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リモートワークの光と影

ここ数年、オフィスワークに再順応するために、ライフスタイルが少し組織(というか場所)に拘束されがちになってきたが、思いもよらぬ事態の展開に、過去十数年慣れ親しんだリモートスタイルへと世の中の方が近づいてきた。

(リモートワーク用のBGMで、Focus Worksというピアノ曲を聴きながら)

感染症リスクというのは当然、ストレスフルだし、それに対応して企業を維持していくというのは、海図なき航海、視界不良のもとでの飛行のようなところがあるので楽とは言えない。

ただ、そのあたりをいったん受け入れてしまえば、場所に拘束されない働き方はきわめてメンタルに楽である。

リモートワークとは、結局、朝、自分が今日やらなければならないと特定したことを、いかに迅速にやり遂げるかがコツである。その意味では成果主義だ。

明確に時間が指定された会議等を除けば、どこにいてもいいのである。Muteを効果的に利用すれば、屋外で会議に参加することも問題ない。

早朝に置きだして、しなければならない作業、指示等を明らかにして、受信者を脅かさない程度の時間に送信設定する。そこで一段落して、朝食を摂ったら、スマホで緊急連絡の有無だけを確認するという条件のもとで、太陽の光をたっぷり浴びて、散歩したり、買い物にいったりしても支障はない。

公園のベンチに腰をかけて、散りゆく名残の桜の下、メールに返信をしてもいいのである。

全員がリモートワークをするようになれば、それが当たり前になるだろう。

但し、移行期というのはなかなか難しい。

テレビで、新入社員をすべて自宅待機にして、PCで入社研修を行う会社のことが報じられていた。それぞれの新入社員は皆背広に着替え、ネクタイをしてPCの前に座っていた。

画面の向こうでは、会社の会議室に集まった社長や役員や担当社員が、いろいろな訓示をしたり、研修をおこなったりしている。

担当社員からは、業務時間は、外出しないようにという指示がでていた。

その後、Zoomなどを使って、グループ分けをした新入社員同士の交流などもある。

新入社員研修は学生を社会人にするための通過儀礼としての意義が大きいのだから、一定の業務時間内、拘束的に働くリズムを植え付けなければならないというロジックはわかる。

しかしわかるだけに、それが孕んでいる自己矛盾や、困難さが気になって仕方がない。

自己管理能力がない人々にとってのリモートワークというのは、極めてリスキーだからだ。

僕たちは、対面の環境の中で、先輩社員や顧客の顔色を眺めながら、自らがやるべきタスクを時間をかけて試行錯誤しながら、会得してきたのである。

その中で、自己管理能力というものをそれぞれのレベルで身につけた。

その意味で、新入社員をリモート環境で育成するというタスクは極めて困難である。彼らが集まって学び合い、育っていく通常の環境が早急に回復することを心から祈っている。

この自宅待機環境が長くなればなるほど、そもそも整合性があるとはいえないリモートワークのロジックと、現在のオフィスワークのロジックの矛盾が、企業組織や、新入社員のメンタルに歪んだ影響を与える可能性が大だと思われるからだ。

とはいえ、外部環境がそれを多くの組織に対して強いている。

早急にその歪みを理解し、言語化できた企業は、組織の飛躍的変化を達成するが、矛盾を認識できない組織は、組織崩壊の瀬戸際まで追い込まれるだろう。

現実というのは厳しい。

多くの難題を背負って、走らなければならないのだが、世間が向かっているように思われるリモート的ロジックがそれなりに身についているということは幸運だったような気がする。




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