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「囀る鳥は羽ばたかない」 第50話 感想 その2 (考察編)

 結局、第50話を読み終えた後も、私は四六時中「囀る」のことを考えている。
 まるで、初めて「囀る」に出会った頃のように。
 いよいよ、ストーリーが面白くてたまらなくなってきたからだ。

百目鬼の行動原理


 50話まで来て、ずっと理解できなかった今の百目鬼の行動原理のうち、一つだけはっきりしたことがある。

 百目鬼は、矢代が他の男(特に井波)と体の関係を持っていることに我慢できなくて、そういう場面に遭遇すると冷静さを失い、矢代の体に触れずにはいられなくなってしまうということだ。

 第43話、綱川の家のお風呂場で、それまで淡々と矢代と会話していた百目鬼は、矢代のスマホに「井波」の二文字を見つけた途端、

「今も変わらず、誰とでもするんですね」

と昔の彼からは想像もつかないような侮蔑的な言葉を吐き、矢代の手を引っ張って抱き寄せて、髪を掴んで強引にキスしようとした。

(私は個人的に、この「手荒に髪を掴んだ」行為だけは、どんな理由があろうとも受け入れられない。愛する相手の髪は、ただそっと優しく撫でるもの)

 このシーンを見た時、「あれほど矢代を恋慕って、蹴られても罵られてもめげずにワンワンまとわりついていたのに、突然こんな態度…。一体、百目鬼はどうしてしまったのだろう」と私は大混乱に陥った。

 第45話では、マンションの前に迎えに来た井波の車に矢代が乗ろうとすると、百目鬼は矢代の腕を掴んで引き留め、

「そんなに男が欲しいんですか」

と非難し、矢代が「ああ、そうだ悪いか」と答えて立ち去ろうとするのを許さず、体ごと抱えて、そのまま有無を言わさず矢代の部屋に上がり込んだ。

 そして、衝撃の46話。
 百目鬼は冷めた表情のまま自分は服も脱がず、矢代だけをイかせて

「ウチと仕事している間は、俺で我慢して下さい」

と言い残して去る。

 この時、私は矢代と一緒に心底苦しんだ。

「なんで!? なんで、百目鬼は、好きなはずの矢代にこんなひどいことをするの?」と。

 第47話の終わり、矢代が約束を破って勝手に井波とセックスして車から降りてくると、「おっかねぇ面」した百目鬼が待っていた。

 明らかに百目鬼は怒っている。

 続く第48話の冒頭、綱川の屋敷の廊下を歩く百目鬼は矢代の手首をぎゅっと掴んでいる。

 「んな強く握んなよ」と矢代が言うほどに。

 本当は首に縄でもつけたいくらい、矢代を離したくない、というのが百目鬼の本音なのだろう。

 第49話のラストで、百目鬼はベッドに矢代を押し倒す。まだ矢代が井波とセックスしたことを怒っている。
 そして、第50話。
 第46話と同様、百目鬼は上着と左手の黒い手袋、そして矢代を縛るために外したネクタイ以外は身に着けたまま、矢代のアナルを指で犯す。

 その後も「切羽詰まった」矢代が、ストレスのはけ口に城戸とヤろうとしたのを、百目鬼は城戸を投げ飛ばして止め、「あり得ないほど強い力」で矢代を引っ張って、ついに

「俺が犯せば、満足ですか」

と言い出す。

 ここまで来て、私はやっと第43話の百目鬼の暴挙ともいうべき行動の意味がはっきりわかったのだった。

 百目鬼は矢代が他の男とセックスすることに怒りと嫉妬を感じていて、口では言い表せない独占欲を、暴力的なまでに強引な行為で表してしまうのだと。
 「あなたは俺のものだ」と言う代わりに。

「この身体をもう誰にも触らせたくない。
 俺しか、いらなくなるように。俺しか、欲しくなくなるように」

5巻第24話

 そう言っていたあの頃と同じ気持ちで。

 私は、第51話で百目鬼は言葉通り、嫌がる矢代を無理やりにでも犯すだろうと予想している。

 百目鬼がそこまでの行動に出るためには、我を忘れるほどの怒りが必要だったのだ。

 第46話の感想その1で、私は百目鬼がベッドの上で矢代にのしかかったコマを見た時の気持ちについて、

 私はまだ「矢代が拒絶すれば大丈夫。拒絶して!」と願っていた。
 百目鬼が、嫌がる矢代をレイプするとは思えないから。(そんなことになったら、もう無理だ)

