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#000 聴者でありマイノリティであること。

囲碁は何回か無理やりやったことがあるけど、いまだにわからない。わからないけど、写真をお借りしました。ありがとうございます。

あと、ドラマの〜えーっと、忘れてしまった。

なんとかなんとかと3人の元夫ってタイトルの松たか子様がひたすらドジっ子だけど魅力的な社長で、メガネ男子3人の元夫が仲良くも悪くもなく掛け合いが素晴らしいドラマだった。(最終回まで見てないけど、失速したみたいなので、見なくてもいいや。マジョリティが幅を利かせているエンディングだったようで。。。えーって感じ。)

そのドラマの何話か忘れたけどお兄ちゃん(←松田兄弟の)と、女優さんが囲碁をやるシーンがあった。なんか面白い打ち方?だった。

それを言いたかった。
ルール知ってたら面白いのかなーと思った。知らないけど、そうはならないだろう、、、という置き方だった。

さて。

私は、普段音声日本語で生活している。

が、SNSやアプリの使用頻度の増加で書記日本語のほうがたくさん使っているかもしれない。場面や相手によっては日本手話や身振りや指差しや指文字などを使う。

カラオケではマイクが要らないくらい声がでかい。ボイストレーニングにも2年くらい通ったことがある。カラオケでは音量をほぼ0にされる。エコーは毎回カット。リズム感が全くないので、1000回くらい聴いてる好きな曲しかいい点が出ない。歌い出しはだいたい遅れる。伴奏が聞こえない。大きくしても聞き取れない。歌える2曲、それらだけはいい点が出る。
最近の字あまりの曲や、速い曲や、裏打ちの曲や、ブレイクが工夫されて入っている曲や、転調や、Dメロ?になっちゃう曲なんかは、ほんとうに全くついていけない。

聞くのと歌うのは全く違う。
で、そうそう、それで、思いついたのは、自分が作って、自分が正解になればいいのだ!ってことだったんだけど、だからなに?と、無名の私の正解の曲なんてのは完成もしなければ需要もなかったわけで、最終的には子守唄的なのが一番好きだってことがわかった。それもまあふんふん言ってるだけで、上手くはないし、リズムも一定ではないのだ。(だが、即興で替え歌を文字数にはめるのは得意。)なんなら、私の歌なんぞない方がいいのかもしれない。それでも、保育士の実技試験は受かった。withギター。童謡だから歌いやすい。
ピアノにも挑戦する機会があって、練習もして、まあオッケー!と思って当日を迎えたけど、寝坊して試験開始時刻に間に合わなかったので、それ以降挑戦していないうちに、要項が変更され、年2回の試験になり、筆記全部合格で実技に進めるようになり、『ギターでも、アコーディオンでもいいよ。』ってなったのである。ヤッター!ギターにしよー。うひひ。となり、合格。ギターはテキトー。中学生から進化していない。Fのハードルは越えたが、それっきりだ。

さて。
で、リズム感がないのも、たぶんどこかの音が聞こえていないことが関係しているんじゃないかなと予想している。(裏が取れない。くそお。)

私は想像力でいろんなものを補っている。
例えば、映画に遅刻したら、オープニングを予想するし、(遅刻しないようにしてる。だって、最初の10分が一番大事だって誰か信用できると思った人が言ってたんだもん。誰だったかは、忘れたけど。)
でも、動画の一部が見られなかったときもそう。ショート動画は手話かライフハックかアクロバットのばっかりみてる。

インスタは基本的に音消し(ミュート)して見てる。だから、字幕と音声が違うのに気づかないことがある。気づくことがあるってことは、音声付きで見ることもたまにあるから。そして、音声言語の全てが字幕になっていないことや、細かい意味やニュアンスが異なることがある場面に出会い、もやもやする。なんでそんなふうに書いたの?なんで?なんで?って。
母語を獲得したからこそのそれだと思う。
母語は日本語。ほんとうは訛りのある日本語。私の母語は標準日本語ではない。だから書き言葉も苦手。本意?真意?本当の意味が伝わらないので、モヤモヤストレスがさらに溜まる。
さらに、相手から、『そうじゃねぇんだよ!』っていいたくなるような書き言葉の日本語文を返されると、もう、書けなくなる。書きたくない。とても長くなる。

ちなみに、細かくて申し訳ないけれど、
『そうじゃねえんだよ!』は私の真の母語である日本のとある地域のなまりであり、気持ちや状況の説明が含まれる音声言語の書き起こしである。『そうではありません。』という音声日本語(標準語)を乱暴に崩した書記日本語ではない。ビミョー。

YouTubeは長いのでほぼ見ない。あと変な字幕が二重に入ったりして乱されるので、見たくない。
勉強の動画を仕方なく拝見することはあるけど、その人のクセが気になって内容が入ってこない。か行が喉鳴らす人だなぁとか。さ行が聞こえにくいなとか。それは私の聞こえ方のクセもプラスされてるから、なんとも言えない。その人のせいだけじゃない。
だがしかし、動画の始まり方とか、ミームとか見てるともやもやがものすごい大きくなって気分が悪くなる。私はビジネスには向かなかった。とかを思い出す。

その他、課金して見る動画は、もやもやしないために工夫している。丁寧に作られた作品なら、日本語ー日本語で見ていられるが、そうでない時はモヤモヤストレスが溜まり脱落する。(見るのをやめる。)
そうならないためには、音声を英語とかスペイン語とかポルトガル語とか中国語で流して、字幕は簡体字にするとかが、私には良い。
正確に知りたい場合はやはり音声を日本語にして、字幕も日本語にする。手話付きも選択できればそうする。

英語は読み切れないけど、簡体字ならそもそも半分くらいしかわからないし、読み切れるので、モヤモヤストレスが減る。ざっくり見るにはちょうどいい。

だからなんだって話だが、今はそういう感じ。
で。全部わかろうとしなくたっていいじゃないか。ということで転がっている。

あらゆる電車のブレーキ音が黒板を爪で引っかかれるより嫌い(これも嫌いだけどもうほぼ黒板に出会わないからよい。)。脳みそが変になる。

この年なら子どもがいるはずだとか、
成長して落ち着いた振る舞いができるとか、長く同じ仕事をつづけているとか。
そういうのは、私には困難が多いし、そっちで評価してもらおうとも思わない。

ごみの分別はする。
プロ級にする。
それだけでも、少しは地球市民として良いことをしていると思う。

古いものに良いものが多いのは確かだけれど、全部を取っておくことはできない。取捨選択を迫られる。それもストレスだ。だが、やらねばならない。風呂もストレス。
ああ。

おやすみなさい。

コイルマットレスって自治体によって容易に捨てられないの知ってた?
私は最近知った。

手に入れる前に、手放し方を確認することをおすすめします。
では。