チョーさんこと長島裕明コーチのFootballを巡る旅【蹴人紹介】

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新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、欧州でのサッカー活動が停止している。こういうときだからこそ、ある日本人の旅行記をご紹介したいと思う。

長島裕明コーチをご存知だろうか。
モンテディオ山形、FC東京、徳島ヴォルティス、FC岐阜、松本山雅FCといったJクラブでトップチームのコーチまたは監督を歴任。2020年からはギラヴァンツ北九州に所属し、以前、山形や徳島で共に仕事をした小林伸二監督のもとでその手腕をふるっている。

日本大学サッカー部のコーチから指導者の路を歩み始めた彼がS級コーチライセンスの海外研修で欧州の土を踏んだのは2006年のとき。それから毎年欧州の地を訪ねてはフットボールの空気を吸い、血肉としている。ピッチ内の観戦はもちろん、フットボールが浸透しているその土地、社会、市井の人々を見て感じることも重要だ。

◆旅の目的

2006年に訪れたのはスペインのスポルティング・ヒホン。当時、チームの指揮を執る初年度だったマヌエル・プレシアード監督(故人)が歓待してくれた。まだ現状のようにセキュリティは厳しくなっていない牧歌的な時代であったこともあるのかもしれないが、温かく受け容れられた。あげく、日本人の指導者が訪れたということで珍しがられ、現地の新聞やTVに取材された。

このとき、スペインで何をあらためて認識したのかと訊ねると、長島コーチの答えは「『Footballは結局11対11』だと思った」だった。
「日本の育成は家の建築。向こうの石や氷の彫刻は叩いて削って、だからカンテラというんだけど、11対11で磨き上げていく。日本は個人戦術、グループ戦術、チーム戦術。基本は基本、フィジカルはフィジカル、タクティクスはタクティクスと分けてトレーニングしている」
「スペインではどんなに下のカテゴリーだろうが小さいクラブだろうが一人ひとりの指導者に哲学がある、自分のスタイルがある、Footballがある。カンテラという言葉は本で読み知ってはいましたが、これのことかと感じ、影響を受けました」

見聞を深めるべく、フットボールが生まれた地域を旅する。その行動の始まりだった。

2019年の末に欧州へ行く目的はいくつかあったが、最大のものは母国イングランドの古きを訪ねるということだった。2018年末はリヴァプールやチェルシーといった規模の大きなクラブを観る一方、現存する最古のプロチームであるノッツ・カウンティの試合を観ることができた。そこで歴史を遡る旅への意欲が膨らみ、次こそはシェフィールドFC、うまくやれればプレストン・ノースエンドへも――と、考えたのだという。そのふたつのクラブを終着地として、旅はスペインから願望のとおりに進んでいった。

◆旅の始まり、スペイン

モスクワ経由でバルセロナ入りを果たした長島コーチは、現地時間12月18日、生まれて初めてとなるクラシコの生観戦を果たした。
オフの休みを推定し、ここなら大丈夫だろうとスペイン行きの予定を入れた日付は12月19日。その旅程を現地の友人に伝えると「もう一日早くしたほうがいい」と言われたという。
「クラシコ観れますから。チケットはぼくが用意します」
強力なコネクションで入手したチケットを握り、まず一度、クラシコをカンプノウで生観戦してみようという試みの結果はスコアレスドロー。現在のマドリーとバルサの実力を直に確かめた。

上々のスタートを切り、次に向かった先はマジョルカ。
「マジョルカ島にも行ってみたかったし、久保(建英)くんも試合にほぼ出そうだということだったので、思い切って行ってみました」
バルセロナからマジョルカまではアートを体感したいという、もうひとつの思惑でつながっている。
バルセロナ出身の画家のジョアン・ミロが最期を迎えた場所がマジョルカ島のパルマ・デ・マジョルカ。つまり、長島コーチはリーガを観ながらミロの足跡を辿ったのだ。

「喩えるなら、ミロの作品は家に飾りたくなるようなきれいなものが多い。逆に、ダリの作品には驚かされることがほとんど。どちらもすばらしい」

古典的なペインティングの手法を多く用いつつも本人も含めて奇抜さが目立つダリと、抽象的かつ躍動的で現代のポップなイラストレーションにも通じるミロ、同じカタルーニャの出ではあっても、それぞれの作品性はかなり異なる。今回、長島コーチは両方を味わうことができた。その第一ラウンドがマジョルカでミロという選択だったのだ。

