小石川真美著『私は親に殺された!』 ―読書日記―

 『私は親に殺された!という本をブックオフで見つけた。
 新書の棚を見ていた時に、上記の強烈な題名が目に入り、手に取ってみるとカバーに「~渾身で綴った、壮絶極まりない闘病記である‼」と書いてあった。
 最初の印象は、「疲れそうな本だな」「怖そうな本だな」「作者の肩に力が入ってそうな本だな」「こういう本を買っても結局読まないんじゃないだろうか」といったものだったが、自分もぼくは強迫性障害という、心の病に関する闘病記という意味においてはそれなりに似ていると言えなくもない本を書いたことがあることもあって、興味があるので買って読んでみることにした。
 読んでみると、「両親の精神的暴力・境界性人格障害・うつ病・薬害」といった表紙に書いてある言葉から連想できるようなこと以外にもいろいろな要素があり、怖いばかりの本ではなくけっこう多面性のある味のある作品で、400ページ弱のかなり厚い本であるが1週間くらいで読み終えた。
 振られた相手からもらった手紙をコピーして学校の教室でばらまく、不倫相手の奥さんに電話する、精神科の担当医師の女性にカエルの死骸を送り付ける、などの強烈な武勇伝などもあり、読み物として面白かった。沢尻エリカ主演の映画の原作にいいかもしれないと思ったし、また、1次情報としての価値がある本だとも思った。
 一方、もちろん実用的な価値もあると思ったのだが、もう少し工夫するとさらにわかりやすくなるような気がした。
 ざっくりどんな本だったか、自分が注目したところ、興味深いと思ったところ、不思議に思ったところ、等を書いてみる。

 ざっくりどんな本だったか

 この本に合いそうな「~本」という表現が11こ頭に浮かんだので、それらを記す。
 ◎〇△▲は重要度が高いかどうかを、自分流に評価したものである。

 毒親本 ◎
 薬物依存本 ◎
 境界性人格障害・うつ病本 ◎
 障害者家族本 〇
 メンバー固定型核家族本 〇
 医療業界本 △
 東大本 △
 強制入院・閉鎖病棟告発本 ▲
 テーマ史に近い通史の本 ▲
 自宅派の本 ▲
 平成から見た昭和の本 ▲

 ◎をつけた言葉をつなげて本の紹介文をつくると、「主人公が、毒親が原因で境界性人格障害になり、そして薬物依存症やうつ病になる本」という文になる。
 これである程度の大筋は押さえているのだが、あまりにも味気なく、この本の面白さ・良さを十分に要約しているとは言えない。
 ◎以外にも重要なことは多く、例えば〇をつけた「障害者家族本」という要素はかなりポイントとなる部分だと思う。作者の弟が障害者で、本のあちらこちらにこのことが他の家族に与えた影響が書かれている。この要素がなかったら、この本はまったく別の本になるだろう。
 もう一つの〇、「メンバー固定型核家族本」というのは、離婚・再婚や死別・離散などがなく、兄弟の数が少なく、親戚づきあいや近所づきあいも盛んではない、メンバーが固定された少人数の家庭を舞台としている本、という意味である。本書の特徴の一つとして、祖父母や親戚のおじさん・おばさんなどが出てこないことがあげられ、極端なところもあるが、戦後日本の典型的な核家族の肖像を描いている。
 「医療業界本」「東大本」というのは、作者がいた世界がわりあい一般人の好奇心を惹きつけやすいエリートの世界で、そのあまり知られていない実態を描いている。ということからつけた名称である。
 「強制入院・閉鎖病棟告発本」というのは、作者が実際に患者として入院した体験から、強制入院・閉鎖病棟のあり方をリアルに描き批判していることからつけた名称。毒親・薬物以外に、強制入院・閉鎖病棟のあり方も作者が世の中に真摯に訴えていることである。
 ただし、本全体から見ると、書かれている量が少なかったので▲にした。
 「テーマ史に近い通史の本」というのは、世界史とか日本史の記述方法を個人史にもあてはめてつけた名称である。日本史では、大きくわけて通史とテーマ史、世界史の場合だと通史・テーマ史に加えて各国史という歴史的事実の構成方法がある。個人史の構成方法も、通史的なやり方とテーマ史的なやり方があると思う。
 この本は、作者の幼年期・青年期を時系列に沿って描いたノンフィクションで、約400ページと決して短い作品ではない。でも、総合的・総花的に人生における重要なことをあれもこれも書いてあるかと言えば、ある程度は総合的・総花的だが、わりあい親子関係と薬物依存、そして境界性人格障害とうつ病というテーマに関係あることを重視し、それ以外のことに関する記述は駆け足で進行している部分が多い。だから、構成方法としては「テーマ史に近い通史」という見方ができると思う。
 「自宅派の本」というのは、本の作者が学生時代、あるいは高卒の人だったら大卒の人が大学にいるくらいの年齢に、自宅にいたか下宿生活を送っていたかという分類をした時に、自宅にいた人が書いた本、という意味である。
 三島由紀夫が自宅派で太宰治が下宿派、宮部みゆきが自宅派で東野圭吾が下宿派、田中康夫が下宿派で島田雅彦が自宅派、といった感じで、わりあいこの見方で書き手と作品を見ていくとなんとなく意味ありげな感じがする。「だからどうだ」ということを言うのは難しいのだが。
 「平成から見た昭和の本」というのは、「昭和時代の体験を平成時代になってから振りかえって書いた本」という意味。東野圭吾の『あの頃ぼくらはアホでした』、佐藤優の『私のマルクス』『同志社大学神学部』『先生と私』、宮本輝の『流転の海』の第2部以降などがこのタイプの本である。単純に「懐かしいな」という気持ちになれるし、また、日本の近い過去を振り返ることで現在を考えることもできる。

