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奇蹟の芸術都市 バルセロナ展(4/5まで)@東京SGにいってきました。

サグラダ・ファミリアに代表されるようなガウディの建築の数々を楽しめるスペイン・バルセロナ。今回は、絵画、ドローイング、彫刻、家具、宝飾品など約130点あまりのバルセロナの近代芸術を紹介していく展覧会です。

この時代は、若きピカソや、ダリやミロなど芸術界の巨匠となっていく芸術家を育てていったバルセロナですが、それ以外の気になったバルセロナの画家を何人か紹介していきます。

労働者階級と富裕層

自動織機を操作する子ども。当時、安い賃金の労働力として子どもの需要が多く、6歳になると働きに出されてました。しかも、衛生状況も悪い場所での長時間労働、栄養条件もよくなく、当時の富裕層の平均寿命が36歳だったのに比べ、労働者階級の平均寿命は23歳。仕事をする向こうに親方らしき人影。この子どもの将来を考えると「怖い絵」です。

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ジュアン・プラネッリャ《織工の娘》1882

2枚目は上の労働者階級の子どもに比べ、ブルジョアな子ども。ただ、この年のパリ市場の大暴落の余波を受け、この後は長い不況に悩まされることになるバルセロナ。そんな時代背景を知ると、この子どもの少し上目使いなところも、自分の行く末を暗示しているようにも見えてきます。

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フランセスク・マスリエラ《1882年の冬》1882

ブルジョアジー

このようなブルジョアな絵は富裕層に好まれた題材で、こうありたいという理想の生活でもあったようです。高価な調度品や芸術品、都市生活の一場面のみではなく、絵の注文主である趣味もモチーフに描きこみ人気を高めていきました。

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ルマー・リベラ 《夜会のあとで》 1894年頃

作者のルマー・リベラは、バルセロナで生まれ、地元で絵を始め、ローマでアカデミックな技法を学び、パリ万博で名声を高め、バルセロナに再び戻って、富裕層の期待に応えるべく絵画を残していきます。

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ルマー・リベラ 《休息》 1902

ルシニョルとカザス

忘れてはいけないのがこのラモン・カザスとサンティアゴ・ルシニョル。裕福な家に生まれたカザスは15歳の時にパリに渡り、サージェントも指導したカロリュス=デュランに絵を学びます。のちに、画家のほか、文学者、美術コレクターでもあったルシニョルと知り合うこととなります。

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ラモン・カザス 《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの室内》 1890-91

カザスもパリへ渡り、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの敷地内のアパルトマンに滞在し、ウトリリョ(ユトリロを認知した父親)と3人で、モンマルトルの都市風景や室内の情景、身近な人々の情景などを描いていきます。この時の三人の体験は、のちの芸術の発表、上演の場となるバルセロナのカフェ「四匹の猫」の創立に影響を与えました。

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サンティアゴ・ルシニョル 《ムーラン・ド・ラ・ギャレットでのミケル・ウトリリョ》 1890-91

まとめ

先日見たユトリロ展で出てきたユトリロを息子として認知してくれたウトリリョが出てきたり、今回取り上げませんでしたが、駆け出しのピカソが出てきたり、この後、ピカソは親友のカサヘマスとパリに渡り「青の時代」が始まったりと、鑑賞以外でも、色々な点と点が線に繋がっていくところが面白かったです。

皆さまのお気持ちは、チケット代、図録代とさせていただきます。