カンプノウのスタジアムツアー中に発見したのはミロの手になる1982年ワールドカップのポスター。その現物を所有する反町康治監督(当時松本山雅FC)に即、写真を送った。さらにバルセロナ市内にある小高い丘「モンジュイック」上にあるミロ美術館からの美しい眺望と海の青さを確かめ「バルセロナは音楽家は育たないけど画家は生まれる」という言葉をあらためて噛み締めた。
美しい光景が拡がっている土地だからこそ優れた画家が育つのだろう。

そしてマジョルカ島へ。南の島は「最高。また夏に行きたいと思いました」(長島コーチ)という、バルセロナとは異なる種類の美しさに充ちていた。まだ水温は低くきれいな海を味わうことはできなかったが、カテドラルや規模が大きい公園を見ているだけで満喫できた。

12月21日のリーガ第18節で、久保建英擁するマジョルカはホームにセビージャを迎えた。結果は0-2でマジョルカの敗戦。だが、久保個人のパフォーマンスは決して悪くないように映った。
「守備の面では久保くんのサイドから攻められていましたが、攻撃では2回、決定的なチャンスをつくっていました」

ミロの筆になるアートを味わった長島コーチは、夜は久保の足によるアートを味わったことになる。
「セビージャ相手にあれだけできるのはすごい。ぼくが思うには、一瞬、相手の重心を見て、相手が飛び込もうとしているところを飛び込めなくしたり、自分の間合いをつくるのがうまい。だから仕掛けるスペースもあって自分のよさが出せるのではないかと思います」

Jリーグで過ごした最後の時期には、時間と空間をつくれるようになっていましたね――と水を向けると、長島コーチは「その表現ですね」と答えた。
「相手に詰められる手前の段階でつくっている。いいと思います」

年が明けて国王杯2回戦を含め2勝1敗と復調の兆しが見え始めたマジョルカはその後国王杯3回戦から公式戦4連敗。しかし2月15日のリーガ第24節からの4試合は2勝1敗1分と持ち直している。3月16日時点で降格圏の18位だが、久保は直近の3試合で2得点をマーク。しかもそのうち1点はベティスに3-3の同点に追いつき引き分けとする貴重なゴールであり、もう1点はアウエーでエイバルを下す決勝点。真価を発揮し始めた久保のポテンシャルは、現地を訪れた日本人コーチの眼には、年末の時点であきらかだった。

◆ジローナ、そしてサルバドール・ダリ

サッカーだけでなく旅の余白も余すところなく楽しみ味わう“チョーさん”の話はさらに弾む。

バルセロナの北方にはピレネー山脈。そこを東から回るように海岸沿いに北上すると、ジローナを通り過ぎてダリの生地フィゲレスへと辿り着く。長島コーチは12月23日に2部の「ジローナ vs. ミランデス」を観戦したあと、ここを拠点として、さらに北へと進みカダケスを訪れた。
「カダケスはフランス国境近くで、スペイン語よりもフランス語が聞こえてくるようなところです。そして、ぽつんとしたところにダリの家がある。ぼく以外にきょうここに来るお客さんはいるのかな――と思うくらい閑散としているのですけれども、集合の10時に、どこからともなく続々と馳せ参じるんです。フランス側から山を越えて車でやってくる方が多いみたいなのですが」

「サルバドール・ダリの家」はカダケスの漁村ポルトリガトにある。どの部屋も海側に窓があるが、眼に映るのは美しい景色のみ。ダイビングスクールの看板以外には、ほとんど人間の形跡が見当たらない。

「カダケスの中心地には、海沿いにホテルがポツポツ。カフェがあり、表で人々がお茶を飲んでいる。ゆったりとしたところです。“卵の家”という通称は卵のオブジェが屋根の上に鎮座していることから来ているのですが、だんだん建物を拡張してダリ色に染めていったようで、熊の剥製や、ピレリタイヤを背景にした唇形のソファが置いてあったり、シッチャカメッチャカな感じです」

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一日を存分に楽しめそうではあるが、何分僻地ではある。ここにタクシーなんて絶対に存在しないと思った――という感想には真実味がある。
「フィゲラスとカダケスの間の移動は、便利とは言い難いですね。バスが一日4往復。行きは10時までに着くバスがありますが、観光したあとその日のうちに帰ろうとするともう手段がタクシーしかない。バルセロナでペンションを経営している友人からもタクシーで行くようアドバイスされましたが、2台だけあるタクシーのうちの1台は既に埋まっていて、最後の1台でなんとかフィゲレスに帰ることができました」