 どうして面白いと思ったのか

 前の項目と重複するところもあるのだが、自分がどうしてこの本を面白いと思ったのかを分析する。
 「分析というのは比較することである」という言葉が本質をついていると思うので、できるだけ他の本と比較しながら書く。
 まず第1に夏目漱石の『三四郎』とか加藤周一の『羊の歌』等の「秘境東京帝国大学」「秘境東京大学」と名づけたくなるような「エリート的な世界を一般人に公開して御覧に入れる」というノンフィクション的な面白さがあった。それと、医者の世界を描いているということでは、渡辺淳一の初期の医学小説とか山崎豊子の『白い巨塔』などにも似た要素がある。
 前の項目で言えば、「東大本」「医療業界本」という部分にあたる。
 作者の小石川真美さんは、東大理2に現役で合格し「進振」で医学部に進学した大秀才で、東大医学部や東大病院等の様子が活写されている。
 例えば、作者が勤めていた頃の東大病院の小児科は、60年代末に東大闘争の担い手だった助手(現在の助教)が医局長として実権を握っていて、病院から教授、助教授、講師などの地位を与えられていた人たちには実権はほとんどなかった。そして、病棟生活におけるお母さん達の自由を最大限認め保証しようという方針をとっていて、例えば、一部の患者のお母さんが病棟に空き部屋に集まって深夜まで飲み会をやるといった行き過ぎがあり、それを看護婦(現在は看護師)さんが注意すると「余計な管理をするな」と看護婦さんを医師たちが押さえつけるということなどがあって、医局長グループと看護婦の多数派が敵対していた。なかなか面倒な人間関係がある職場だったことがわかり、「病院だって人間の集団だから、そんなところもあるんだな」と思った。
 第2に、太宰治の『人間失格』のような主観的な心情を綴っていく「内面のノンフィクション」としての面白さがあった。
 もちろん、ノンフィクションと小説の違いがあるし、『私は親に殺された!』の方が医学用語を用いた精神医学的な自己分析などがあり、『人間失格』にはそういったことは書いていない。また、主人公の生きた時代も違うし、分量が全然違って『私は親に殺された!』の方が圧倒的に長いし、フィクションと小説の違いはもちろんある、等々傾向の異なる点もたくさんある。
 が、太宰治も作者の小石川さんと同じ境界性人格障害だったと言われているし、自殺未遂を起こしたり、主人公が薬物中毒になったり、精神病院に入院させられるなど、出てくる事件の内容がよく似ている。それと、両書ともに登場人物に実に印象的かつ偽善的で嫌らしい敵役が出てくる。また、嫌な奴のことを「気障(キザ)」と表現するところなど言葉の使い方が似ていて、深刻な内容がかいてあるのだが読み方によってはユーモア小説(ノンフィクション)のように読めるところなども似ている。
 第3に、前の項目で「毒親本」と名づけた、困った親とか家族に悩まされる主人公の姿を描いた文芸としての面白さがあった。
 この分野で代表的なものは、女優の高峰秀子の『私の渡世日記』だろうか。それと作詞家のなかにし礼の『弟』という作品もある。この2作は、毒親・毒兄という点では『私は親に殺された!』と共通点があるのだが、親や兄弟が主人公にたかって稼いだお金を使ってしまう話なので毒親は毒親でもタイプはまったく異なる。
 自分勝手で支配的な母が登場するという点では村上由佳の『放蕩記』が一番似ているかもしれない。それと姫野カオルコの『謎の毒親』という小説にもひどい親が出てくる。それから、漫画でもよく出てくるテーマである。それと、文芸というよりは評論・実用書なのだが、岡田尊司の『母という病』という本がある。これは自伝ではなく、精神科医である作者が診療経験や読書で得た知識に基づいて患者さんとか歴史上の人物の親子関係について論じていて、面白いしわかりやすい本である。
 現在、小室さん・真子様と秋篠宮家に関する記事が載ると週刊誌が売れるらしいのだが、やはり不謹慎かもしれないが他人の家庭の込み入った話は面白いもので、時々この分野でヒット作が出る。

