心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その57

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その56

 産休代替
 その後、退院することができ、I高等学校という高校の産休代替(及び育休代替)の仕事が決まった。
 自宅より2時間程度かかる遠距離通勤だが、いつまでもフリーターのような仕事をしているわけにもいかないので、行くことにした。
 I高校は、けっこう都心から離れた場所にあり、のんびりした雰囲気の田舎の学校だった。
 授業は高校1年の週3時間の授業を3クラスと、同じく高1の週2時間の授業を3クラス、そして高3の週3時間の授業を1クラス。合計週18時間の授業をもつ。
 10年ぶりくらいに高校で英語の授業をするので、できるかどうか不安だったが、なんとなく昔取った杵柄でなんとかそれらしきことはやれていた。かもしれない。
 強迫性障害の症状がけっこう残っているが前ほどひどくない。多少同じことをなんども確認する変な先生だと思われているようだが、なんとか授業になっているようだ。
 生徒たちは、とても正直な子どもたちで、「産休に入った前の先生の方がよかった」なんて無遠慮に言ってくる。もちろん反省すべきところは反省すべきだが、必要以上に気にしてもしょうがない。

 その日の朝も、5時半に起きて6時に家を出た。
 さすがにこの時間だと電車はすいている。
 今日の授業は1年が3時間と3年が1時間。会議は特になし。
 JRに乗ってT駅までいき、そこからさらにJRI線に乗って30分くらいでやっとI駅につき、そこから10分くらい歩いてやっと職場につく。
 JRI線は、自分が乗る時間帯はまだ生徒たちが少なく、すいている。
 座って本を読んだり、考え事をしたり寝たりしながら通勤できる。
 電車の7人掛けの椅子の隅の方に座って、さて、今日は何をしようかと考えた。
 30分くらいの時間は、ぼんやりしているとすぐに経ってしまうが、何かしないともったいないような気もする。
 学校は、都心からかなり離れて小さな盆地のような場所にあり、線路は、山の間や橋の上やトンネルの中などを通るので、外の景色は見えたり見えなかったり。ずっと外を見ていても面白くはない。
 少しぼんやりとしていると、学生時代とかその前の記憶とか、いろいろと頭に浮かんでくる。
 奨励会を辞めた後、中学3年から2年くらいは映画少年だったが、その後、高校2年になると「将棋くん」や「元奨くん」が再び活動を始めて受験生なのに将棋ばかりやっていいた。でも浪人時代になると、「と金の会」に入るが将棋はそれほどやらなくなり、なんとか大学に入ることができた。
 大学生の頃再び「将棋くん」が活発に活動を始め、「元奨くん」も姿を現したが、大学院生の頃は沈静化して、古豪新鋭戦に出る以外ではほとんど指さなくなった。
 生徒とか学生だった頃は、将棋とどう向かい合うかが、大きなテーマだった。
 「と金の会」とか古豪新鋭戦で指していた頃が、わりあい強迫性障害などにもならず、将棋ばかりやるわけでもなく、それなりに大学に受かったり修士課程を2年で修了できたりした。どうしてもプロ棋士になれないのであれば、ああいうスタンスがわりあいいい将棋とのつき合い方だったのかもしれない。将棋もほどほどにやるのであれば、頭の使い方のコツを覚えたり、失敗の原因を探求する方法を身につけたりして、他のことにもいい影響が期待できるのではないか。あんまり感心できる考え方でもないかもしれないが。
 そんなことを考えながら、結局リュックから文庫本を取り出した。
 高杉良さんの経済小説。
 ひと昔前の日本企業の様子がわかって面白いので、愛読している。日本企業の海外進出とか、技術開発とか、企業トップと新聞記者とのつき合いとか、会社の人間関係とか、いろいろなことが書いてある。会社が共同体で上司の紹介などでお見合い結婚する人がけっこういるという時代のことが出ていて、「あいつはまだ独身だからいいのを見つけてやるか」みたいなセリフがたまに出てくる。主人公がいる会社には、課長以上の女性や外国人がいなくて、基本的には、登場人物がみな一昔前の日本的な終身雇用制の下で生きている。ちゃんとした家庭を持ち、なんとか会社をよくしようと頑張る熱い人たちだ。
 自分は、ああいうふうに生きることはできなかったな、と思う。自分のせいなのか時代のせいなのか、両方ともそれなりに関係があるのか。そこはわからない。
