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原文で考える 検察庁法改正案

はじめに

令和2年(2020年)5月10日(日)のTwitterトレンドは「#検察庁法改正案に抗議します 」一色。朝から晩まで、このハッシュタグが上位十位以内に入り続け、ハッシュタグを付したツイート件数は330万件を越えています。

そもそも今回の検察庁法改正は、国家公務員の定年延長に関する一括パッケージ「国家公務員法等の一部を改正する法律案」として3月13日に国会に提出されたもので、正直言ってあまり関心を持っておりませんでした。

このグダグダな棒グラフ(平成30年/2018年は赤色)のしっぽが更に伸び、ただでさえベコベコに凹んでいる20代〜30代の中核人材がいよいよ相対的割合を落としていくのだろうな・・・と思うと、暗澹たる気分ではあったのですが、法案をわざわざチェックするほどの興味を持っていなかったのです。

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※上図は人事院「平成30年度 年次報告」より引用。

ただここまでトレンドに入ると気になるのが人の性(さが)というもの。せっかくなので、原文にあたって問題点の有る無しを検証してみることにしました。

①原文で見る検察庁法改正法案

賛成するにしても批判するにしても、二次情報(人づての話)に頼るのではなく、一次情報(今回であれば改正法の原文)に当り、まずは虚心坦懐に眺めてみることが大事です。

検察庁法改正法案を含む一括パッケージ「国家公務員法等の一部を改正する法律案」の原文五点セット「概要」「要綱」「法律案・理由」「新旧対照表」「参照条文」は、内閣官房の「国会提出法案」のページから閲覧することが出来ます。

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「概要」は霞が関用語で言う所の"ポンチ絵"と呼ばれるもので、基本的に1枚、多くても3枚以内にその法律案なり政策なりの内容を詰め込んだペーパーです。今回のもの(PDF直リンク)は1枚でした。

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中身を見てみると超シンプル。検察官、防衛省事務官を含めて一行しか書いてありません。ただ、注目したいのはその施行日で「令和4年(2022年)4月1日」とされています。つまりこの法律が可決されたとしても、その効力が生じるのは2年近く後のことで、現在、渦中の人となっている黒川弘務氏をはじめとする検察庁上層部の人事に直接の影響を与えるものではありません。

しかし、間接の影響がある可能性はございます。それを検証するためには、改正後の法律がどうなるのか、その姿と目的を見てみる必要があります。順次チェックしていきましょう。

「要綱」(pdf直リンク)はその法律案の基本方針をまとめたもの。「概要」とは異なり、文章のみで構成されています。

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まぁしかし、検察庁法の改正に関わる記述はp.17のわずか3行で終わっており、拍子抜けでした。

次の「法律案・理由」(pdf直リンク)とは、国会で審議され、可決された場合には、それが法律となって公布される、法律案の一丁目一番地というか本家本元です。

しかし、改正法の場合、改正対象の条文(元からある条文)を指定して、「第◯条の「△△」を「□□」に改め・・・」といった形式(改メ文方式)で書かれるため、元の条文を手元に置きながら読まないと、何がどう変わるのか全くわからない呪文の羅列になってしまいます。

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これはp.68からはじまる第四条(検察庁法の改正)の一部ですが、削る(さくる)と改める(かいめる)が交錯し、何がなんだか分かりません。この呪文めいた文章を「改める文(かいめるぶん)」と言いますが、まともに読み解けるのは当該法案の担当者か内閣法制局の担当官くらいでしょう。

②新旧で見る検察庁法改正法案

では、担当官ならぬ普通の人はどうするか。そこで登場するのが「新旧対照表」(pdf直リンク)、いわゆる「新旧」です。ここでは上段に改正後の条文、下段に改正前の条文が配置され、これを見比べることで、改正法の全容やその影響を推し量ることが出来ます。

では、今回懸案となっている「検事長の定年」、それを定めた検察庁法第22条の新旧を見てみましょう。リンク先のp.97をご覧ください。

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改正前の条文は、50文字程度で非常にシンプルなところ・・・。

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改正後の条文は5ページに渡る長々文となってしまいました。文字数は2,000を越え、原稿用紙5枚分超です。上図はその全てを統合したものですが、横幅が2,000ピクセルを越えているため、拡大時はご注意下さい。

一体全体、何がどうしてこんな長文になっているのか、条文に即して見て参りましょう。

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改正後の第22条1項は非常にシンプルです。すなわち、「検察官は、年齢が六十五年に達した時に退官する」。従来、検事総長以外は63歳であった定年を延長して、検察官の定年を65歳に統一するという内容でした。全員が定年延長の利益を得られるのですから、取り立てて言うことはありません。

問題は次の部分から始まります。「検事総長、次長検事又は検事長に対する国家公務員(新設)法第八十一条の七の規定の適用については・・・」からはじまる第22条2項は、以降700文字以上渡って句点(。)なく続き、読点(、)に読点を重ねて次のページまで進出し、原稿用紙2枚分を使い切って、やっと停止します。

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これは一体何をやっているのかというと、今回の法改正で新設される「国家公務員法第八十一条の七の規定」を検察庁法独自の規定に読み替えるという営みが行われています。私の知る限り、日本の法文における最も長い文章は「環境影響評価法 第48条第2項後段」の3,295文字ですが700字超でも十分多く、なかなかの規模の「読替え規定」です。

文末には「同条(国家公務員法第81条の7)第1項第2号の規定は適用しない」という文章があり、この条文が「読替え」兼「適用除外」の規定ということは分かるのですが、では一体何の話をしているのか。改正後の国家公務員法第81条の7を見てみましょう。p.15をご覧ください。