 本文を引用して考える

 自分の感覚からすると、「なんでこんなことが書いてあるんだろう?」「なんであれを書かないんだろう?」「なんでこういうふうに書かないんだろう?」「あんなふうに書いたらいいのにな?」「ここが大事なのではないか?」等のことを思ったところがいくつかがあったので、そこを本文を引用して考えていく。

 作者と母の食事に関する言い合い

 まず第1に、作者(『私は親に殺された』の作者を「作者」と書く。以下も同様)が母と食事のことで言い合いになったエピソードを引用する。

 …私はある日、仕事の帰りに国立駅前の鮮魚屋で銀鱈の切り身を買ってきて、煮てたべた。ところがそのことを母に電話で話すと、いきなり「下痢しなかった?」と聞かれたのだ。私が「何で?」と聞き返すと、母は「だって銀鱈なんておかしなもの食べたって言うから」と笑い混じりに言った。私は猛烈に頭にきて「どうして銀鱈がおかしなものなの? お店で売ってるちゃんとしたものでしょ? お母様の好みに合わないからといって、悪い食べ物というわけじゃないでしょ?」ときっぱり言った、母は食べ物の好き嫌いが非常に多く、魚は昔からほとんど食べられない。さすがに私も25歳にもなると、個々の細かいものの見方や考え方については母の言いなりにならなくなり、反論もするようになっていた。父と違い母には3恫喝を恐れずに済んだから、反論できたのである。

 この部分だけど、まず「私は猛烈に頭にきて」とあるけど、どうして銀鱈が「おかしなもの」と言われてそんなに頭にくるのかが不思議だ。ここが、典型的な作者が過剰反応しやすい状況だと思う。
 「まあ、母は食べ物に関しては変なこだわりだか迷信みたいな考えを持っているから、おかしなことをいうんだなあ。あれは一生治らない」などと考えて適当に流し、「大丈夫でしたよ」なんて言っておくことはできなかったのだろうか。
 ここは、作者の反応パターンが偏っていると思った。
 それと「~反論できた」と書いてあるが、銀鱈のことで反論するのが素晴らしいことなのだろうか。
 「そんなことどうだっていいじゃないか」と考えて適当に受け流す方が楽でいいような気がするのだが。
  このエピソードは、一般的な言い方だと「作者が生真面目過ぎるように思える」ということだが、精神医学的な言い方だと「作者の反応パターンの偏りが見える」ということになるのだろうか。
 とにかく自分の感覚では、作者がなんでそんなに頭に来るのか不思議だった。

 視点を変えることは重視していないのか?

