナーはそこには並んでいないからである。

僕の一番好きなデザイナーはディーター・ラムスである。

そう有名すぎるが故に言いにくい、そして言いにくいが故に語られにくい存在でもあると思う。そんな意外と触れられにくい彼の素晴らしさを、せっかくの自分のnoteなので話してみようと思う。

一応形式的に、ラムスについての情報共有を

ディーター・ラムス(Dieter Rams, 1932年5月20日-)は、ドイツのヴィースバーデン出身のインダストリアルデザイナーで、家電製品メーカーであるブラウン社と密接に関わるとともに、インダストリアルデザインにおける「機能主義」派の人物。

彼はこのような人物である、昨今のシンプルなデザインというトレンドの源泉を辿ると、ドイツ工作連盟からバウハウスへと進みウルム造形大学を経由したり、しなかったりして彼に流れ着く。
僕と彼の邂逅は15歳の夏のことであった。2014年の春に美術高校に入学した自分はプロダクトデザイン専攻に所属していた。そこで夏休みに出された課題が好きなデザイナーを一人取り上げてクラスで紹介するというピュアさ全開のものであった。僕は真っ先にその時の自分にとってのアイドルであったジョナサン・アイブ(元Appleのチーフデザイナー)をとりあげようと思ったのだが、彼が影響を受けた存在として上がってきたのがラムスでAppleの電卓アプリやiPodが彼のデザインからインスパイアされたものであったと知る。そこで課題では彼を取り上げることにしたのだ、いわゆる推し変である。

彼のデザインしたものはすべて一貫した几帳面さと、清潔さによって覆われておりもちろんそれらの魅力も大きかったのだが自分はそれよりも「良いデザインの10の原則」に惹かれてそれに関するレポートを書いた。

少し長いが一旦それらを箇条書きで並べてみよう。

良いデザインの10の原則(10 principle of good design)
1. 良いデザインは革新的である。(Good design is innovative)
2. 良いデザインは製品を便利にする。(Good design makes a product useful)
3. 良いデザインは美しい。(Good design is aesthetic)
4. 良いデザインは製品を分かりやすくする。(Good design makes a product understandable)
5. 良いデザインは慎み深い。(Good design is unobtrusive)
6. 良いデザインは正直だ。(Good design is honest)
7. 良いデザインは恒久的だ。(Good design is durable)
8. 良いデザインは首尾一貫している。(Good design is consequent to the last detail)
9. 良いデザインは環境に配慮する。(Good design is eco-friendly)
10. 良いデザインは可能な限りデザインをしない。(Good design as little design as possible)

冷静に考えてこれはとんでもないことを言っている、良いデザインを言い切るということのある種の傲慢さと力強さがひしひしと感じられる文面である。さて一体どこがとんでもないのか、デザインというのはしばしばアートと区別されて語られる、それの是非はさておき、僕はデザインにもスタイルというものが存在する以上、ある程度恣意的にはならざるを得ないという風に考えている。であるならば良し悪しというのもある程度価値観や文脈に依存するはずであるが、ラムスは大見栄を切ってこれが良いデザインだということを定義してしまったのである。

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あらゆる創作物において良いという基準を作るのは非常に難しい、それはその表現や創作の価値がその瞬間の文脈によって大きく左右されてしまうからだ。例えば僕たちはパウロ・クレーの抽象画をみて、何かしらの感覚は得れるだろうが、この創作物が良いかどうかはとてもではないが断言はできないだろう。(もちろんクレー本人にも)
なぜならその表現は歴史的な文脈や、その瞬間の環境や状況によって大きく変わり得るからだ。もちろん文学や音楽においても同じである。ではなぜラムスはこれが良いデザインの10原則であると言い切れてしまうのか。


デザインはその公益性によって評価されるべきである

彼の半生を映した映画が2018年に公開されている、この記事を書くにあたって再度レンタルをしたこの映像では名作デザインの裏話や、彼がデザインの多くを手掛けたブラウン社での仕事などが語られている。(ちなみにサウンドトラックはブライアン・イーノという豪華さ。)

その中で再三語られているのが「未来について」の話である。映像の中で何度も彼は未来の社会やデザインのあり様について憂いているのだが、この時彼は85歳という後期高齢者もいいところである。そんな状況にあっても彼のまなざしはあくまで未来や社会に向けられている。

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映画「Rams」より本人にApple storeに入らせるというバキバキの演出

