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『男はつらいよ50 お帰り 寅さん』と緑の『ルパン三世』の総括/世文見聞録50
今週も川口世文と木暮林太郎が、彼らの大好物の「ビッグストーリー」である『男はつらいよ』シリーズと『ルパン三世シリーズ』について語ります。
○第50作『男はつらいよ お帰り 寅さん』
木暮林太郎:「50周年50作品」というのは、確かに前代未聞のプロモーションだった。
川口世文:しかも、この作品全体が壮大な「プロモーション動画」になっていたしね。
木暮:それって……何のプロモーションだったんだ?
川口:シリーズ全体の、だよ。「4Kデジタル修復版」といったほうが正確かもしれないけど。
木暮:なるほど。いちばんの目的が、過去作をもう一度観たいと思わせることだったなら、実にうまくいった。
川口:過去作の映像を違和感なく新作に盛り込む目的とシリーズ全体のリニューアル──プロジェクト全体としてはかなりのコストがかかっただろうけど、これであと50年はコンテンツとしての寿命が延びた気がする。
木暮:キャストも、さくらと博の年代以降はみんな出演できたし、コロナ禍の直前に公開できたのもよかった。
川口:一方で、これ以降はもう過去に戻るしかないことも思い知らされたんだよなぁ。
木暮:「第51作」は永遠にありえないって意味?
川口:そういうこと。ここでも“無限ループ”が生まれてしまった気がする。何より満男が“旅”をしない男になってしまったのが残念だった。彼には“光陽商事”の専務になっていてほしかったのに。
木暮:あるいは、娘じゃなくて息子がいる設定にしてもよかったな。“ユリ”はさくらの遺伝子は受け継いでいても、寅さんの系譜にはいない。むしろ“あけみの息子”のほうが無駄に元気そうでよかった(笑)。
川口:何しろ寅はまだ生きている設定だからな。これが本当の最終作であることを示すのもテーマだったかも。
木暮:ひょっとしたら、音楽記号でいう“ダ・カーポ”ってやつだったのかもな──つまり、“最初に戻る”。
川口:英語のタイトル表記は、ぜひそうしてほしいな。
○緑の『ルパン三世』の総括
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木暮林太郎:パート6とパート1、「緑のジャケット」の『ルパン三世』のテレビシリーズを全話観て、無事「円環」は閉じたか?
川口世文:全然閉じなかったな。でも“自由なルパン”を満喫することはできたんじゃないか?
木暮:パート1は憶えていた以上に混沌としていた。
川口:大隅正秋と高畑・宮崎コンビ──二つの演出法の“せめぎ合い”が『ルパン三世』というビッグストーリーを支える基盤になったことは間違いない。今から考えると、パート6はこの“二つのトーン”というのを意識的にやろうとしてうまくいかなかったのかもしれない。
木暮:混沌をコントロールしようとしたってことか? それはそもそも無理だろう。
川口:さすがにそこまではいわないけどさ(笑)。もしもパート1がそこそこ視聴率を稼いで、1年以上つづいていたら、どうなっていただろうかとも考えたね。
木暮:案外、ここまで大きなコンテンツにはならなかったってこと?
川口:『シティーハンター』止まりだった気がする。
木暮:それでも十分じゃないか!……そういえば『ルパン三世VSキャッツ・アイ』をやるらしいな?
川口:あれは完全に別の“文脈”だ。『ルパン三世』の次の展開とは到底思えない。
木暮:だったら、おまえの考える次のルパンはなんだ?
川口:これまで観てきたなかではパート6第5話の「帝都は泥棒の夢を見る」にヒントがありそうな気がする。
木暮:ああ、なるほど……確かにあれはこれまでにない「枠」の破り方だったな。
川口:次にルパンが盗むべきなのは、ルパンシリーズの製作者と視聴者の「固定概念」なのかもしれないな。
木暮:“とんでもないものを盗んで”いきやがるなぁ。
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