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楽しい史料のすすめ ~『我衣』(3) 怪談奇談~

江戸庶民の心情がうかがえる怪談奇談の数々

同書には怪談奇談の類も多く記されています。例えばこんな話が巻一(寛政三年)にありました。

根岸村に有御家人の妹、従来安樂寺弟子にて比丘尼成けるが、此尼兼ねて死期をしりて遺言に、我往生せば結縁のため暫其儘にて葬らず、七日の間諸人に拝ませよといいけるが、果して其日をあやまたず臨終せしかば、家内の者をはじめ諸縁の人々尊き事に思ひ住持も来りてせわいたし、(中略)七日の間人におがませける程に、諸人聞傳て參詣群集、皆極楽往生の尊き事をば覺へける。

『我衣』巻一 三〇六

安楽寺というお寺の尼僧が自らの死期を悟って遺言しました。それは「私が死んだら結縁(注1)のため、すぐに葬らずに七日の間人々に私の亡骸を拝ませてくださいな」ということでした。そして予言の通りに彼女は死亡し、家の者やお寺の和尚さん皆々、遺言の通りに亡骸を世話し公開したところ、これは尊い極楽往生だとあちこちから大勢の人々が参詣に来るようになりました。すると…

第七日にあまる時安樂寺も又来りて世話いたせしに、此亡者の眼を開きて住持に詞をかわし、また目を閉て終りければいよく奇異の事共に人々評判しぬ。

同上

七日目には亡骸が目を開け、和尚さんと言葉を交わすと終に目を閉じたという信じられないような現象が起きたのというのです。この事件はますます世を騒がすことになり、まもなく寺社奉行の詮議を受けることになってしまいました。
要するに、この和尚さんと尼さんが共謀してペテンを働いたんじゃないのかと疑われたようです。和尚さんは召し取られて拷問までされ、尼さんのお墓も掘り返されて調べられたということですが、結局は詐欺の証拠は見つからず、世を騒がせたとして和尚さんは遠島、尼さんの実家(御家人)は改易となってしまったと記事は続いています。
この後には事情を知る人物の話として、この事件は寺に永く棲みついていた狐の仕業で、死んだ尼にとり憑いたのだろうと記されています。江戸の世にはおなじみの「妖狐」ですが、この『我衣』にも非常に多くの狐がらみの事件が記録されています。当時は普通に狐の魔力が信じられていたのですが、同時にまた江戸のような大都市でも狐がよく出没していたということでもあります。化学製品がほぼ存在せず寺社や大名屋敷の緑も多く、また江戸市街を一歩出れば農村地帯が広がっていたわけですから、自然の存在がとても身近に感じられる「巨大都市」だったのでしょう。

恐ろしきは、やはり人の心か

文化七年(1810)のこと。

四月廿三日の朝まだきに、神田かぢ町と小柳町との木戸境に、犬の二つまでよりて、何かにほいをかぎて土をうがつを、酒やの小童の共しりへに立て見居たるが、ひものごときもの見へたるゆへ、小童立より共紐のはしをもて引出し見るに、白き箱の壱尺斗なるが出たり。

『我衣』巻六 四八

ある朝、神田鍛冶町(注2)の木戸のあたりで犬が何かを嗅ぎつけて地面を掘っていました。それを見ていた酒屋の小僧、何やら紐のようなものが出て来たので引っ張ってみると一尺(約30㎝)ほどの白い箱が見つかりました。

道人も立どまりて、こわ何ならんと評しぬる中に、共町よりも人々つどひて、とにもかくにもふたひらきてんとて内を見れば、藁人形の八寸斗なるに、くちなわ壹つ巻付て、共蛇の背より人形のほぞと思ふあたりへ、大きやかなる針をつらぬきて有り。見るもの、身の毛いよ立、是はしうねきんき女の人をのろいたるなめりと、どよみぬれば、拾おかれず名主へ訴へけり。