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なるほど改正後の国家公務員法第81条の7とは「定年による退職の特例」を定めたものです。この規定によれば、1号の通り「人事院規則で定める事由」に該当する者については「一年を超えない範囲内で・・・定年退職日において従事している職務に・・・引き続き勤務させることができる」と書いてあります(1項前段)。

ただし「管理監督職(いわゆる管理職)」については制限があり、同じ職務に就かせるためには「人事院の承認を得たときに限る」とされており、かつ、その期間は、定年に関係なく管理職に就任した「翌日から起算して三年」以内でなければならないとされています(1項後段)。

管理職に就任したのが定年の2年6ヶ月前であれば、半年しか勤められないわけです。

ではもう一度、検察庁法に戻ってみましょう。

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ほう。「管理監督職」は「次長検事又は検事長の官及び職を占める職員」と読み替えられています。検察官は、独任制の官庁(一個の人間であり、かつ独立した役所)であるため、その「官(庁)」としての立場と、副検事、検事、検事正、検事長といった「職」としての立場が併存するため、特徴的な書き方となっています。検察庁という組織は文字通りのスタンド・アローン・コンプレックスなのです。

そして、中央左寄りをご覧ください。

「人事院規則で」とあるのが「内閣が」と読み替えられ、「人事院の承認を得て」とあるのは「内閣の定めるところにより」と読み替えられています。つまり、次長検事又は検事長は内閣が定める事由をクリアし、かつ、内閣が定めるところ、つまり閣議決定を得れば、定年延長が出来るという訳です。

・・・ん? 最近どなたか閣議決定を得て定年延長した検察官がいらした様な・・・。首相官邸の「閣議」ページより令和2年1月31日(金)定例閣議案件を見てみましょう。

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はい。貴方ですね。東京高等検察庁 黒川弘務 検事長閣下。検事長以上の「職」をもつ検察官は内閣により任免され、天皇の認証を受ける「認証官」であるため、昔風に言えば「閣下(Excellency)」に当ります。

そもそも昭和56年の国会では人事院の幹部が「検察官はすでに定年が定められており、国家公務員法の定年制は適用されない」と答弁しており、検察庁法には国家公務員法の定年延長規定が適用されない、というのが政府の公式な法解釈でありました。

しかし、なにをどうしたことか令和2年の1月に突如として法解釈が変更され、検察庁法にも国家公務員法の定年延長規定の適用がある、ということになりました。しかもそれは文書には一切記載がなく、口頭でなされたというのです。

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そして、その法解釈をバネに黒川検事長に国家公務員法81条の3(改正前)が適用され、任命権者である内閣の承認(閣議決定)を得て、検察史上類を見ない定年延長が決定されました。

そもそも、この1月の法解釈変更がなければ、検察庁法の定年規定に関して国家公務員法の適用はなく、2,000字に及ぶ規定を準備する必要はありませんでした。検察庁法単独の措置で完了したはずなのです。

しかし、一人の人間を定年延長させたことで、法解釈の玉突き事故が発生し、異様な長さの読み替え規定を準備せざるを得なくなりました。まさに検察庁法改正案の第22条改正部分は令和2年1月に突如として解釈変更した「内閣のせい」としか言いようの無い事態なのです。

とはいえ、法案担当の官僚(おそらくは検察官出身の法務官僚)が粘ったのでしょう。この改正を政治の道具とはさせないための措置も、改正後第22条には仕込まれています。第4項から第7項をご覧ください。

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第5項こそが、今回、黒川検事長を定年延長させるに当たって内閣の用いた論法です。国家公務員法第81条の3(改正前)と見比べていただくと、よく似ていることがお分かりいただけましょう。そして第6項では、定年延長の期限を最大2年延長できる旨を定めています。

しかし、それを挟み込む第4項と第7項こそが肝要です。第4項は、次長検事又は検事長については原則的には63歳をもって職を解かれる(65歳までの2年間はヒラ検事に任命される)ことが明示され、それが5項・6項により仮に延長されたとしても、決して検事総長には昇格させない(第7項の本文は延長期間の終了後はヒラ検事に任命することを定め、但書の場合でも次長検事以上には上がれない)ことを定めています。

つまり政治部門と密接な関係を囁かれる人物が、定年延長を受けて検事総長(検察トップ)を狙うという事態は、現在生じている事象、一度限りのものなのです。

③まとめ

まとめに入りましょう。

原文を見る限り、検察庁法改正法案は、急ごしらえで法技術的に疑問を覚える部分が存在するものの、最後の一線を踏み越えられまいと頑張った現場の法務官僚の尽力が垣間見えて、その点においては評価できます。

しかし、今回の法解釈の変更過程がまったく明瞭ではない以上、その法解釈に従った改正法を即時に可決・公布すべきかは大いに疑問があり、「国家公務員法等の一部を改正する法律案」全体はともかく、検察庁法の改正案については法案本体から分離して審議されるべきものと考えています。

ただし、「一律65歳定年制の導入」が掲げられている以上、実質的には分離は困難であるかも知れず、その場合には全体を廃案とすることもやむを得ないものと存じます(公務員制度改革がまた遅れていきますが・・・)。とはいえ補正予算案を再度閣議決定する様な内閣ですので、法案を分離して再度閣議決定することも、あり得るかも知れません。

改正法が可決されたとしても定年延長を得た検事長もしくは次長検事が検察トップを目指すという事態は生じ得ませんが、現在の状況だけは唯一の例外です。黒川氏には(というか黒川氏だけは)検事総長になりうる可能性があります。御仁が検察トップに就任し、かつ政治的な阿りとみなされる行動をとった場合には、「不偏不党」たる検察への国民の信頼が不可逆的に失われることを覚悟しなければならないと申せましょう。(以上)

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