 と書いたのだが、おそらくこの時の私が想像もしたくないほど恐れていた展開になるのではないかと思っている。

 でも、今の私はそれを「無理だ」とは感じない。

矢代が克服すべき問題

 
 初めて第25話を読んだ時、矢代が百目鬼と一つに繋がるまさにその瞬間、脳裏に幼い頃の性的虐待の記憶が呼び覚まされ

「ああ、どうして今」

と愕然とした姿を見て、私ははっきりとわかった。

 矢代は今のままではだめなのだと。

 過去の虐待で受けた深い深い心の傷を封印したまま、ただ百目鬼と愛し合う、では矢代は幸せにはなれない。

 つらく苦しいことだけれど、矢代は真正面から過去と向き合って、その痛みと悲しみを受け止め、乗り越えなければならない。

 矢代の心の奥底に厳重に封印され、隠蔽された過去を解き放ち、矢代が目を背け続けてきた苦しみと対決するためには、百目鬼に犯されることでトラウマが爆発するしかないのではないかと思っている。

(矢代が強く拒絶して、挿入はギリギリ回避でもいい。それがベスト)
 
 子供の頃は流せなかった涙を、矢代は百目鬼の前で見せることができるだろうか。
 第25話のように。
 あの時は「決まってんだろ。気持ち良かったからだよ」と誤魔化し、百目鬼もそれを追求しなかったけれど。

 さすがに今の百目鬼だって、矢代の涙を見たら動揺を隠せないはずだ。
 そして、今度こそ涙の意味を突き詰めるべきなのだ。

 
 第50話でベッドで百目鬼に冷たくされた翌日に、百目鬼と「できている」女が親密そうに話す姿を見せつけられて、矢代はストレスを感じ、そのはけ口を城戸とのセックスに求める。
 
 まるでアル中やジャンキーのような、典型的な依存症の行動だなと思った。

 依存症を治すためには、まずは本人の認知の歪みを修正し、ストレスがかかった時に依存している物の代わりとなる解消法を見つけ、依存している物質を断つ(例:禁酒、禁煙)わけだが、え…、禁セックス

 少なくとも、嫌なことがあった時、すぐに暴力的な性行為に逃げることはやめなければならない。

 何かストレス解消になる他の方法を…と考えた。
 私のお勧めは、百目鬼に膝枕をしてもらっておしゃべりすることだ。

 悲しいことに、矢代が依存しているのはいわゆる「セックス」ですらない。

 いまや矢代は、自分は勃起も射精もしないのに、ただ男に犯されているだけだ。
 セックスで生理的な快感すら得られないなんて、痛々しいにもほどがある。

 矢代は「暴力的な性行為」に依存している。
 
 私は矢代がこの闇から抜け出すためには、二つの愛が必要だと考えている。

 

矢代に必要な二つの愛


 矢代は幼い頃に性的虐待を受けた自分を「汚いもの」と認識していて、そんな自分に好意を持つ相手に「吐き気」を感じてしまう。

 ここを変えないと、矢代は他者からの愛を受け入れられない。

 矢代の歪んだセルフイメージを立て直して、正しい自己愛を育てなければならないと思う。
 
 自分自身を受け入れ愛すること。

 それは実はとても難しいことだ。

 でも、過去の性的虐待によって心をボロボロに引き裂かれ、癒えることのない傷跡が残っていたとしても、立ち直ることはできる。

 矢代にはそういう強さがあると信じている。

 
 それから、もう一つは、両親からも与えられなかった無償の愛だ。

 どんな矢代でも見返りを求めずに愛して、丸ごと受け入れてくれる人。
 こちらは何の心配もいらない。 
 矢代には百目鬼がいる。
 百目鬼が矢代に、この上なく純粋で大きな愛を与えてくれるはずだ。
 

