心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その22

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その21
 
 「おやじいは、自殺するしか手がないか」
 「自分の生き方を見せることが本当の教育である」という言葉がある。父は隣の家の屋根の上に乗って思い切ったパーフォーマンスをするなどの奇妙な行動によって確かに教育的成果を上げてはいた。だが、その方向性が、どうも父の意図していることとは違った方向に息子を教育していたようだ。
 父は家では自分のことを「おやじい」と呼んでいて、その頃、ときどき「おやじいは自殺するくらいしか手がないか」といった非常に暗い内容のことを言っていた。子どもの前で「~自殺するしか手はないか」なんて言ったら、学校の勉強を一生懸命やって東大法学部に入り中央官庁などに入るとあんなふうになってしまうんだな。と思われてしまう。実際、自分はその頃そんな印象を持っていた。
 「大蔵省(現在の財務省)に入った人が自殺した」という話を父か母から聞いたのもたぶんその頃だった。
 父は役所では人事上冷遇され、ふてくされて勤めを休み家で酒を飲んでいることが多く、どうもネズミの集団暴走で先頭をきって走っていって真っ先に海に入って死ぬような暗い雰囲気を周囲にまき散らしていた。
 「学校の勉強ばかりやるのではなく、奨励会で頑張ってプロ棋士を目指せば、俺みたいに中年になって『自殺するしか手はないか』なんていうことを言う人間にならないで済むし、隣の家の屋根の上に乗ってスコップをズデンズデンやらないで済む。そのために奨励会で頑張れ」という考えにはならず、相変わらず将棋指しになることには反対しているようだった。
 また、「人間は年をとると虚栄心のかたまりになるからな。せめておやじいくらいの毛並みの良さにはならないとダメだ」ということも言っていた。それを聞いて自分は、「自分で自分のことを『毛並みがいい』なんて言っている。本当に嫌味な人間だなあ」と思ったし、「自殺するしか手はないか」なんて言っているのと矛盾していると思っていた。
 この頃の父の言っていたことを振り返ってみると、わりあいお互いに矛盾している内容を平気でしゃべっていた面があって、人格的に分裂していることを周囲の人間にあからさまに見せつけていた。やはり、右目と左目で違うものを見ている人だったのだろう。スコップを持って隣の屋根の上に乗るような思い切ったパーフォーマンスとか「おやじいは自殺するしか手はないか」という発言などによって「学校の勉強ばかりやっていてもろくなものにはならない」「一流大学に入ったからといって別に幸せな人生を送れるわけではない」といった有力な考え方を息子に伝達したのならば、それを生かして、息子が勉強以外の将棋という道を見つけたことを喜ぶ方が一貫していると思うのだが、そうではなかった。
 父は、人の心は玉虫色の光を放つ底なし沼で、その中にはいろいろと変な生き物が住んでいる、という意識が少なかったようだ。今みたいに心理学的な考え方が普及していなかったので仕方がない面もあるのだが、どうも自己を対象化して第三者的な視点でものを見るところが非常に弱く、ユーモアに欠けていた。
 自分だって人のことは言えないのだが、もし、父がそういったことをよく意識していたら、「他人に対して自分をなるべく矛盾の少ない人間に見せる」ということにもう少し注意を払っていたと思う。また、自分の中にいる異なった人格同士の対話を重視して、もう少し落ち着いた人になっていたかもしれない。
 その頃父は40代後半で、いわゆる中年の心の危機を抱えていたのだと思う。自分も高校1年生の思春期で、どうも困ったタイミングで同じ家に住んでいた。妹や弟は少しタイミングがずれていて、父親との関係も少し違っていたようだった。

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