 2番目に作者が母を批判している部分を取り上げる。

 私の抗議に対し、私はいつも「それ一体、私が何回言ったっていうのよ!」と返すだけで、頑として自分の非を認めなかった。しかしそんなことは一回言われれば十分で、一生にわたってこどもの魂の自由を奪い続ける。「はずみで言ってしまっただけ。ご免なさい。死んだりしないから安心して」と、親が心を込めて前言を取り消して謝らない限り子どもの心の傷は癒えない。ところが母は謝らないばかりか、抗議する私の方が人でなしでしつこいと、逆に非難し続けた。

 これは、作者が女子医大付属の心臓血圧研究所を辞めて東大大学院に入った、27~28歳の時のことである。
 この本ではたびたび出てくるおなじみの内容で、中心的なテーマと言ってもいいと思う。
 文中の「抗議」というのは作者の幼少期の作者の母親から作者に対する絶え間ない言葉の暴力に対する作者の抗議のことだ。
 この部分を読んで気がついたことは、「心の傷が癒える」ことを圧倒的に重視していて、それ以外のことに目を向けていないことだ。他の部分にも同じようなことがよく書いてあるので、この解釈は正しいと思う。
 ここが、かなり根本的な分岐点・大論点だと思う。
 「心の傷が癒える」ということが、一定の能力を備えた人が決まった方法を実行することによってかなりの確率で実現できるのであれば、それを目指すべきだろうが、なかなか難しい場合が多いのではないか。
 「心に傷があったって、そこはなんとかだましだまし生きていくのも悪くないんじゃないか」等の考え方は、検討しなかったのか?作者の担当医でこういうことを提案する人はいなかったのか?
 それと、異なる視点の獲得ということについては重視しなかったのだろうか?担当医は、提案しなかったのか?
 これは自分が落ち着くパターンで、少しぶっとんでいる視点かもしれないが、例えば、俯瞰的に雲の上とか月面のような場所にいる神様や宇宙人、あるいは部屋に置いてあるぬいぐるみなどから自分たちの人間関係を見て、「心に脆さを抱えた不完全な人間同士で、私たち神様(宇宙人)から見るとあまり大したことでもないことで深刻な争いになっているなあ。どうして人間はもっと仲良く楽しく生きられないのだろうか」「ぼくはぬいぐるみのポメラニアン。ご主人様のいない時はいつも一人だし、お父さんもお母さんもいないけど全然平気だよ。でも、お父さんもお母さんもいるっていうのは、本当はうらやましいなあ。でも、親子関係というのも難しいみたいだね。もう少し気楽に考えたらいいのにな」等、違う視点から見ることはできなかったのか?もっとも、自分も若い頃はできなかったし、今(50代)でもたまにしかできないことなのだが。
 森進一の『襟裳岬』という歌に「わけのわからないことで悩んでいるうち 老いぼれてしまうから」という歌詞があり、これはなかなか大切なことを言っていると思う。散文ではないので論理的に意味を特定することはできないが、俯瞰的な視点から人間とか人間社会を捉えていると考えることもできそうだ。

 「もう自殺しちゃだめだよ」

 「もう自殺しちゃだめだよ」という青春ドラマみたいなセリフを作者の担当医が言い、それに対して、作者が呆れている部分を引用する。

 …私は外頸静脈を切り、大量出血して千葉大の救急部に運ばれた。自殺ということで、精神科の若い男性医師が対応してくれたが、彼は「もう自殺なんか図っちゃだめ!」と私を叱責しただけだった。叱責で自殺が止まりなら苦労はない。いくら若いにしても、これで本当に精神科の医師なのかと呆れてしまった。

 これは本の最後の方の、作者がどん底まで落ちる展開のところである。
 「~私を叱責しただけだった」と書いてあるから、いきなり会ったばかりで言われたのかもしれない。
 ちょっと読むと確かに唐突な感じもするが、大量出血して救急部に運ばれたときに言われたのだから担当した医師がそう言いたくなる気持ちもわかるような気もする。絶対に言わない方がいいことだとは言いきれないし、それ以上のことを言うのも難しいと思う。
 精神分析とかカウンセリングをしているわけではなく、ただ単に救急部で点滴をした場所で対応している大量出血の救急医療の場で、いきなり自殺企図がなくなるような深い根本的な精神医療ができるわけがない。
 また、言わないよりは言った方がなんらかのプラスになる可能性が絶対ないとも言い切れない。
 だから、作者は呆れているけど呆れるほどのことではなく、ここで登場する若い医師は、確かにお説教口調でなんだか偉そうだが、わりあい普通のことを言っているだけなのだろうと思う。 