 最近は電車の中などで、こんな感じのわりあいおじさんっぽい本を読むことが多い。
 以前は違っていた。
 書店経営者の頃は、ビジネス書を読むことが多かったが、あんまり自分の仕事にはいかせなかった。小さな本屋をやっている人に向いているビジネス書というのは少ないのかもしれない。
 その前の教員だったころは、生徒指導に役に立つのではないかと思って心理学の本を読むことが多かった。河合隼雄さんの書いたユング心理学の本とか国分康孝さんのカウンセリング心理学の本などである。内容は面白かったが、あんまり学校教育に生かすことはできなかった。一般論として読んでいて、自分に向けて書かれているとはあんまり思わなかったので、身につかなかったのかもしれない。
 ユング心理学は、心の中に住んでいる人々にいろいろとニックネームのようなものをつける。自我・影・仮面・自己・太母・老賢者等である。わりあい演劇的な名前で面白いと思ったが、「自分の心の中にいる『将棋くん』『元奨くん』は果たして何にあたるのか?」というふうに自分自身に向けられた言葉や概念として考えたことはなかった。そのためなのか、実感を伴った概念として身につけることができず、あまり学校で生徒指導に生かすこともできなかった。フロイトの心理学だともっと役者が少なくて、自我・エス・超自我の3つしかない。ユングの方が面白いと思ったが、我流で面白がって本を読んでいただけでそんなにちゃんと研究したわけではなかった。
 さて、昨日の続きはどこからだっけ、と例の高杉良さんの経済小説読もうとしたところで、特に理由はないのだがなんとなくガンの手術の時に見た夢を思い出した。
 それにしても、あの夢は強烈だった。
 舞台の上にいたのは「元奨くん」なのだろうか。あの破壊的な欲望と行動はけっこうな迫力だった。あれが本当のマザコンなのだろう。「本当の自分に出会ってしまった」とい言い方もできるだろうが、「あれも自分のこころの一部だ」と言うのが正確なのかもしれない。
 「ガンの手術を受けて、初めて本当の自分が何者かを知った」という言い方も間違ってはいないが、「本当の自分というのはいろいろな自分の集合体である。ガンの手術によって出会うことができた極端な行動をする男もその中の一人だ」という方が冷静な言い方なのだろう。
 それと客席の方にいた男。あの男は「奨励会は半年しかいなかったからまだ幻滅していない」だの「味のある人生」だのずいぶんと冷静で偉そうなことを言っていた。ああいう言い方は全然感心できない。もっとも、「なんでもかんでも親のせいにする」というのはある程度あたっているかもしれない。が、誰にも甘えないで生きていかれる人間などあまりいないし、こどもの頃から親と関係なく則立独歩自分の信念に従って生きていかれる人間などほとんどいないのだから、言っても仕方のないことじゃあないだろうか。
 あの偉そうな男も、あれはあれで自分の心の中にいる人間の一人なのだろうか。20年前の自分だったら酒を飲んだ時にあんなことを言いそうだ。今の心の中にも、あんなつまらない道徳的な偉そうなことをいう奴がいるのだろう。
 でも、それでは今のお前はああいう批判したくなるような人たちに比べてすばらしいことを考えているかと言えば、そんなことはない。結局自分自身の心なるものは、ああいったまったく感心できない訳のわからないこと、極めて非論理的なことなどを考えている種々雑多な煮ても焼いても食えない人たちがより集まってできている寄合所帯なのである。過去の妄想やら情念やらこだわりやらに縛られてみっともなくじたばたしている、いいかげんで一癖も二癖もある得体の知れない奴らの集まりだ。でも、あいつらにもそれなりにいいかげんと言えばいいかげんだがそれなりに心の広いところがあるから、死んだり家出したりしないで自分のこころの中で一緒にいられるのだろう。確かにいられるとうっとうしいが、いなくなったら寂しいかもしれない。今、「自分の心の中にはいろいろな奴がいるんだな」と眺めることはある程度できるようになったが、それを統率することなどはとてもできないし、あいつらが次にどう動くか予想することもできない。結局、なるようになるしかないのである。 
 そして、あの大観衆。自分は、日本全国のマザコン日本人中高年男性の集合的無意識とつながっていたのだろうか。それにしても、あんなにたくさん自分の母親を傷つけたり殺したりしたい人がいるのだろうか。まあ、世の中には、実際に子どもが親を殺す事件がたくさん起きているようだし、もしかしたらそうなのかもしれない。
