腐女子が読む呪術廻戦 本誌 271話(最終回) 感想
注:筆者は五条悟ファン、腐女子(虎伏派、夏五派)です。
261話を読むまでは呪術廻戦が大好きでしたが、終盤の展開には批判的な考えです。ネタバレを含みます。
呪術廻戦という夢の終わり
こんな終わりでいいの? 本当に?
これが作者が6年半かけて描きたかったものなの?
261話で呪術廻戦を見限り、その後本誌も単行本も買うのをやめた私だったが、かつて愛した作品がどのような結末を迎えるのかには興味があり、ネットで物語の経過を追いつつ最終話は久しぶりにジャンプを買って読んだ。
読み終えて、唖然とした。
支離滅裂、竜頭蛇尾。
渋谷事変まであれほど面白かった漫画が、まさかの放り投げエンドになるとは。
あちこちに散りばめた伏線どころか本線すらまともに回収せずに終わるのか。
ラスト3話の言い訳回とかシン・陰当主とかモブ呪詛師の最終任務とかいらないから、もっと描くべきことはあったのに。
多少の破綻が許容されるギャグ漫画のロボ子の方が、しっかりした構成と呪術への愛が溢れていて面白いというこの皮肉。
結局、虎杖の領域展開は地元紹介? かっこいい呼び名もないまま?
伏黒の魂が無量空処を何度も肩代わりしたと知った時、「ああ、恵はもうだめだー」と心底悲しんだのに、ちょっと頭がぼーっとするで終わりなの?
野薔薇の復活は嬉しいけど、タイミングがご都合過ぎる。
せめて宿儺戦の前に現在の野薔薇の状態(意識不明で寝たきりだが、まだ覚醒の可能性あり)を描くべきだった。
虎杖、伏黒、野薔薇のゆるい日常や力を合わせて任務を果たすシーンは好きだったけど、今更最終回で出されても…。
想像を遥かに下回った結末に、ありとあらゆる様々な不満が噴出した。
いつか回収されるだろうと信じていたから、思わせぶりな伏線や未消化の設定も受け入れて来たのに。
羂索の目的、宿儺と羂索の関係、天元の存在意義、九十九の魂ノート…何もかも放り投げたまま、あっけなく終焉を迎えることになるなんて。
かなり長尺で覚醒イベントをやった真希は肝心の宿儺戦での戦果はなく、重要キャラとして数々の見せ場を作ってきた乙骨も悟の死体利用、天使のヤコブ効果なしで評価を落として終わった。
死体利用は敵側がやるおぞましい行為であって、主人公サイドが死者、それも作中最大の人気キャラの死を冒涜するなんて禁忌中の禁忌だし、物語の構成上全く不要な展開だった。
「呪術廻戦」はダークファンタジーとしてもっと素晴らしい作品になるポテンシャルがあっただけに、終盤の崩壊ぶりに対する落胆は大きい。
もっと深められた虎杖と伏黒の絆
私はアニメ1期で虎杖と伏黒の関係に魅了されて「呪術」のファンになった。
対照的な陰(伏黒)と陽(虎杖)の組み合わせ。どちらも自分が犠牲になっても相手を助けたいと思っている。
伏黒の「死んだら殺す」と言う台詞、今も私の胸に突き刺さったままだ。かっこいい。
虎杖と伏黒の関係性はもっと深く掘り下げて描くことができたはずだ。
「おまえがいないと寂しいよ」はよかったけれど、そこに至るまでの二人の心の動きをじっくり丁寧に描いていればより感動できたはずだ。
私は伏黒の遺体を抱きしめながら虎杖が号泣する展開を予想していたから、そうならなかったことは嬉しい半面、あれほど私を惹きつけた二人の絆が宿儺戦に入ってからはほとんど深められずに終わったことが残念でならない。
伏黒の自己犠牲を厭わない生き方に加え、ファンブックで作者が「伏黒の最後は決まっています」と言ったこと、レジィが今際の際に「オマエは運命に翻弄され、道化となって死んでくれよ」と不吉な呪いを残したことから、私は物語の最終局面で伏黒恵が死ぬのではないかとずっと心配してきた。