 鬼ババア

 次に、1989年の作者の2度目の閉鎖病棟強制入院中のことについて書いた部分を取り上げる。

 そういえばこの入院中、母には手紙を1通書いたが父には書かなかった。手紙といっても、鬼の絵を描いて「鬼ババアの絵」とタイトルを書いただけの稚拙なものだったが、まだ保護室にいて、精神的に落ち着いていない時に書いたもので、後日面会に来た母から「親のことを鬼だなんて、ババアだなんて!」と激しく詰られた。

 30過ぎた娘が母親に鬼ババアの絵を描いて送るという漫才みたいで不思議な出来事で、それに対して母親が真面目に怒ってしまうという、一般人から見るとかなり変な展開である。
 この部分を読むと、確かに作者よりも母親のキャラクターが印象的で、異常に真面目な人なのである。精神病院に入院している人が書いたものに対して激しく詰るというのも大人げないような気がしたし、この母親は、なかなか物事を二つ以上の視点で見ることが難しい人なのだろう。作者が30代前半の時期の出来事なので、30代前半の人の母親ということは50代にはなっているはずで、年をとってもこういう行動をとる人は珍しい。
 ところで、参考になる事例かどうかわからないのだが、「鬼ババア」という言葉を聞くと自分の父と祖母のことを思い出す。
 もう30年以上も前の自分が大学生だった頃の話だが、父は家族と一緒に夕食を食べる時によく祖母のことを「鬼ババ」と呼んでいた。どうして鬼ババなのか、いろいろと悪口は言うのだが今一つピンとこなくて、鬼ババという言葉だけが印象に残っていた。
 自分たちは東京、祖母は広島に住んでいて、関西方面に旅行に行ったときに祖母の家を訪ねることがあり、ある時、「うちのお父さんは、おばあさんのことを『鬼ババ』と言ってますよ」と何気なく話してしまった。
 そうしたら祖母は別に平気な顔で「鬼ババは鬼ババでもいい鬼ババじゃ」と返した。
 そのことを家に帰って父に話したら、ニヤニヤと苦笑いをしていた。
 自分の父はこの本に出てくる父親に、祖母はこの本に出てくる母親に、かなりよく似たキャラクターなのだが、あの時は多少は心に余裕があったので本気で怒ったり親子喧嘩になったりしなかったのだろう。

 「お前は母さんの話をしなくなったら一人前」

 本の最後の方で、H病院に2回目の入院をする前の時期の父の発言・態度について書いてあるところを取り上げる。

 しかし父は私が話を始めると、すぐに憎々しげに顔を顰め、「お前はお母さんの話をしなくかったら一人前」と、相変わらず体のいい責任転嫁と決めつけて撥ね付けるだけだった。

 作者が父に話した内容は、「母から精神的に支配され続けた」といったことである。
 「お前はお母さんの話をしなくなったら一人前」という作者の父の発言だが、どうもお説教的で偉そうなしゃべり方である。自分の父もこういう言い方が得意だった。
 私は1960年生まれで作者とは3年しか違わないので、たぶん両親も同年代だと思うのだが、その年代の人の言い方というのは似ているのだろうか。
 この部分を読んで思ったのは、作者は親戚の叔父さんや叔母さんとか近所のバーやスナックのマスターかママさんと話をする機会はなかったのかな、ということである。
 この場合だと、例えば叔父さんだったら、「あれは、どうもお説教じみた言い方が得意でいかん。まあ、ああいうのは治らないから気にしないようにするしか対策はないな」なんて言うかもしれない。
 あるいはスナックのママさんだったら、「お母さんは何年生まれ」「昭和X年」「その年代の人はそういう言い方をする人が多いけど、別に悪気があって言っているわけじゃないので、まあ、そんなもんだと思って、流すしかないのよ」なんて言うかもしれない。
 上下関係や利害関係があまりない年上の人と話すと違う視点から物事を捉えることができて便利なことがある。「斜めの人間関係」という言い方ができると思う。
 作者にはそういう機会がなかったのか、あるいはあったけど書かなかったのか。もしもそういう機会があったのに書いていないのであれば、そういうことも書いてもらえるとより厚みのある物語になったと思う。

