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末永幸歩『13歳からのアート思考』

こんにちは、内山です。
久々に良書紹介してみます。
紹介するのはこちら末永幸歩『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社/2020年)です。

Amazonのビジネス書ランキングでも上位にランキングする本書ですが、なぜ今「アート思考」が必要なのでしょうか。
私の尊敬する研究者である山口周氏が推薦している事もあり手に取ってみました。
それでは本編です。

導入

皆さん、まずは下の絵を鑑賞してみて下さい。

この絵はモネの「睡蓮」です。有名なので美術の教科書にも出てきますよね。

作品解説
モネは、1883年からパリの美しい村ジヴェルニーに移住し、ここに家を建て、庭を造成します。1893年には家の敷地の道路を隔てた隣の土地を買い、「水の庭」を造りました。自ら作った幻想的な庭を観て、モネは睡蓮の池と橋の風景を描いています。

さて、皆さんにここで問いたい事は一つ。

絵画を眺めていた時間と解説を読んでいた時間、どちらが長かったでしょうか。

大抵の人は後者と回答するのではないでしょうか。

ここには私たちが普段アートと接する際の「正解を見つけようとする」癖が現れている様に思えます。

私たちがこの作品に何を見つけて何を考えるかよりも、どこで描かれた〜、どこに貯蔵している〜といった付属情報が優先されてしまっているのです。

本書の一貫したテーマは「正解ではなく、問いを探す」こと。20世紀以降のアーティスト達は既存の「当たり前」つまり時代の正解に挑戦する事でその後の評価を獲得しました。

この考え方はビジネス、スポーツ多種多様な世界に通ずるものかと思います。変化の激しい現代においてはその時々の正解が急速にコモディティ化していきます。

そんな世界では正解を求める事よりも自分で問いを立て、納得の行くまで探求を進める方が価値があるというのは以前書いた下の記事で述べた通りです。

山口周『NEW TYPEの時代』を趣味に落とし込む

写真の登場とアートの価値の変化

下に二つの人物画を用意しました。
両者の決定的な違いはどこにあるのでしょうか。

レンブラントの自画像(1658年)

アンリ・マティス「緑の筋のあるマティス夫人」(1905年)

上はリアル、下は下手くそ
上は暗い、下は明るい …等感想はあるかと思いますが、両者の違いは「表現の目的」に起因するものかと思います。

アートの誕生から数百年間、絵画の価値はそのリアルさ、つまりどれだけ写実的な描けるかを基準に決められていました。

法皇や皇帝と言った権力者が権威の誇示を目的に画家達に絵を描かせていたのだから納得ですね。

しかし、20世紀以降カメラの普及によりこの「写実的な価値」は衰退して行きます。
腕のある画家でもリアルさで写真に勝つ事は不可能となった時代に、画家達は「アートにしか出来ないこと」の探求を始めるのです。

その中で描かれた人物画が上、二枚目のマティスによる作品です。妻の鼻筋を緑で強調した彼の作品は彼なりの「アートへの挑戦」であり、「アートは写実的でないといけない」という常識への問いかけでした。

20世紀以降のアートの価値

上記で述べたとおり、20世紀以降は「アートにしか出来ないこと」の探求が急速に進みます。

「写実的でないといけないのか?」
「物体を描かないといけないのか?」
「石鹸の箱はアートではないのか?」

本書で挙げられているアーティスト達の問いかけはどれも鋭さ満点で、その意見を理解するとアート鑑賞の方法もどんどん進化して行きます。

そしてその問いかけへの解は作者はもちろん、鑑賞者である我々それぞれで異なる、オンリーワンのものなのです。

アーティストの問いが、作品という形を通して我々に投げかけられ、我々は問いかけに対する自らの答えを探します。作品に対するインタラクティブな交流が発生するわけですね。

そこには作者が何歳で、どこに住んでいて、何美術館に貯蔵されていて…といった付属情報を排除した作品と鑑賞者間のピュアな対話が発生しているはずです。

どうでしょう、今ならこの記事に貼っている幾つかのアートの見方も変わっているのではないでしょうか。美術館に行く楽しみも増えるかと思います。

この記事が貴方の充実したアートライフ、延いては日常生活の探求の一助になれば幸いです。

長い記事ですがお読みいただきありがとうございました。

終わり

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