心配しすぎて、作者や集英社に「どうか伏黒くんを死なせないでください」と手紙を送ったくらいだ。
宿儺が伏黒の体を乗っ取り、浴で魂を沈めた時には、正直もうだめだと思った。
虎杖と宿儺の戦闘中、虎杖を助け宿儺を倒すために、恵が命を懸けて内側から宿儺にダメージを与え、虎杖の渾身の一撃で宿儺を倒すけれども恵も死ぬ…というのが私の予想だった。
結果として恵は死なず無事生き残ったけれども、私が望んだのはこんな形の生存ではなかった。
もっと虎杖と一緒に死力を尽くして、できれば不完全だった領域を完成させ呪術師として大きく成長して宿儺を倒してほしかった。
こんな終わりになるくらいなら、予想通り伏黒が死に、とても悲しいけれど感動的な結末を迎えた方が良かったとすら思う。
終わってみれば「呪術廻戦」の主人公は宿儺になってしまった。
宿儺戦の戦闘中に心情描写されるべきは虎杖だったのに、宿儺の内面ばかりがフォーカスされていた。
虎杖の成長、出生の秘密、高度な術式である(はずの)反転術式や領域展開を会得するまでの過程や努力、領域の詳細、これらがまったく描かれないままだった。
これでは読者が虎杖に魅力を感じることができるはずもない。
宿儺が伏黒に目をつけていた理由は「檻にならず、耐性があるから」だったわけだが、それが「なぜ伏黒だったのか」が全くわからない。ただの偶然?
受胎戴天から渋谷事変までの宿儺の伏黒に対する執着ぶりは、虎杖→伏黒←宿儺の三角関係を妄想させてとてもよかったのに。
永遠に最強でいてほしかった五条悟
五条悟のことを「最強」「規格外」「もし(五条悟の)封印が本当なら終わりです、この国の人間すべて」(渋谷事変でのナナミンのセリフ)と散々持ち上げておいて、最後の最後で「もう五条悟とかどーでもよくない?」とは??
虎杖の「何言ってんの?」はこちらの気持ちそのものだ。
大体あの自信満々で自分大好きな五条がそんなこと言うかなー?
作者が創造した五条の性格が一貫していないから、「強く聡い仲間を育てる」ことを目標として、生徒に「期待しているよ」と言う一方で、「花に自分を理解してもらおうとは思わない」とか謎の発言が出てきて混乱をきたす。
自己中心的だった高専時代⇒傑の離反によって「自分一人が強くても駄目だ。強く聡い仲間を育てよう」と思い教師になる⇒天才だから教えることには向いていないが、なんだかんだ言って虎杖たちが頼れる最強の存在⇒宿儺に対して2度「勝つさ」と自信満々⇒負けたのに「宿儺は僕に全てをぶつけることができなくて申し訳ない」??⇒「五条悟とかどーでもよくない?」
途中から悟本人ではなく、作者の気持ちを代弁しているようにしか思えない。
悟に2回も「勝つさ」と言わせておいて、五条が死ぬ肝心のシーンは描かれないまま真っ二つ、そのまま復活もしない、では物語中盤までの「最強」の重みがなくなってしまう。
五条の死後、最後まで復活を望む声が絶えなかったのは、登場人物たちが五条の死を真っ向から受け止める描写がないからだ。
力石がジョーに、ピッコロさんが悟飯に与えたような激しいショックを虎杖たちが受け、彼らの真の成長と覚醒を促す起爆剤となってこそ、五条の死には意味があり、読者が受容できるものになる。
五条の死が虎杖達に与えたものがない(乙骨が利用するための死体を残しただけ?)から、展開に必然性がなくいつまでも納得できない。
五条ほどの主要キャラの死が最も影響を与えたのが、作中の登場人物ではなく五条ファンを始めとした読者だったのは完全な失敗だと思う。
私は最期まで悟に最強でいてほしかった。
宿儺戦は虎杖、伏黒、釘崎の3人で共闘、羂索を悟、乙骨、真希メインで倒して、ちゃんと悟に傑の亡骸を弔ってほしかった。(←これが当初の目的だったはずなのに…)