同上

周囲の人たちも集まって、これは何だろうと話し合っていますが、とにかく箱を開けてみようということになります。その中にあったのは…八寸(約24㎝)ばかりの藁人形、しかも生きた蛇がその人形の腹のあたりに太い針で釘付けにされているという、とんでもなく不気味なものでした。見た人たちは身の毛のよだつ思いで恐れおののきます。これは執念深い女の呪いだろうとことで名主に届け出たというお話。
針を引き抜くと蛇はまだ生きていて、スルスルと逃げて行ってしまい、藁人形は川に流されてこの話は終わります。曳尾庵先生は感想を述べています。

かゝるあやしき事、戯場、または昔物語にも見侍りしが、目のあたりあるべうも覺ず。いかなる恐ろしき人の心やと思ひ侍る。

同上

すなわち「こんな怪しい事はフィクションの世界ではよく聞くが、実際にあるとは思わなかった。いったいどんな恐ろしい恨みを持つ人がやったのだろうか?」というお話。

江戸の風情たっぷりの怪談「げほふ」の話

次は私が読んだ中でも一番好きな怪談です。

あづさ巫女の、死者をよび出して、其もとむる人に訴ふるは、小さき箱に、必人骨、或はどくろを入て行ふ。それもげほふとて、頭の大なる物を用ゆと言傳ふ。

『我衣』巻六 十七

あずさ巫女という、人骨を呪具にして死者を呼び出すまじない(げほふ=外法)師が当時いたことがわかります。その頭蓋骨はとくに大きいものを好んで使用したのだとか。

寛政の始、關口雄齋といふ人有り。日置流の弓術に達し、三十三間堂も射たる人なり。(中略)深更に及び、深川黑江町邊を通りしに、垣の元にて陰火もゆる事夥しく、われをひろうべしとよばわる。雄齋立止り、何者なるやと問へば、垣根の元に聲あつて われは深川仲町(名を憚る)何といふ者の女房の巫女に遣わるゝげほふ也。

同上

寛政年間のはじめ、関口雄斉という、京都三十三間堂の通し矢にも参加した弓の達人がいました。ある深夜、彼が深川黒江町(注3)あたりを歩いていると、いくつもの鬼火が出現し「わたしを拾ってください」と呼ぶ。雄斉が何者かとたずねると、私は深川仲町のとある女房の巫女に使役されている「げほふ」だという。

殊の外くるしさのまゝ、今宵のがれ出たり。何卒われをひろいて埋め給われ、偏に頼み申といふ。 闇夜にてしれがたし。何國なりやといへば、又陰火大にもへ出て其邊り甚明らけく、其陰火の元に錦に包たる物聲を發す。其儘手に取上て、扱いかにして葬らんやと問へば、五色の糸を眼に通し、埋め給われ。それも明七ツ迄也。其刻限過ぬれば、外のげほふ目をさまし、我有り所を告ぐゆへ叶ひがたし。 もはや刻限近付ば、賴ゝとしきりにいふ。

同上

「あまりの苦しさに今夜巫女のもとから逃げてきました。どうか私を埋葬してください」としきりと頼んでくる「げほふ」。雄斉が暗くて見えないと言うと、鬼火が大きくなりあたりを照らす。するとそこには錦の袋がありました。そこに声の主である人骨が入っているのでしょう。どうすればいい?
と尋ねるとその「げほふ」は「五色の糸を骨の目に通して、明七つ(午前4時ごろ)までに埋葬してください」と言います。朝になれば他の「げほふ」が目を覚まして私を見つけてしまう、もう時間がないのでお願いしますと懇願します。

雄齋いふは、五色の糸ここにはなし。 さらば宿へ歸りて早束葬らんと、足ばやに宿所に至り、戸口を入るやいなや女房に、五色の糸、あるべきやと問ふ。其妻、甚いぶかり、いかなれば深夜に糸を尋給ふといふ。しかゞの事ありと語りて、女房の針箱よりいろいろの糸を取出したるに、赤き糸なし。其中に、はや七ツにならんかと心せわしく、方々を尋に赤き糸更になし。 よつて小兒の守り縫したる赤糸をぬきて、五色を全くせんといへば、女房いなみているよう、されかうべを葬るに、何んぞ生先きある子の衣服の糸をもつてせんやと聞入ず。

