楽しい史料のすすめ ~『我衣』(3) 怪談奇談~
江戸庶民の心情がうかがえる怪談奇談の数々
同書には怪談奇談の類も多く記されています。例えばこんな話が巻一(寛政三年)にありました。
安楽寺というお寺の尼僧が自らの死期を悟って遺言しました。それは「私が死んだら結縁(注1)のため、すぐに葬らずに七日の間人々に私の亡骸を拝ませてくださいな」ということでした。そして予言の通りに彼女は死亡し、家の者やお寺の和尚さん皆々、遺言の通りに亡骸を世話し公開したところ、これは尊い極楽往生だとあちこちから大勢の人々が参詣に来るようになりました。すると…
七日目には亡骸が目を開け、和尚さんと言葉を交わすと終に目を閉じたという信じられないような現象が起きたのというのです。この事件はますます世を騒がすことになり、まもなく寺社奉行の詮議を受けることになってしまいました。
要するに、この和尚さんと尼さんが共謀してペテンを働いたんじゃないのかと疑われたようです。和尚さんは召し取られて拷問までされ、尼さんのお墓も掘り返されて調べられたということですが、結局は詐欺の証拠は見つからず、世を騒がせたとして和尚さんは遠島、尼さんの実家(御家人)は改易となってしまったと記事は続いています。
この後には事情を知る人物の話として、この事件は寺に永く棲みついていた狐の仕業で、死んだ尼にとり憑いたのだろうと記されています。江戸の世にはおなじみの「妖狐」ですが、この『我衣』にも非常に多くの狐がらみの事件が記録されています。当時は普通に狐の魔力が信じられていたのですが、同時にまた江戸のような大都市でも狐がよく出没していたということでもあります。化学製品がほぼ存在せず寺社や大名屋敷の緑も多く、また江戸市街を一歩出れば農村地帯が広がっていたわけですから、自然の存在がとても身近に感じられる「巨大都市」だったのでしょう。
恐ろしきは、やはり人の心か
文化七年(1810)のこと。
ある朝、神田鍛冶町(注2)の木戸のあたりで犬が何かを嗅ぎつけて地面を掘っていました。それを見ていた酒屋の小僧、何やら紐のようなものが出て来たので引っ張ってみると一尺(約30㎝)ほどの白い箱が見つかりました。
周囲の人たちも集まって、これは何だろうと話し合っていますが、とにかく箱を開けてみようということになります。その中にあったのは…八寸(約24㎝)ばかりの藁人形、しかも生きた蛇がその人形の腹のあたりに太い針で釘付けにされているという、とんでもなく不気味なものでした。見た人たちは身の毛のよだつ思いで恐れおののきます。これは執念深い女の呪いだろうとことで名主に届け出たというお話。
針を引き抜くと蛇はまだ生きていて、スルスルと逃げて行ってしまい、藁人形は川に流されてこの話は終わります。曳尾庵先生は感想を述べています。
すなわち「こんな怪しい事はフィクションの世界ではよく聞くが、実際にあるとは思わなかった。いったいどんな恐ろしい恨みを持つ人がやったのだろうか?」というお話。
江戸の風情たっぷりの怪談「げほふ」の話
次は私が読んだ中でも一番好きな怪談です。
あずさ巫女という、人骨を呪具にして死者を呼び出すまじない(げほふ=外法)師が当時いたことがわかります。その頭蓋骨はとくに大きいものを好んで使用したのだとか。
寛政年間のはじめ、関口雄斉という、京都三十三間堂の通し矢にも参加した弓の達人がいました。ある深夜、彼が深川黒江町(注3)あたりを歩いていると、いくつもの鬼火が出現し「わたしを拾ってください」と呼ぶ。雄斉が何者かとたずねると、私は深川仲町のとある女房の巫女に使役されている「げほふ」だという。
「あまりの苦しさに今夜巫女のもとから逃げてきました。どうか私を埋葬してください」としきりと頼んでくる「げほふ」。雄斉が暗くて見えないと言うと、鬼火が大きくなりあたりを照らす。するとそこには錦の袋がありました。そこに声の主である人骨が入っているのでしょう。どうすればいい?
と尋ねるとその「げほふ」は「五色の糸を骨の目に通して、明七つ(午前4時ごろ)までに埋葬してください」と言います。朝になれば他の「げほふ」が目を覚まして私を見つけてしまう、もう時間がないのでお願いしますと懇願します。
しかし、お侍が五色の糸を持っているわけもなく、急いで家に帰って葬ってやろうとします。訝しがる奥さんに事情を話して五色の糸はないかと聞き、針箱を開けて探してみますが、赤い糸だけがありません。そうこうするうちに刻限の七つ時が迫ってきます。仕方なく雄斉は自分の子のお守りとしてその着物に縫ってある赤い糸を抜いて使おうと言います。しかし奥さんは猛反対。子どもの服の糸を抜いて亡者を葬ってやるなんて、縁起でもないわよ!ということでしょう。
雄斉と奥さんが言い合いをしているうちに、七つの鐘がゴーンと鳴りました。そのとき、置いてあった錦の袋から「はっ」という声が聞こえました。雄斉はとても悔しがりますが結局、間に合いませんでした。そして夜が明けようとする時、大小を差した神職を名乗る男が家にやってきます。その男は昨夜「げほふ」が逃げ出したことを察知したので返して欲しいと言い出しました。雄斉はそれを断り「これは自分が葬る」と言うと、その男はにわかに顔色を変え、こんなことが知られては我らの家業の妨げになる、返さないとあんたは不幸になるぞ、などと脅してきたのです。奥さんにも言われて雄斉が仕方なく袋を返すと、男は礼を言って立ち去りました。この翌年に大規模な水害があり、雄斉は助かったけれど妻子は土蔵の戸に挟まれて溺死してしまいました。それはあの「げほふ」の報いだろうと、後に雄斉が語ったということです。
「げほふ」が欲しがった五色の糸は、今でもお寺で見られる幕と同じ、如来の智慧を表す五つの色のことでしょう。その中で慈悲と救済の心を示す赤だけが無いのは何かの暗喩でしょうか?それはまだ生まれて間もない赤子の服にお守りとして使われていたのです。その赤い糸を「げほふ」のために使おうとする雄斉の慈悲の心がのちに彼を救い、拒絶した妻は洪水で子を道連れに命を落とします。祈祷師の使役から逃げ出し、成仏させてくれと願うが叶わない「げほふ」がまた哀れです。そして、取り返しに来た男の何と不気味なことか。
なんとも切なくまた美しく、そして最後は恐ろしいお話。古典落語や講談に出てきそうな、江戸の風情たっぷりの怪談に思えます。
視点を変えると、ストーリーの構成要素もなかなか出来ています。「げほふを埋葬する」クエスト、それに必要な「五色の糸」というアイテム、「七つ時まで」という制限時間、そしてアイテムのひとつだけが手に入らず、それを揃えるためには困難な決断を迫られる。
なんだか、とても魅力的なショートストーリーではないかと思います。
(注1)この尼が語った「結縁(けちえん)」とは、仏法と現世とを結び、人々を往生へと導いてくれる「縁」を結ぶこと。当時は寺院の「開帳」があちこちで頻繁に行われ、どこも多数の参拝者で賑わいました。これは江戸市民のレジャーであり、寺社にとってはビジネスと言ってもいいものですが、その根底には極楽往生という死後の安寧を願う宗教的動機がごくふつうに根付いていたのです。
(注2)現在のJR神田駅付近
(注3)現在の永代橋から門前仲町の付近
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