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力士というアート

カラダ一つで土俵の中で勝負する、その光景を楽しんでいたはずだったのだけれど、みているうちにその力士一人ひとりの取り口、体格、そして人柄や考え方など奥深く掘り下げるようになった時、力士はアートなのかもしれないと思うようになった。

アートにまつわる考え方は人それぞれのところもあるけれど、わたしにとってのアートが、生きる過程や、人生そのものがアートであるような、そんな感覚もあって、力士、相撲を見る側として、アートの目線も持ってみていると言ったほうが良いかも知れない。(ちなみにわたしにとってのアートとは、かなりの敬意を表する言葉です。)

太ることには素質が必要である。どんなスポーツにもそのスポーツに見合った身体があると思うが、その身体一つを自分の武器として戦う競技であることゆえ、身体の素質が如実に力として表れる。太ることに不向きなDNAを持った力士は多い。たまに親方などが話しているには、150キロを超えている力士は太るのに苦労していないけれど、それ以下の力士は大体太るのに苦労をしているという。
人間は太ったところでどんな太り方をするのかわからない。思っている以上にお腹が丸みを帯びて大きくなり、そのお腹で押せるような武器になるものもいれば、とても柔らかな脂肪を纏って押しても押してもその弾力に吸い込まれ押し甲斐のない身体が武器になるものもいる。放っておいても太る素質に身を任せ、太りに太ったところで、それが単なる肉の鎧では、その重みに自分でも耐えられず、パタンと簡単に崩れてしまったりする。もちろんどんなに頑張っても小さいままの力士はその小ささを武器にし、より俊敏で、柔軟な筋肉を育てることを意識したり、潰されても怪我に耐えうる身体にするにはどうしたらいいのかを研究したり…本当にそれぞれのDNAと向き合いながら、自分の身体の良さを発見して、自分の身体を成形し、体現していくのだと思う。その上にその身体は病気とも隣り合わせで、そうでなくても怪我もする。どれだけ医学が発達しようとも追いつかない程、健康に抗うところもありながら、命がけで力士の“体”を作り上げる。
ただ、それは、あくまでも心技体の“体”のところで、その“体”に見合った自分自身の“技”を発見、開発。押しや四つ、両差し、投げ、反り…といった自分の得手不得手をその“体”でも覚えていくのだろう。その“体”と“技”と共に、あの4.55mの土俵の中でたった数秒で決まるかもしれない勝負の瞬間をベストで迎えられる“心”を鍛えていくのももちろんのこと。“心技体”あっての力士という生命を自らの身体を成形し、その上で相撲という競技を力士として表現することを思うと、わたしには究極のアートと思えてならないのだ。だから、力士として強いかどうか以前に、1人の人間が力士になるということがアートだと思っている。本人の力士であるという覚悟も人それぞれなのだと思うけれど、そうゆうところがまたアート的要素を含んでいて、力士はそれぞれの自分らしさを確実に身にまとい、土俵に立つ。そんなふうに思うと、全ての取組を観ないわけにもいかなくなってしまった。


その力士の中には大相撲という文化を支えることをお相撲さんという生き方で表現している力士もいる。

ふんわりと鬢付け油の香りを漂わせながら浴衣姿で下駄を鳴らして闊歩する髷を結った大きな体は、街に出れば、いとも簡単にお相撲さんとタグ付けされる。断捨離して、ミニマルに暮らすとはいうけれど、その価値観からすると、お相撲さんは目でも耳でも鼻でも感じられ、生きているだけで、ミニマルとは真逆のマキシマムとも言えてしまう。そんなお相撲さんは世の中にたった650〜700人くらいしか存在しない。そのうち普段からテレビで目にする関取と呼ばれる存在は70人。残りの約600人は若い衆たちで、基本的にはそれぞれがそれぞれの部屋で集団生活をし、ともに支えながら生きている。中には素質豊かで、のちに関取になる逸材ももちろんいるけれど、関取には程遠くして引退していく力士も多い。先日誕生日を迎え、話題となった50歳の最年長力士華吹(はなかぜ)さんを筆頭に、年長者の力士はここ数年増えている傾向にあり、一度も関取にもなれず、10年、20年、30年と相撲部屋暮らししている。ひと目でお相撲さんとタグ付けされ生き続けることの大変さを背負ってでも、力士として生きているということには、相撲を取って強くなることだけではない、品や質のようなものがあるように思う。