同上

しかし、お侍が五色の糸を持っているわけもなく、急いで家に帰って葬ってやろうとします。訝しがる奥さんに事情を話して五色の糸はないかと聞き、針箱を開けて探してみますが、赤い糸だけがありません。そうこうするうちに刻限の七つ時が迫ってきます。仕方なく雄斉は自分の子のお守りとしてその着物に縫ってある赤い糸を抜いて使おうと言います。しかし奥さんは猛反対。子どもの服の糸を抜いて亡者を葬ってやるなんて、縁起でもないわよ!ということでしょう。

いろいろいい聞すれ共、得心せず。其中に、七ツの鐘をごんとつき出すと、傍に置きたる錦の袋の中にて、はつといふ聲す。雄齋じだんだふんでくやめども、せん方なし。溜息つきて明るを待に、其未明に、大小さした男、門口に案内して、拙者深川仲町何某と申、神職に候。夜前、拙家に秘め置所の品、御ひろいなさる由承り候へ参上す。御返へし被下候へと申につき、雄齋いよゝ驚きて、是は拙者に御譲り被下候へ、葬り申さんといへば、此神職、色を変じ、かよふの事、風説ありては拙者共家業の妨げに候。 彌御かへしなくば、貴殿御身の上、末々悪かるべしといふ。 妻は、達て歸し給へといふゆへ、是非なく彼銭の袋をかへしたれば、一禮のべて歸りたり。其翌年、彼津波入て、雄齋は逃れしかど妻女と小兒は、裏の土藏の戸に挟れ溺死たり。其げほふの報ふ所ならんと、雄齋後に語りしとぞ。

同上

雄斉と奥さんが言い合いをしているうちに、七つの鐘がゴーンと鳴りました。そのとき、置いてあった錦の袋から「はっ」という声が聞こえました。雄斉はとても悔しがりますが結局、間に合いませんでした。そして夜が明けようとする時、大小を差した神職を名乗る男が家にやってきます。その男は昨夜「げほふ」が逃げ出したことを察知したので返して欲しいと言い出しました。雄斉はそれを断り「これは自分が葬る」と言うと、その男はにわかに顔色を変え、こんなことが知られては我らの家業の妨げになる、返さないとあんたは不幸になるぞ、などと脅してきたのです。奥さんにも言われて雄斉が仕方なく袋を返すと、男は礼を言って立ち去りました。この翌年に大規模な水害があり、雄斉は助かったけれど妻子は土蔵の戸に挟まれて溺死してしまいました。それはあの「げほふ」の報いだろうと、後に雄斉が語ったということです。

「げほふ」が欲しがった五色の糸は、今でもお寺で見られる幕と同じ、如来の智慧を表す五つの色のことでしょう。その中で慈悲と救済の心を示す赤だけが無いのは何かの暗喩でしょうか?それはまだ生まれて間もない赤子の服にお守りとして使われていたのです。その赤い糸を「げほふ」のために使おうとする雄斉の慈悲の心がのちに彼を救い、拒絶した妻は洪水で子を道連れに命を落とします。祈祷師の使役から逃げ出し、成仏させてくれと願うが叶わない「げほふ」がまた哀れです。そして、取り返しに来た男の何と不気味なことか。
なんとも切なくまた美しく、そして最後は恐ろしいお話。古典落語や講談に出てきそうな、江戸の風情たっぷりの怪談に思えます。
視点を変えると、ストーリーの構成要素もなかなか出来ています。「げほふを埋葬する」クエスト、それに必要な「五色の糸」というアイテム、「七つ時まで」という制限時間、そしてアイテムのひとつだけが手に入らず、それを揃えるためには困難な決断を迫られる。
なんだか、とても魅力的なショートストーリーではないかと思います。


(注1)この尼が語った「結縁(けちえん)」とは、仏法と現世とを結び、人々を往生へと導いてくれる「縁」を結ぶこと。当時は寺院の「開帳」があちこちで頻繁に行われ、どこも多数の参拝者で賑わいました。これは江戸市民のレジャーであり、寺社にとってはビジネスと言ってもいいものですが、その根底には極楽往生という死後の安寧を願う宗教的動機がごくふつうに根付いていたのです。
(注2)現在のJR神田駅付近
(注3)現在の永代橋から門前仲町の付近

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