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何もない離島で感じた『お金で得られない幸せ』

離島で暮らして感じた『お金で得られない幸せ』。

それが、思い出に残るように、自分が忘れないように記事にすることにしました。

僕が暮らしていたのは、島根県にある隠岐諸島の1つ「西ノ島」です。

人口約2600人の何もない小さな離島です。

どれぐらい何もないかと言うと、島に信号が1つしかないぐらい何もない所です。小学校の前に、ずっと青色の学習用の信号がありました。

(小さなスーパーはありましたが、東京から島に行った僕にとって、何もない印象を受けていました。)

事前にお伝えして置くと、ないことは悪いことではなく、あることも悪いことではなく、それが自分や環境と心地良いバランスでるあるのかどうかが大切だと考えています。

僕は今回、東京(都市)から西ノ島(地方)に移動して、暮らしてみて、この2つを多様な角度から比較することができました。

その中で一番注目したのは「お金で得られる幸せと、お金で得られない幸せ」についてでした。

都市は「お金で得られる幸せが多い」、地方は「お金で得られない幸せが多い」と言うことに気づきました。

いくつか例を書いてみます。


○ 魚の美味しさ

都市の場合
食べたい魚があれば、お金を出して買ったり、レストランを予約して、好みの空間で魚を食べる楽しさと美味しさがあります。

地方の場合
食べたい魚を買えるスーパーや、レストランがないことが多いです。しかし、自分で釣った魚や、ご近所さんや友人から頂いた魚を、自分で料理して食べることができる楽しさと美味しさがあります。自分で料理をできる時間があることも大きな違いだと思いました。


○ 食事

都市の場合
1人で、済ませることが多いです。しかし、お金を出して、ビジネス関係で誰かと食べることもできます。(友達と合流して食べることもできる。)

地方の場合
予定を立てたり、意識をしなくても、誰かと食べる機会が多いです。個人的な思い出ですが、得意料理を作った友人が、彼の家に誘ってくれた時は嬉しかったし、美味しかったです。誰かと食べるご飯は、楽しさと美味しさが違いますし、コミュニケーションから発見も生まれます。


○ 綺麗な指輪

都市の場合
自分の好きなお店に行って、お金を出して買うことができます。

地方の場合
やはり、お店がないです。こちらも僕の個人的な体験ですが、仲良くなった地元の子に花の指輪をプレゼントしてもらいました。どんなブランドにも変え難い、可愛らしさを感じました。また別の日には、子供がお茶をいれてくれて、それを友達と乾杯して飲んだんですが、これがめちゃくちゃ美味しかったです。


(角度を変えて付け加えると、地方は都市に比べ、高齢者が活躍しやすい環境であると感じました。活躍できると、人とつながる機会が多くなり、幸せを感じられる機会も多くなります。)



まとめると

地方や田舎では、人との繋がりを通じて得られる幸せが多くあります。

人との繋がりは、お金で代替できなく、自分本来の部分が認められて肯定されているようで、励みになり、幸せを感じさせてくれます。

社会的評価やビジュアルなど表面的な物でなく、裸の状態でのコンセプトや中身で繋がっている感覚が得られました。

今回の僕の視点で「お金で得られない幸せ」に注目すると、田舎暮らしを全肯定している様に見えてしまうかもしれませんが、そういうわけではないです。

視点を広げたり、角度を変えたりすると、それぞれ両方に良し悪しがあり、それは個人の好みによるものだと思います。

僕は、都市で暮らした経験もありますが、都市でもお金で得られない幸せはたくさん得られると実感しています。

都市と地方の差は、能動的に得られるモノと受動的に得られるモノの差かも知れません。

でもまぁ、個人的には、都会よりは田舎があってそう!

最後まで読んでいただきありがとうございました🥟

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