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【日曜美術館】疫病をこえて 人は何を描いてきたか

毎週地味にひっそりと美術を語り合う場、NHKの日曜美術館。

実は40年以上やっているらしい。美術館が閉鎖するという前代未聞の危機の中、「美術史を通して人々は疫病とどう向き合ってきたか」という特集がとてもとても示唆的で、未来の知恵に溢れ、素晴らしかったので記します。まさしくコロナの時代における処世術であり、混乱した頭を一度リセットすることに寄与しそうだ。

①ペストの時代における美術

 西欧で人口の3割がなくなったというペスト。3人家族だったら一人死ぬって、コロナとは比べ物にならない恐ろしさです。特に科学やワクチンなどがない時代にその病気をどう捉えるかは難題であったようだ。

 それまで病気という恐怖は宗教的に何かしらの理由をつけなければならず、神からの罰といった位置づけで、時に迫害につながったこともあったそう。しかし、ペストに関してはあまりにも数が多すぎて天罰で片付ける宗教に対して疑念が湧いてしまう。宗教は嘘だと主張する人や、ユダヤ教徒が井戸に毒をまいたなどのデマが繰り広げられたという。何かすがるものや生贄などの理由を見つけるのに必死だったんだと思う。そういった出来事が絵画として数多く残されているのだという。

②コロナ時代

 今になぞらえると、自粛偏重がはびこる昨今も通づるところがある。特に営業を続けている店舗やコロナ発症者が一部の心無い人たちやマスコミからバッシングを受けているという。あと少し踏み込むと、人々の不安は、SNSなどで過剰な発言となって、行き場のない感情をなにか違うもにぶつけている面もあると思う。現行の政治体制があまりにも醜すぎるのはあるが、そこを責めることに偏重することでもっと大切なことから目を逸してしまっているように思える。当然森友問題、桜を見る会でそうなってしまったのは仕方ないが、政治を責めること以外にも、これからの私達がどう生きていくべきか、今まであった身近なものとの距離感や、1年、2年後の生き方の方向転換にも少し時間を割かなければならないと思う。

③美術による克服

 科学のない時代、ペストに関してはじっと耐えねばならなかったようだが、そんな中から小説「デカメロン」などが生まれた。それはペストから逃れた人々が、悲惨な現状を和らげるためにおもしろい話をしあうという厭世的な話なのだという。また、次第に西洋画も、死への恐怖からくる混乱から、死者に対して生きた者たちが代わりに生きるなどの、ある程度ぐっと受け止めて死と付き合っていく人々の様が描かれるようになる。(疫病に関わらず死を輪廻転生や諸行無常と表す仏教的な受け止め方など、人間はなんとクリエイティブなのだろうか)

 江戸時代の天然痘の流行時にも絵は有効だったという。病は鬼として可視化され、「得体のしれないもの」を敢えて形にすることで、心を和らげたり、また仏事を行って鬼を追い払うなどの絵が描かれている。

アートや思想が苦難を乗り越える術となったことを歴史は示している。

④踏まえた私達のアクション

 自粛や最新の情報を拾って最大限の対策をある程度続けることは前提であるものの、「3密回避」「8割自粛」をくいしばるだけでなくて、もう少し音楽やアートでもってこの状況を克服していくこと、もう少しやっていきたい。水、ガス、電気、食べ物、インターネットが社会インフラとしてあるが、私にとって音楽も、悩ましい学生時代や社会人生活にとって、やはり必要最低限のインフラであった。形を変えても何かやるべきことあるな。そんな風に鼓舞される「疫病と美術」の歴史。

 そして、そういった人々を鼓舞する音楽を支えたライブハウス並びにミュージシャンに限らないサービス提供者の悲惨な現状も追いかけたいし、それは時にバーだったりカフェだったりするわけで。

最後に、15世紀のペストの苦難が落ち着いたあとに訪れたのは16世紀のルネッサンスである。この苦難の先に新しい革新を起こす未来を想像したい。


【協力依頼】ライブハウスオーナーらが中心となったフリーランス支援

新型コロナウイルス感染拡大防止に努めるあらゆる人の仕事と生活を守る継続的な支援を求める署名

http://save-our-space.org/saveourlife-petiton/


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