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【SNS炎上ものがたり①】人にはそれぞれ正義がある

人はそれぞれ「正義」があって、争うのは仕方ないのかも知れない
僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があると思うんだ
僕の「正義」がきっと彼を傷つけていたんだね

Dragon Night - SEKAI NO OWARI から抜粋

ブロガー歴18年、複数メディアを運営してると、色んな修羅場を経験する。

今から5年前、ライターの仕事で外部メディアに寄稿した時のこと。個人の体験について綴っている記事だったのにも関わらず、酷いアンチコメントが寄せられた。

当時、メディア担当はその事実を知りながらも、運営からコメントを追記しただけで、記事は削除されなかった。
記事の閲覧数がとんでもなく伸びていたからだ。

アンチコメントはしばらく止まらなかった。

中には、記事の中身に関する反論だけでなく、私自身や家族に関する誹謗中傷のコメントも多くあった。

しばらく書くのが怖くなって、そこから1年は書くことを辞めた。

なぜ炎上したのか

それから1年が経って、私はまた書き始めた。

書くことを止められなかったのだ。

ただ、その記事はメディア担当に相談し削除してもらった。
1年も経つとトラフィックも落ち着くようで、特に異論なしで消してくれた。

初めての大炎上にメンタルをやられてる間、色々勉強した。

なぜ炎上したのか。
どのような書き方が反感を得やすいか。
防ぐための対策はあるか。
なぜ、アンチコメントを書く人がいるのか。
私は何を気をつければ良いのか。
アンチコメントにはどう対応すれば良いか。

記事の内容は個人の体験談だったため、炎上リスクが高いものではなかった。

しかし、自分の記事を彼らの目線で分析してみたら、個人の体験を綴ったものではあったが、AとBと意見が真っ二つに分かれる、人々の思想に触れる部分があった点が原因だったことに気づいた。

記事の一部の内容に過ぎなかったし、片方の意見を支援したものでもなかった。

それでも人々はそのたった数行に注目した。

メディア担当もライターである私も掲載する前は気が付かなかった。
両者とも未熟な部分があったことは認める。

そこから、同じテーマの記事は極力扱わないようにしているし、書き方にも細心の注意を払うようにしている。

共感する人がいれば、反感を持つ人もいる

この事件をきっかけに、センシティブなテーマや、書き方、予防策など色々勉強した。

ただ、残念なことに、いくら対策を取ったとしても、アンチコメントを完全に防ぐことはできないことに気づいた。

であれば、アンチコメントはつくものだと割り切った方が楽だ。

あの事件から数年、コンテンツがバズると必ずアンチコメントがつく。
正直、前より動じなくなった。

意見が分かれる内容であれば、コメント欄で視聴者同士で論争が起きる。

クリエイターの立場からすると、実はこの論争は時にはもっと多くの人々へへリーチする機会になる。

精神健康上悪いと判断した時は、PCやスマホの電源を消し、時間が経つのを待つようになった。

発信者になりたければ、蜂に刺される覚悟を持て

友達からこんな相談を受けたことがある。

「自分の考えを発信してみたいけど、誰かを傷つけてしまいそうで、アンチコメントをもらいそうで、怖くてできない」

私はこう答えた。

何も発信しなければ、それに共感する人とも出会えない。
共感する人がいれば、反感を持つ人もいる。
人にはそれぞれ正義があって、その正義は異なるから。

何も発信しないことは安全だ。
ただ、同時に世の中に良い影響力を与える機会を失うことでもある。

全員が発信する必要はないが、あなたにその気持ちがあるのであれば、まずはあなたのその考えを支持するたった一人を想像して書いてみて。

最近知った面白い英語表現がある。

When you go in search of honey, you must expect to be stung by bees.
- Joseph Joubert

日本語に訳すと「蜂蜜を探しに行くときは、蜂に刺されることを覚悟しなければならない」という意味だ。

18世紀フランスの作家Joseph Joubertの言葉で、その比喩の良さから今は多くの人が使っている。

この文でいう、蜂(bee)は、ミツハチ(hoeybee)のことをいう。

ミツハチは一度人間を刺すと死ぬ。

体の構造上、針が抜けなくなるらしい。
抜いたら内臓まで取れてしまうので即死だ。

この英語表現が示唆することを私はこう解釈した。

ミツハチを怖がって、チャレンジしないのは勿体無い。
刺されても死ぬのは蜂であって私ではない。

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