 あの夢は、自分にとって必要だったのだろうか。
 自分にとって、夢の中で母親を殺すことが意味のあることなのだろうか。
 なかなか難しい質問だが、実際、あの夢を見てから変わったこともある。
 あの夢を見てからは、実家に戻り母から自分のことをあれこれ聞かれた時に、「そういう質問をしたくなる気持ちもわかるような気がするけど、その質問に答えると、今までの経験から言って、お母さんは、人が真面目に一生懸命やっていることを徹底的にずるずるずるずる引きずり降ろして、不戦敗に追い込むような否定的・消極的な話を延々する。それをがまんして聞かなければいけないのは非常に大変なので、大変申し訳ないんだけど、その質問には答えません」というように正直に言うことができるようになった。
 それに対して母は不愉快そうな顔をして「まさか」と呟く。
 その時の母のぬめっとした気配が怖い。
 「ヒステリックだから怖い」「無知だから怖い」「世間知らずだから怖い」「恥知らずだから怖い」、それぞれ一理あるが「ねめっとしているから怖い」が一番女の怖さをうまく言い表していると思う。こうして振り返ってみて、子どもの頃はカタカナの外来語を使い、その後漢字になり、年をとるとひらがなで感覚的に表現するようになるというのが、なんとなくありそうな流れだと思う。
 母とのやりとりの話に戻るが、こういうやりとりをするようになってから、親子関係は以前よりもうまくいくようになったので、やはりこの場合は正直に言った方がいいのだろう。「嘘も方便」という金言もあるが場合によりけりだ。
 これは、自分にとっては精神的自立と言えるのかもしれないが、単に甘え方が変わったというだけかもしれない。でも、いずれにしても確かにそれなりに変化があった。
 母親が生きているからこそ生きている人間に向かってこんなことが言えるのだから、母が長生きしていることに感謝しなければいけない。やはり、お墓や仏壇に向かって言うのと、生きている人間に向かって言うのは違う。もちろん「死者からのメッセージ」も大切なのだが。
 こうしていろいろ振り返ってみると、自分のこころは根が深く、自分の脳は一枚岩ではないということがわかる。例の高校時代に思いついた「玉虫色の光を放つ底なし沼」という比喩的表現も意外と当たっているかもしれない。
 よく言われる「自分との闘い」というのは、自分のこころや脳との闘いで、それはなかなか一筋縄ではいかないことなのだろう。
 電車を山間の狭い路を抜けて明るい盆地に出た。
 終着駅はもうすぐだ。
 結局、今までの自分の人生は、将棋盤のない場所にもなんとか自分の居場所を見つけようとうろうろと歩き回っている旅だったのだ。
 自分の居場所も見つからないのに、結婚して家庭を持つなんておこがましい。と思っているうちに50代後半の独身男になってしまった。
 それでも、将棋はいいものだ。将棋は、実態がわからず将来どうなっていくのか予想することができない巨大な謎である。すっきりと因数分解することもできず展開すれば無数に項が出てくる複雑怪奇な大問題であり、だからこそ考える喜びの宝庫だ。「広く大きく深く青い海だ」という言い方もできる。
 奨励会で真剣に指すのも将棋だが、I将棋クラブで商店街のおじさんたちが冗談を言いながら楽しく指すのも将棋で、本当に懐が深い。
 自分は今でも時々、小学校の頃おばあさんの家で過ごした大晦日の夜を思い出す。目にやさしいうすぼんやりとした淡い電気の光につつまれ、畳の上にひかれたせいべえ布団に寝っ転がりながら深夜まで『近代将棋』を読みふけった幸福な時間。
 塚田先生の作られた巻頭詰将棋がなかなか解けなくて、夜中の12時くらいまで考えてやっと解けたあの時の心。
 自分には、あの楽しかった時の思い出がある。あれが、自分にとっては心の中にある居場所なのだ。おばあさんの家は取り壊され残っていないので、 今では自分の心の中にしかない、自分だけの場所である。
 それにしても、人と一緒ではなく一人で寝っ転がって将棋の本を読んでいたのが、一番楽しい思い出だというのが自分らしい。やはり自分は、本の中の世界に恋してしまう人なのだろうか。
 列車のスピードが落ちてきた。
 今日は持ってきただけで読まなかった高杉良の経済小説をリュックの中にしまい、自分は、降りる準備を始めた。
 今日の授業はなんだっけ、と考えている時に電車が止まった。

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