例えば、部屋のためにちゃんこ長として料理の腕を磨くことを大切にしている力士や、美声で知られ相撲甚句に欠かせない力士、明るい性格で人を笑わすことが得意な初切を行う力士、機敏な動きとその度胸ある姿が目に止まり、弓取り式の弓取を任される力士、関取の付け人として欠かせなくなるほど参謀として優秀な力士など、それはそれで選ばれし力士が大相撲という文化を継承する役割を担っている。あまり知られていないことだけれど、それも大相撲という文化に必要なお相撲さんとしての美しさであり、品や質のようなものであると思う。

先日、新型コロナウィルス感染により、角界の逸材である勝武士さんが亡くなった。最高位は東三段目11枚目、関取を目指せない地位ではなかったけれど、幼馴染の竜電関の付け人として、また、2014年からは花相撲の名物である初切の力士としても有名だった。わたしも勝武士さんの初切は巡業などで何度か拝見している。相撲を観ている時、あ、初切の勝武士さんだ!と思いながらみていたくらいなので、性格まではさすがに知らなかったが、亡くなった時、近い人達がコメントをしていて、真面目で明るく、面倒見のよい部屋のムードメーカーだとあらためて知った。中でも元力士 大司(ひろつかさ)の相撲パフォーマーをしているごっちゃんこさんが、「親方の付け人として1度だけ参加させてもらった巡業で、何も分からない中会場やサービスエリアで優しく話しかけてくれたのが勝武士さんでした。初めての巡業、稽古に仕事に毎日の移動で心身が安定しない中、彩さんと2人で宿泊先の個室に遊びに来てくれてバカ話や熱い話で励ましてくれたこと忘れません。」とツイートしていて、勝武士さんがこうやって入りたての力士をさりげなくサポートし、励ましてきたことが何度もあったのだろうなと容易に想像できた。そういったところにも、大相撲という文化に必要な質を知ることができた。
15歳から親元を離れ、世間とはちょっと勝手の違う角界で暮らしていく中で、“心技体”の“心”を学び、勝武士さんのような生き方の品や質を生んでいるのだと思う。誰もがどの力士もわけ隔てなく優しくできる人になるとも思わないけれど、こういった“心”の素質がある力士がいなければ、大相撲という文化はここまで支えられてこなかったとも思う。そして、その質はどんな社会においても評価されるべき質だと思う。どうかこの先もそんな大相撲の景色があってほしい。勝武士さんが亡くなったことを知った日の悲しみ、喪失感を忘れることはないだろう。
勝武士さん、この先の大相撲も見守っていてください。
心よりご冥福をお祈りいたします。


一人ひとりが違うのは、お相撲さんだけではないだろうけど、まわし一つに髷姿という表層的にはシンプルかつ一貫性のあるスタイルは、なにかと“お相撲さん”と、ひと括りにされがちなのだけれど、そのシンプルなスタイルだからこそ、それぞれの個性が、DNAが、それぞれの“心技体”で、さまざまに表現されている。戦う時間も、照明の量も、浴びる歓声の量も違えど、本場所の相撲はみんな同じ一つの土俵である。そこに立つ力士一人ひとりの生き方がそれぞれのカタチで美しく輝いてほしい。
やっぱり力士こそ、マキシマムなカタチを追求した、人間としてのミニマルなアートだと思う。
(ミニマルアートではないけど。。。)

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