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夫のこと好きな理由。

夫のことが好きだ。困ってる人に貸したい。

もし夫が万が一浮気をしたとしても、浮気相手を憎めない自信がある。絶対渡さないとは思うが、もういっそ3人で暮らしましょうか?くらいは言っちゃうかもしれない。

夫は私にはもったいない。それは別に、私が私をゴミみたいに思ってるからとかじゃない。っていうか、夫にもったいなくない人物に私は会ったことない。

お父さんのことより夫が好きだ。お母さんより好きかもしれない。生まれ変わったら何になりたい?と聞かれたら、夫みたいな人間になりたい。生まれ変わったらどころか、将来は夫みたいな人間になりたい。私、今36歳だけど。

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夫と出会ったのは18歳の時だ。私は田舎から上京してきた演劇の短大生で、夫は当時その街で100円均一を営んでいる大人だった。9歳離れている。演劇にとって100円均一というのはなくてはならぬ物で、小道具の買い出しにみんな通い、そしてみんないつの間にかそこの店長である夫と仲良く話すようになった。

身長が185センチあり、顔はといえばヒョットコを思い出させる。膝が外向いてるみたいにガニ股で、ゆらりゆらりと歩く大男。特別面白い話をするわけでも、学生相手にいわゆるアニキぶった態度をとるわけでもない。ただ飄々と私たち学生を迎えて、倉庫にパイプ椅子を出して座らせ、自由にさせておくだけの大人だった。

じっくり話を聞くわけでもない。なんならほとんど聞いていない。真剣な悩み相談に核心をついた助言をかますわけでもない。だいたい笑って聞き流す。すごく不思議だったけど、私もこの大人によく懐いていた。

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付き合い始めたのは22か3の時だ。夫はもう32。当時私は重めの鬱を患っており、家から出られない生活だった。そんな私に夫が放った恋の告白はこうだ。「僕、ウド鈴木や鳥居みゆきを本当にかっこいいと思ってるんだ。僕には絶対なれないから」さっぱり意味がわからなかったが、なぜか嬉しかった。

そして27になった。共に暮らす古いアパートで、5年間私は引きこもり続けた。夫は私と付き合うだいぶ前に「この世にゴミを増やしちゃダメだって思った」と言って100円均一をやめ、「歳をとっても座って仕事したい」と言って街の眼鏡屋で修行をしていた。

収入はアルバイト並で貧乏だというのに、夫は5年間1度も私に仕事をすすめなかった。あ、いや1回くらいある。「家にばっかりいたらツラそうだから」という理由だ。そのすすめがあって接骨院の受付をやってみたが、運が悪いことに院長のセクハラ気味な行為でメンタルを更に壊してしまった。

「僕が話しに行ってくる」と言う夫を止めたのは私だ。普段穏やかに見える夫は、プチッといくと大声が出る。私が初めて夫の大声を聞いたのは、大通りの交差点で信号無視をして突っ込んできたタクシーが、小学生の女の子を轢きかけた時だった。

走り去るタクシーに、真っ赤な顔をして何か怒鳴った後、今度は真っ青な顔で私に謝った。「ごめんね、僕こういうところあるんだ」ちなみに、女の子はもうとっくにいなかった。

夫が怒鳴ってしまいそうだから接骨院に向かうのを止めたわけではない。怒鳴った後、風船が萎んだように落ち込むから止めたのだ。セクハラの件以外にも、夫は院長に怒っていた。収入が1桁の私を‘’居候‘’と院長がポイと言った話をしたら、「僕はきなこちゃん(私)にお金を稼いでほしいとは思ってないし、だからって僕の方がエライとも思わない」と言いながらものすごく怒った。

退職願を出す時、夫は私についてきた。結局途中でストレスフルになり倒れた私を、「もう行くのやめよう」と背負って帰った。

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働けないまま5年が過ぎて27になった時、夫が下北沢で眼鏡屋を始めた。そして、まだ全然鬱だった私にもお店に出るように言った。「僕はきなこちゃんの遊び場を作ろうと思ってる」と言いながら、ヒィヒィ嫌がる私を毎日店に連れて行った。

眼鏡のことも、店先の掃除も、しなくていいと言われた。「ここにいて、楽しいと思うことをすればいいと僕は思ってる。僕だって、やりたくないことをやらないために店をやるんだ」と言われた。

そうして何年か過ぎて、私の鬱はすっかり治った。お客さんやご近所さんと仲良くなって、友達もできて、接客も楽しかった。私がトンチンカンなことをしてしまっても、夫は「きなこちゃんはそのままでいい」と言った。

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32歳になって、私は子供が欲しくなった。婦人科に通い、不妊治療を始めた。でも、タイミングをとって営みをするというのがどうしても苦手だった。作業になるのが怖かったし、いったん作業になったそれが、自然な行為に戻ると思えなかったからだ。お医者さんに指示された日に、作業でセックスするなんて屈辱だと思っていた。

いや、本当は、夫の屈辱を心配していたのだと思う。「今夜しなさいって言われました」と妻に告げられてからするそれって、虚しくさせるんじゃなかろうか。そして、1度そうやって仕方なく作業してしまったら、もうずっとイヤになっちゃうんじゃなかろうか。

そんな私に、夫は少しも沈黙せずにこう言った。

「僕は、こういうことが作業になるのは悪いことじゃないと思ってるし全然イヤじゃない。作業でも全然いいよ。でも、どうしてもタイミングはきなこちゃんに教えてもらうことになるから、それは本当に嫌な気持ちにさせてごめんね。あと、これは水をさしたいわけじゃ全然ないんだけど、僕は2人で歳をとるのもすごくいいなと思ってるっていうか、歳とっても2人で小さい店やって、たまにバイクで旅行したりしたら楽しいと思うんだよね。そういうのも本当に夢だったりするんだよね。だから子供がいてもいいなと思うし、いなくてもいいなと思うよ。どっちも本当なんです」

私の人生は、この日、100点をとってしまった。心の中にある真っ黒くてガチガチに硬い何かが、パッツーンとはじけて消えた。

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次の日から私は婦人科に通うのをやめた。あんなに子供欲しいと思ってたのに、一瞬にしていらなくなってしまったからだ。いらない、なんていう傲慢な言葉が心から湧いてしまった。

夫がいれば、ああ、私の人生はもう100点。

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私は夫に、変われと言われたことがない。っていうか、夫が誰かを変えようとした場面を見たことがない。

私がアホみたいな恋に溺れてた学生の時も、鬱で引きこもってた時も、今も、「きなこちゃんはそのままでいい」と言われ続けてきた。

これからも、きっと一生そうだと思うんです。

何年か前、私たちの愛犬が天国へ行きました。夫は店に出ていて看取れなくて、私が1人で見送りました。店から帰ってきた夫は、もう動かない愛犬を抱いて、「なんで今日…」と言いかけた後、「でも、きなこちゃんの腕の中でいけたなら良かった」と。

その年のクリスマスあたり。私は夫に言いました。

「絶対に私が後に死んであげる」

夫は豆鉄砲を食らったようなヒョットコ顔で「え、いいの!?」

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私の人生に100点をとらせてくれた夫を、ずっと昔から尊敬しています。

私が漫画家をやっているのは、いつか1人になった時の孤独に耐えるためです。

必ず夫を見送って、死ぬほどの孤独は、私が持っていこうと思います。

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