 最後の主治医との出会い、そして再生へ―

 前の項目よりもさらに本の最後の方で、作者が絶賛している、作者を回復に導いてくれた天野医師について書いてある部分を取り上げる。

 天野先生は非常に真面目で常識的で、しかも大変率直な方だった。それで私はかかり始めてすぐから、天野先生に対しても、それまでかかった精神科の先生方に対してと同じように、子どもの頃から現在に至るまでの、精神の専制支配を始めとする母子関係における数えきれないほどの辛い体験を、懲りずに次々と打ち明けたのだが、天野先生の反応はそれまでの先生方とは全く違った。先生は私の話に真剣に耳を傾け、「それは辛かったでしょうね。それはひどいですね」と一つひとつ、心からそう思っている調子で相槌を打ってくれ、また一緒に憤って下さったのである。

 これは、アメリカの臨床心理学者ロジャーズの来談者中心療法の中心的な方法論である共感的理解・無条件の肯定的関心・自己一致の3原則に忠実な聞き方で、これがこの場合の治療の決め手になっている。日本人には自己決定・自己責任という原則を重視していない人が多いので、ロジャーズ的な手法でカウンセリングを行っても単に愚痴を聞くだけで終わってしまうこともあるが、作者はサルトルの哲学が好きな自己責任・自己決定を重んじるタイプなのでうまくいったのかもしれない。
 だから、天野先生がいろんなタイプの患者にとっていい医師なのか、主に作者のようなタイプの患者にとっていい医師なのか。ということも大切な論点だと思う。
 作者とは違うタイプの患者が来た時には、面談方法をそれに合わせて変えるのか、それともだいたい同じようなやり方で対応するのか。が興味深いところだ。また、面談方法をあまり変えないというのであれば、それで他の患者にも効果があげられるのかどうか、というところが知りたいところである。
 天野先生の面談方法であるが、一般常識で考えると、「この人は一方的に自分が被害者で親が悪いみたいに言っているけど、親の側の話も聞かないと本当のところはわからないな」とか「そんな昔のことばかりに目を向けないで、もっと前向きにこれからのことを考えた方がいいのではないか」というふうなことも考えたり言ったりしたくなるが、それではうまくいかないのかもしれない。この場合、あくまでも目の前にいる人の言うことを信頼して、それに心から共感することが大切だったようである。それが無条件の肯定的関心・共感的理解・自己一致ということなのだろう。
 もっとも、本書には上記のようなロジャーズの名前とか3原則といったことは出てこない。作者はあまりカウンセリング等の勉強はしたことがなく、上記の言葉は知らなかったのか。あるいは、医師なので心理学者やカウンセラーの言っていることはあまり認めたくないのだろうか。 
 それと、天野先生の治療法がよかったから回復したように書いてあり、もちろんそれがかなりの部分を占めることは間違いなさそうなのだが、「年を取って落ち着いてきた」「奈落の底の行きつくところまでいって後は回復する一方という状況だった」という可能性については触れていない。
 なかなか比較するための方法論が見つからないのかもしれないが、「年を取って落ち着いてきた」「奈落の底の行きつくところまでいって後は回復する一方という状況だった」「天野先生の治療法がよかった」の3つの可能性をなんらかの方法で比べることができたらよかったと思う。
 でも、よほどうまい方法論が見つからない限り、「患者としての実感は『天野先生の治療法がよかった』ということだけど、確かに『行きつくところまでいって、しかも年をとって落ち着いてくる時期に天野先生に出会った』という面もあり、どれがどの程度の比重を占めるかというところは『結局わからない』『調べる方法がない』」といった結論になるかもしれないのだが。
 「境界性人格障害にはある程度の年齢に達すると落ち着いてくるという性質がある」ということも大切な経験的事実だと思う。また、「どん底まで落ちることで解決に向かう」「そこまで行きつかないとなかなか解決に向かわない」ということもあるようだ。

次の記事:小石川真美著『私は親に殺された!』② ―読書日記―

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