どんなピンチに陥っても、たとえ「死んで勝って」も、最後には「大丈夫。僕、最強だから」と言ってファンを安心させてほしかった。
それでも、確かに救いはあった。
悟が死後真っ先に会ったのが傑で、「お前がいたら満足だったかもな」と本音を口にして、傑の隣で幸せそうに笑う悟の姿を見られたことは、夏五派の腐女子としては本望だったと言わざるを得ない。
私の中の呪術廻戦は236話で終わり、その後復活することはなかった。
呪術廻戦が残したもの
「呪術廻戦」の続編は望まない。できることなら237話(27巻)以降全部描き直してほしいくらいだ。
「死滅回游」以降のアニメは瀬古浩司さんの構成・脚本でオリジナルストーリーにしてもらった方が良い作品ができると思う。むしろそれが見たい。
原作の終わりがどうあれ、悟の魅力が損なわれたわけではなく、私は夏油と五条をこれからも愛し続けるだろう。
ただ、こんなに夢中で追いかけたジャンプ作品は初めてだったから、終盤の展開とあっけない結末には落胆を禁じ得ないのだった。
追記:まだまだ語り足りない呪術のこと(2024年10月5日)
アニメの公式ガイドブックを読んでいたら、クリエーターさん達や声優さん達がこんなに深く作品世界のことを考えて素晴らしいアニメを作ってくれたのに、どうして原作は…と悲しくなってきた。
呪術はその魅力的なキャラクターとともに後世に残る傑作となるポテンシャルがあっただけに残念だ。
最後の人気投票で11万もの票を集めた五条悟はもともと十分かっこよくて人気もあるけれど、さらにかっこよく魅力的に描くこともできた。
宿儺に負けるにしてもせめて伏黒を宿儺から引きはがして、「後は頼んだよ」と虎杖&乙骨に託すとか、死闘の末、ボロボロになって呪力を使い果たしても(六眼を失う説もあった)宿儺に勝つとか……。
それなら悟の人気はますます爆上がりして、グッズやアニメ界隈の盛り上がり(売上)も期待できたのに、メタ視点でももったいないと思う。
宿儺だって渋谷事変の頃はあんなに強くてかっこよくて、諏訪部さんボイスがぴったりの極悪非道な呪いの王だったのに、最後は拍子抜けするほどあっけない散り方だった。
虎杖と伏黒を比べたら伏黒の方が美形なのだろうが、宿儺には野性味ある虎杖フェイスの方が合っていた。
羂索戦に至ってはジャンプの看板作品とは思えないギャク展開だった。
独創的なのは認めるが、個人的に漫才が面白くなかったのと、黒幕のラストとしてはこちらもあっけなくて後に残る「呪い」が何もなかった。
宿儺を倒しても結局伏黒によって一億総呪霊が発動してしまうとか二重の仕掛けにしておいた方が良かったのでは?
呪術に関する某有名匿名掲示板に「チェーホフの銃」というコメントがあって、まさしくその通りだと思った。
(匿名掲示板は必要以上に攻撃的だったり低俗な書き込みがある一方で、時々びっくりするほどセンスのある意見が載っている。クラウドシンキングもしかり)
「チェーホフの銃」とは、劇作家チェーホフの言葉「もし第1幕で壁に銃を掛けておくのなら、第2幕ではそれが発砲されなければならない。そうでないならそこに置いてはいけない」に由来していて、「ストーリーに登場するものにはすべて必然性がなければならない」という小説や劇のルールだ。
呪術には発砲されない銃(伏線)が多すぎて、あの銃はいつ出てくるんだろうと散々期待し、考察していたこちらの思惑がことごとく無になってしまった。
作者が逆張りで予想を外して読者の興味を引けば引くほど、「この先どうなるんだろう」という期待が高まる。
最高潮になった期待に応えられなければその分、読者の失望も深いのだなと、悟グッズに囲まれながらしみじみ思うのだった。
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