まだまだ理解できない百目鬼の考え

 
 それにしても、かつて、「お前は、優しそうな普通のセックスしそうだから嫌だ」(1巻第3話)と言っていた矢代に、

「それとも、優しくされたいんですか」

と尋ねるなんて、一体百目鬼はどういうつもりなんだろう。

 こんな状況で「優しくして」なんて、私でも悔しくて言わないのに、あの矢代が言うわけない。
 本当は矢代は今こそ、≪優しそうな普通のセックス≫がしたいのだろうけど…。

  映画「The clouds gather」の特典漫画で百目鬼は「頭は、誰とでもする人ではない」と気づいていた。

 それなのに、「今も変わらず、誰とでもするんですね」(第43話)?


 6巻巻末「飛ぶ鳥は言葉を持たない」で、七原の

ガキが、望まねえ形でんなことしてたんなら、そうじゃねえもんもねじ曲げられてそうなるかもしんねえよな

という台詞を聞いた時に、百目鬼は「矢代が本当は男とセックスしたいと思ってなどいない」と気づいたのではなかったのか?
(そうでないとしたら、百目鬼は一体何を悟ったのだろう)

 「こうされるのが好きなんですよね?」と嫌がらせのように矢代に迫って、「違う」とでも言わせたいの?
 天邪鬼な矢代がそんなこと言うわけないのに?
 
 百目鬼の考えについてはまだわからないことが多い。
 

傑作の条件


 正直、第51話についての私の予想は当たらなくていい。
 むしろ、外れてほしい。
 次回、何の脈絡もなく百目鬼が矢代に愛を告白してくれたって構わないくらいだけれど、そんな展開にはならないのだろう。

 別の記事でも書いたが、後世に残る傑作には、ストーリーにこういう苦しく深い谷間があるものなのだと思っている。

 初めて「囀る」に出会った時、私は矢代を見て「BANANA FISH」のアッシュを思い出したけれど、主人公が養父から受けた性的虐待に苦しむ話と言えば、何といっても萩尾望都先生の「残酷な神が支配する」だ。
  
 「残酷な…」をリアルタイムで読んでいた頃、主人公のジェルミがとんでもなくひどい目に遭う度に、自分の作品の主人公をここまで闇に落とすことができる萩尾望都先生はやはり天才だなと感じていた。

 主人公の苦悩が深ければ深いほど、その傷が癒やされ、救済される時の喜びは、計り知れなく大きなものとなる。

 苦しみの谷と喜びの山の激しい落差、ジェットコースターのようなストーリーの高低差が感動を生む。

 ヨネダ先生はそれが描ける方だ。

 苦しみを乗り越えて、いつか矢代がカタルシスを得る時、我々読者も矢代とともに予想だにしない充足感と幸福を味わえると信じて、どこまでも「囀る」という作品を愛し、追いかけ続けて行こうと思う。

追記(2022年12月5日)

「俺が相手をします」と言ったのに、ちょっと目を離すと矢代は他の男の所にフラフラ出かけて行って、惜しげもなく体を投げ出す……百目鬼が怒るのも無理はない。

 次回、矢代の腕を掴んだ百目鬼はどこに向かうのだろう。
 ホテル、矢代の部屋という選択肢もあるけれど、私は期待を込めて、百目鬼の新しいマンションと予想している。
 第22~25話のように、舞台は百目鬼の部屋なのではないかと。
 第51話ではないにしろ、いつか矢代はその部屋のどこかにある影山のコンタクトケースを見つけるだろう。(4巻第17話6巻第29話

 胸の内に秘めた互いへの変わらぬ愛の印が、少しずつ零れ落ち、そのひとつひとつが二人を結びつけていく。

 中でも、百目鬼が「矢代は他の男では勃たない」ことを知った(井波から聞かされた)時が、大きなターニングポイントとなるはずだ。

 第46話によって砕け散った私の心の破片はまだ奥底に残っていて、ときどき踏みつけて痛いくらいだけれど、あの衝撃があったからこそ、私にはハッピーエンドしか見えなくなった。

 たとえ、第51話以降で矢代がどれほど苦しもうとも(その度に私もつらくなるのだが)、この先の幸せを疑うことはない。

第46話感想その2を未読の方は、ご参照下さい)


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