心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その28

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その27

 浪人生となる
 高3の10月以降は、学校の授業がなく、自宅で各自にとって必要な受験勉強をする体制になった。
 とにかくどこかの大学にはいらないとやばいと思い、将棋は一時中断して受験勉強を中心の生活を始めた。高3の10月になって初めて受験勉強を本格的にやりだすのでは遅いのだが。
 学校に行かないでずっと自分のペースで勉強してみると意外と勉強がはかどるので、もっと早くからこういうふうに勉強していたらいい大学に入れたかもしれないと思い始めた。
 気晴らしは、1日に1回近くの本屋に行ってどんな本があるか眺めたり、立ち読みをしたりすることと、食事をしたり風呂に入ったりすることだけで、それ以外は1日中勉強していた。
 自分にこんな生活ができるんだな。意外だ。と思った。
と言っても、長い期間続けられるかどうかは大いに疑問なのだが。
 ところで、1日1回行く近所の本屋でその頃の自分にとっては非常に面白い本を見つけた。
 それはエール出版社から出ている「私の東大合格作戦78年度版」という題名の本で、東大合格者10人程度の合格体験記が載っていた。
 読んでみると、大学受験も受験生の性格とかものの考え方によっていろいろな戦略があり、けっこう主体的に考えて取り組んでいくことができる世界なんだと思った。
 今まで学校の友だちが勉強している様子を見ていると、受験界というのはどうもつまらなそうな世界だと思っていたが、取り組み方次第では面白みがある世界だと思った。
 このように、自分の人生を振り返ってみると要所要所で本からの影響によって自分の行動などを決める場面が出てくる。どうも自分には「本の中の世界に恋をする」という傾向があるようだ。小学生時代におばあさんの家で『近代将棋』を読んだ頃からそうだった。ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』という本に、「人には、読む人と聞く人がいる」というフレーズが出てくるが、自分は「読む人」なのだと思う。

 その年に受験した学校は、中堅私大中心で、あまり難しい大学は受けなかった。受かった大学もあったが浪人して受験勉強に取り組みもっと難関校に挑戦してみたいという気持ちが強くなり、母に言って浪人させてもらうことにした。それまでの自分だったら、どこでもいいから受かった大学に入って、将棋ばっかりやっている変な大学生になったはずなのだが、どうも突然やりたいことが変わって人格が交代したような感じだった。
 母は、今まで将棋ばかりやっていた子どもが突然違うことを言いだしたので意外そうな顔をしていたが、浪人することには賛成してくれて、父もやはり賛成しているようだった。
 その当時は浪人するのが当たり前という風潮があり、自分もなんとなく浪人するのが半ば当然のような気がしていた面もあった。
 親に経済的な負担をかけさせて悪いという気持ちも、親の期待にこたえようという気持ちも、残念ながらあまりなかった。

 駿台予備校
 浪人してからは、勉強中心の生活になり、アマチュア順位戦は止めた。
 その代わりというわけでもないが、「と金の会」という首都圏の主に高校生の将棋愛好者が月に1回集まって将棋を指す会があることを知り、その会に入って夏休みくらいまでほとんど毎月参加していた。高校3年生がいたので、勉強の話もできたし、同年代の将棋愛好者と知り合えて楽しかった。が、それ以外では指していなかった。
 「と金の会」は、アマチュア順位戦のような強豪が集まって勝負するという色彩が薄く、高校生くらいの年代の将棋好きの懇談会という感じで、将棋好きの受験生には向いていたと思う。
 予備校は駿台予備校に通っていた。そこには、高校にはいないタイプの先生が多く、授業を受けていて楽しかった。
駿台では先生のことを師と呼んでいた。
 英語の奥井師は、イギリスの評論の解釈を行う授業を担当し、余談の人生論に重きを置いていて、毎回なかなか味のある話をして下さった。
 英語の伊藤師は、文法を重視した厳密な解釈を指導して下さった。
 古典の桑原師は、宮本武蔵の話などをしながら古文の正しい解釈を教えて下さった。
 数学の根岸師は、格調高い洗練された板書が持ち味だった。
 でも、現代文の藤田師の授業は、お説教口調で当たり前のことばかり言っていてあんまり感心しなかった。
 一番印象に残っているのは、世界史の大岡師だった。
 大岡師は、長身・長髪で頭にバンダナを巻きすすけた色のジャンパーを着て、椅子に座り右手を頬にあてカードをめくりながら授業をしていた。
 師の読書量や知識の量は膨大であり、師の授業は、受験生を世界史の「深淵」に導く授業だった。
 そう、「深淵」である。まさしく「深淵」という言葉は大岡師のためにあるのだと思う。
 最近、自宅近くのバーで隣に座っていた同年代の人が、たまたま駿台予備校に通っていて同じ文系のクラスにいたことがわかり話をしたら、やはり大岡師が一番印象に残ったと言っていた。
 頭にバンダナを巻いていることとか、右手を頬にあててしゃべることとか、座ったまま授業をしてたまに中国史の漢字について注意を促す時に立ちあがり「突厥」などと大きな字で黒板に書くことなど、自分が思い出すこととだいたい同じことを言っていた。
 「あの人は本当に『天然記念人物』という言葉があるとしたらそんな感じの人だ」と「天然記念人物」いう聞いたことがない表現を使っていたが、それは言い得て妙だと思った。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その29

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