これが良いデザインを規定することを成し遂げたラムスの根本的な視座の違いである。
つまり彼が言うところの良いとは、まさに社会にとって良いかどうかが絶対的な基準として存在している、社会にとって良いと言うのは狭義には人間にとって良いと解釈できる、さらにデザインはその営為によって特に生活の部分に強く関わるものだ。それらの前提から人間の生活にとって良いデザインとは何か?というところまで条件を絞れればかなり言及すべき範囲は限定できる、だからこそラムスは10の原則を立てることができたのではないだろうか。

一見するとこれらは至極当たり前のことの様に聞こえるだろうがプロダクトデザインという職種の特徴上最も難しいことの一つでもある。少なくとも2010年代までのプロダクトデザインにおいては基本的には大量生産の時代でありメーカーやクラフトマンなどの生産する人と協同で商品を作り出すデザインが主な活動領域であった、彼らは商品を作ることによって利益を得る、その利益を最大化するためにデザインが存在していた。その様な状況においてラムスは利益を生み出すことを目的とはせず、環境負荷の少なさや長持ちすることを良しとするビジョンを持っていた、あくまで想像だがこの様なことは当時の企業にとってはほとんど慈善事業的な活動にあたっていたのではないだろうか。10年代以降に入って環境問題やCSRなどが企業においても無視できないほどの存在感を持ち、需要や社会の変化が起きた結果、少量生産やサスティナブル・エシカルなどのワードがユーザー層にまで伝わる時代となってきたがラムスが活躍していた時代はそれとは正反対の状態なのである、これが彼の最も素晴らしい部分だと僕は思っている。実際に映画の冒頭、講演会での質問にあった「自動車業界との関わりがなかったのはなぜか?」と言う質問に対して彼は自動車メーカーの過剰な機能や素早いサイクルの商品展開には性が合わないと語っていた。

10の原則のアップデートは可能か?

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個人的に最も好きな名作の一つ『RT 20』

さて、その上で問題はこれから僕たちがこの原則をどう扱っていくかである。10の原則について事細かに語ることはこの場ではしないが、これらはかなり平易な広く受け取れる言葉で書かれているが故に様々に解釈ができてしまう。例えば二箇条目の「良いデザインは製品を便利にする。」で記されている便利とは何のことであろうか?
例えばUberのようなサービスはタクシーの使いやすさを高める事で、人の移動を便利にしているが、それによって起きている渋滞は果たして都市生活者全体にとって便利なのだろうか?
ここで問題となるのがデザイナーがデザインの対象とする範囲である。ラムスは恐らくこの原則をインダストリアルデザインの領域で適用することを考えているが、現代のプロダクトデザイナーはマーケティング戦略からアプリケーションまでデザインの対象が加速度的に広がった結果、デザイナーの責任範囲が拡張している。その様な状況に対して新たな原則を打ち立てることは非常に難しい、と言うかほとんど不可能ではないだろうか。
そのため必要なのは新たな原則ではなく原則の正しい理解と個人の解釈だと考える。つまりラムスの目指したこれらの原則の元に、社会に寄与するデザインを行なうという前提を持ちつつ、では自分の対象とする範囲においてどう意味を解釈することができるだろうかと柔軟に肉付けていく姿勢である。先人の叡智を尊重するあまり、この原則がプロダクトや製品の意匠にしか適応できないと思ってはいけない、ディーター・ラムスはただ美しい商品をデザインしていたのではない。彼は恐らくデザイン史上、最も実験的かつ影響力のあるデザインを社会に投じてきた人物であり、彼の姿勢は商業へ前傾化したデザインに対して、デザイナーが持つべき思想の武器である。

今回はラムスの制作したデザインそのものには触れずに彼の論じたデザインの未来像やその先駆性についての話をメインに書いてきた、もちろん僕自身もブラウンやヴィッツゥから販売されている、洗練されたプロダクト達を好きであるが、それらはあくまでスタイルの話に帰結してしまう。そうではなく彼の思想や姿勢こそが最も注目されるべき部分なのだということを改めて強調しておきたい。

締め括りに映画『Rams』の中で、最後に彼が語っていた言葉を記しておく。

デザインには人々の不安を取り除くことができる、人類全体へどのように貢献できるかと言う視点なしには、デザインは機能しない。

それともしこの文章を読んだ方で自分の好きなデザイナーの話を書いてみようと思った方がいれば #一番好きなデザイナーの話  をつけておいてもらえると定期的にチェックして読もうと思うのでよければ是非。

それでは、また今度。

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