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ハイテク再考,ローテク再興,ニーズ志向の支援を熟考

工学分野の視覚障害者の移動支援の論文を漁ると,ここ数年機械学習・AI関連のナビゲーションアプリの開発を報告した論文が頻繁にヒットするようになった.盛り上がっているように見える反面,日本に限ってみればそういうナビアプリを恒常的に使用しているとおっしゃる視覚障害者にほとんど会ったことがない.知り合いの歩行訓練士に尋ねても誰も使っていないという悲しい返事が返ってくる.もちろん筆者の狭い人間関係での話なので,実際に使われている方はいらっしゃるとは思う.しかしそういえば数年前に「視覚障害者はなぜハイテクの支援技術を使用しないのか」をまとめたレビュー論文を読んだときも,「先端機器は開発されてもユーザーのニーズに適合しないから使われない」という記述があった.これは福祉工学分野ではよく言われることである.

なぜ視覚障害のあるユーザーにとって魅力的に思えない福祉機器が量産されるのかについて話そうとすれば,広く深い情報収集をした上で慎重に論じなければならないことなので,本稿では深入りしない.ここで視覚障害者の歩行に焦点を当てて一つの可能性を指摘するならば「ただでさえ一人で歩くのは『とても忙しくて余裕が無い』のに,なぜアプリの指示を聞きながら歩くという『さらに忙しいこと』をしなければいけないのか?」という点がありそうである.というのも視覚障害者の歩行は推論である.歩きながら洪水のように押し寄せてくる知覚情報を仕分けしながら,「自分はここにいるのではないか」,「あっちが目的地なのではないか」といった推理をしながら歩かなければならないのでとても忙しい.まるで答え合わせが無いなぞなぞを常に解きながら歩いているようなものだ.そんな忙しい歩行中に,要領の得ない人工音声で「斜め右に曲がってください」と言われたら,「斜め右ってどっちだよ?」と思うわけである(斜め右は時計の針の12から3までの範囲がある.また少し真っすぐ歩いてから右に曲がるような「斜め右」の道もよくあるのだ).視覚障害のある方のほうにも,高度な推論能力と,情報機器の豊かな使用経験や操作する力がなければ使えないだろう.視覚障害がある方の情報処理に自然に適合するインタフェースを最適な形で実現できていなければ,支援アプリを使いこなすことは難しい.かつてユーザー中心設計を提唱したD. A. ノーマン(1986)が言った通り「ユーザーのニーズがインターフェースの設計を支配すべきであり,インタフェースに関するニーズがシステムの他の部分の設計を支配すべき」である.しかし視覚障害の特性を考慮したモノづくりのハードルは高い.日進月歩の分野であるため,今後の発展に大いに期待したい.

ところでユーザーの目的(ニーズ)を達成することが支援機器の最も重要な点ならば,なにも先端技術を使わなくても良いはずである.実際に多くの福祉用具はローテクで,得てして安価,壊れづらい,使いやすいなどの利点があり,こういう福祉用具こそユーザーにとって身近なものだ.しかしローテクの福祉機器の開発では,思わず「選択と集中」をしたくなってしまうような華々しいハイテク機器の開発業界と比べると,将来ブルーオーシャンの市場を開拓してグローバルに利益を独占できるような未来がなかなか想像できない.つまりビジネスにはならないので,敬遠されてしまう.筆者の知り合いの大学の研究者からも「福祉機器の開発とは現場の困りごとに応えることが課題なので,そのために新しい技術を開発すればいいというわけではないので,研究者として知的好奇心が満たされないことが多い.演習問題的に便利なものを作って終わるようなことは,大学でやってもしょうがない」といった声を聞いたことがある.ユーザーのニーズに応える開発がしばしば過小評価される背景には,こういった事情もあるかもしれない.かくしてローテクの福祉機器が持つ潜在的な価値に比べて,その開発は相当下火のように思える.

ここでローテクの福祉機器は低レベルであり,簡単に開発できるという誤解があるようにも思える.当然ながらハイテク機器の開発同様に,ローテクの福祉機器もニーズに応えられる良いものが常に自動で出来上がるというわけではない.例えば点字ブロックひとつとっても「その上を歩けば目的地に行けるわけだから,とりあえず点字ブロックを色々な場所に設置すれば良いのではないか」と主張する人がいる.もしその通りであれば点字ブロックがあらゆる事故や迷子を防止してくれるはずであるが,現実には全くそうなっていない.なぜなら(もう一度言うが),視覚障害者の歩行とは答え合わせができない知覚情報に基づく推論の積み重ねだからである.推論が失敗するほど,事故のリスクが高まっていく.点字ブロックに関する推論を妨げる要因はたくさんある.例えば,もし視覚障害者が点字ブロックを他の何かと誤認したら(この逆も),もし点字ブロックをまたぎ越えたり点字ブロックの上に乗ったのにその存在に気づけなかったりしたら,もし実際に歩いている点ブロのルートと頭でイメージしているルートが違っていたら…,もし点字ブロックのルートから離脱した後に向かった先が危険な場所だったら…などなど.点字ブロックの効果はそれ自体で完結するのではなく,それが有効に機能する設置方法や使い方も重要である.ローテクもハイテクも,視覚障害に関する多様な歩行特性(広い意味での「ニーズ」)を考慮して設計&使用しなければならない.視覚障害の歩行特性の専門家といえばもちろん歩行訓練士だが,福祉機器開発に歩行訓練士が関与してもらえればとっても大きな前進だろう(ところで最先端のナビアプリに明るい歩行訓練士はどれくらいいらっしゃるのだろうか?).

さて,最後に一つだけローテクの福祉機器を紹介して筆を置きたい.一般社団法人日本リハビリテーション工学協会が2022年に主催した福祉機器コンテスト2022で,立体的な触地図を歩行訓練の現場で作製・修正可能な「触地図作成キット」が最優秀賞を受賞した(概要は以下の通り).非常にローテクである.しかし現場のニーズに応えられるモノにはやっぱり不変的な価値があると思う.

【触地図作成キットの概要】
視覚障害者の歩行訓練において触地図は環境理解を支援可能なツールとして知られるが,触地図の従来製法の不便さから触地図が実際の歩行訓練で使われることはほとんどない.そこで歩行訓練士と視覚障害者を対象にニーズ調査を行い,触知性が高い立体的な触地図を訓練現場で即座に作成・修正可能な「触地図作成キット」を開発した.触地図作成キットはA4サイズ程度の平板の土台に点・線・面状の立体パーツを面ファスナーで固定することで,歩行訓練で有用な3種類の形式の触地図を組み立てることができる.評価実験の結果,触地図作成キットを使用して環境についての説明を受けた視覚障害者は,未知の歩行ルートを定位喪失せずに(迷子にならずに)一人で自信をもって歩けるといった確かな効果が確認された[1].また実際の歩行訓練で使用した結果,触地図作成キットの有効性を示すデータが数多く得られている.触地図作成キットは従来製法と比べて触地図を低コストで作成できる上,パーソナライズされた触地図を訓練現場で即座に作成・修正できるという独自の利点があり,競合製品が存在しない.歩行訓練や盲学校等で一定の需要が見込まれ,実用化の可能性が高い.

[1] Toyoda, W., Tani, E., Oouchi, S., & Ogata, M. (2020). Effects of environmental explanation using three-dimensional tactile maps for orientation and mobility training. Applied ergonomics, 88, 103177.

文:豊田 航

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