ちなみに23日の試合はジローナが0-3でミランデスに土をつけられる結果となっている。現地で合流した高橋秀人(サガン鳥栖)との観戦だったが、この顛末がふるっていた。長島コーチはこう振り返る。
「事前にチケットを用意せずにスタジアムで当日券を購入するつもりがSold Out。ジローナで合流したヒデ(高橋)がカレーラスにTelしてくれて、カレーラスからジローナのプレジデントへとお願いしてもらい、無事に観戦できました。大ファインプレー!」

分析的にも興味深い試合となったようだ。
「日本人選手がこの中に入って一試合だけできたとしても、1シーズン通じてできるとなるとどうなのか――そう感じられる、レベルの高いゲームでした。2部のゲームはひとり遅いと目立つ。個人を前面に押し出した1部に比べ、2部のほうがハードかつ組織的でおもしろいとすら思います。Jリーグでもそうした傾向はありますね。ヒデも『クラシコよりおもしろい』と言っていました。ちょっと誇張してはいると思いますけど」

◆いざ英国へ

旅の9日目夕方にバルセロナを発ち、マンチェスターへ。いよいよ母国への入国だ。
到着して早々に観たのは、プレミアリーグから数えて8部に当たるノーザンプレミアリーグディビジョン1サウスのシェフィールドFC vs. ベルパータウン。日本であればさしずめ東京都リーグ2部といったところだろう。なぜこの試合なのか。それはシェフィールドFCが世界最古のフットボールクラブだから。長島コーチはフットボールの“起源”を訪ねようとしたのだ。

「おらがチームを誇りに想っているという感じが伝わってきました。世界最古を謳うフレーズが掲げてあったり……この試合は15時キックオフ。14時からは近くでシェフィールド・ユナイテッドの試合があったのですが、シェフィールドFCのサポーターはみなこちらに来る。見守っている感じがしました」

「イギリスの人は『ボカーン(大きく蹴る)』というのが好き」と、長島コーチ。その印象から大きく外れる戦いではなかった。プレミアリーグの水準ではアーセン・ベンゲル氏のアーセナル監督就任から“大陸化”が進み、足許でつなぐサッカーへと変容していったが、イングランドのスタイルは、もともとはキック&ラッシュ。その古典的な姿が、シェフィールドFCには残っていた。

マンチェスターのNational Football Museumを訪れ、ニューキャッスル vs. エバートンを観戦し、古きを訪ねるたびの最後は、Deepdale Stadium。ここで長島コーチは2部チャンピオンシップの、プレストン・ノースエンド vs. レディングを観た。シェフィールドFCが世界最古のクラブならば、プレストン・ノースエンドは英国初の王者。フットボールリーグ初年度に優勝し、かつFAカップも制し、ダブル(二冠)を達成している。
「プレストンはちいさな街。なぜ、かつていちばん強かったのかはわかりません。でもトム・フィニー、ビル・シャンクリー、アラン・ケリーの顔がスタンドに描かれているこのスタジアムを一度訪れてみたかった! National Football Museumは、現在のマンチェスターに移転するまではプレストンのこのスタジアムに隣接していたんですよ」

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ピッチ内の力では、日本が欧州に並ぶことも、もしかしたらありうるのかもしれない。しかし社会へのサッカー(フットボール)の、あるいは芸術の浸透度となるとどうなのだろうか。長島コーチの旅の足跡を辿ると、いろいろなことを考えさせられる。

欧州巡りのきっかけになった本は『英国フットボール案内 Footie Life』だという。著者はかつて、しばしばサポティスタ等でも紹介されていた島田佳代子さん。現在元ラグビー選手と結婚し、『ジャパンラグビー ファンブック エディーからジェイミーへ 日本代表の軌跡』というラグビー書籍を記している。昨年のラグビーワールドカップで存在感を発揮したラグビー界に劣らず社会に貢献するべく、サッカー界もよりいっそうピッチの内外での努力を重ねなければならないだろう。そのとき、フットボールが人々の間に深く根ざしている欧州の姿は、いまだ参考になるはず。そして長島コーチのように、欧州で刺激を受けようとする日本人が存在し、世界に遅れを取らないよう学びつづけていることを、しっかりと認識しておきたい。

最後に、ここまで読んでいただいた読者のみなさまに、長島コーチからのメッセージを。
「是非Facebookに掲載しています『Footballの旅』をご覧ください。 Hiroaki Nagashima へ友達申請、お待ちしています!!」
https://www.facebook.com/nagashima.hiroaki.50
長島裕明 Facebook

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